表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
創作能楽小説 『銘 黒椿』 翁付き五番立て  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/11

九 狂言「七哲」


 堺の浜に近い外れに、暖簾ばかりが古い店がある。

 名は、ない。みな「あの店」と呼ぶ。


 天正(てんしょう)十九年の、正月である。

 止まり木の端では、貧乏神が火鉢を抱くようにして、寒い寒いと言うている。正月であるから、道理である。道理であるが、それにしても、火にいちばん近い者がいちばん寒がるのは、毎度のことながら妙である。

 隅の暗がりでは、黒い椿を髪に挿した女が、袱紗(ふくさ)の碗で黙って飲んでいる。


 その晩は、お供衆の寄り合いであった。

 名だたる茶頭七人——世に言う七哲のお歴々の、草履取りやら小者やらが、主の留守に集まって、正月の酒である。

 主の自慢は、供の商売。酒が三巡もすれば、始まった。


「なんと言うても、うちの殿よ。九十二万石の大身にして、お茶頭一の弟子」

「石高で茶が点つか! 茶は手前よ。うちの殿の点前(てまえ)は、お師匠様が向こう三年見んでも崩れぬと仰った」

「うちの殿など、南蛮の神まで捨てかねて、茶だけは捨てなんだわ」

「うちの殿は柄杓が長い」

「……それは自慢か」

「自慢じゃ」


 そもそも七哲とは誰と誰か、で揉め出した。数えると、その座の主だけで九人になったからである。


 センセが、盃を置いた。


江岑(こうしん)の書によれば」


 と、帳面をめくる手つきで宙をめくり、すらすらと七人の名を挙げた。

 二人の供が、がっくりと肩を落とした。その書がいつの世に書かれるものかは、誰も問わなかった。この店では、誰も問わぬ。


「されば序列じゃ」とセンセは続けた。「まず石高。次に、お師匠様よりの書付の数。数えるに——」


「待て待て。跡継ぎの器を、書付の枚数で数えるやつがあるか」

「では何で数える」

「それは……その、心よ」

「心は、数えられぬ」

「数えられぬものを、どう比べる」


 誰も答えられなかった。答えられぬまま、酒だけが減った。


「碗なら比べられるぞ」と、織部様お抱えの下人が胸を張った。「うちの殿の碗なら、そこの棚にもある」


 一同が、棚を見上げた。

 歪んだ緑の碗が、欠けた徳利の間に、ぬうと収まっている。


「……あれか」

「あれじゃ」

「…………」

「いまに分かるわ!」


 女は、その晩、よく注いだ。

 誰の盃も、底を見せる暇がなかった。減った端から、す、と満ちる。


「今夜の姐さんは、注ぎがいいのう」

「正月ですから」


 それだけである。正月だから注ぐ。理屈は通っている。通っているから、誰も、それ以上のことを思わなかった。


 火鉢の端では、爺の寒がりようが、だんだんと募っていた。炭は足りている。足りているのに、爺は袖の中へ、首の埋まるだけ埋まって、骨の芯から来るような声で、寒い、寒い、と繰り返す。


「御隠居、正月の寒さは今が底じゃ。二月にもなれば緩む」


 誰かが言うと、爺は袖の奥から、妙な目でその男を見た。何か言いかけて、やめて、また、寒い、と言うた。


 夜も更けた時分、ふと、誰かが言うた。


「——して、お師匠様ご本人は、近頃いかがなされておる」


 座が、止まった。


 思えば、誰の主も、この正月、聚楽第(じゅらくだい)の話をせぬ。あれほど自慢の種にした茶会の話が、ぱたりと出ぬ。言われて初めて、供たちは、そのことに気がついた。

 誰も、何も知らなかった。知らぬということだけが、九人ぶん、そこに並んだ。


「……ま、正月じゃ! お忙しいのであろうよ!」

「そうよ、正月じゃ!」


 笑いが戻って、盃が回って、話は掃部(かもん)様の柄杓の長さに戻っていった。


 やがて夜が明ける前に、供たちはめいめいの主の屋敷へ、千鳥足で帰っていった。

 女が、火鉢に炭を足した。

 隅の暗がりで、椿の女が、碗を伏せる小さな音がした。


 爺が、言うた。


「寒い」


〽今年もめでたと汲む酒の

 底に沈むは去年(こぞ)(おり)

 知らぬが仏 飲むが極楽

 なう 注いでおくれ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ