十 利休
〽降り積む雪に音もなし
降り積む雪に音もなし
落ちて音なき椿かな
客は、約束なしに来た。
二月の末の、雪の朝である。
屋敷は、囲まれている。日のあるうちに、上使が来る。
支度は、できている。炉に炭を置き、湯を上げ、あとは、待つだけの朝であった。誰を待つのか、わしは知らなかった。待っている、ということだけを知っていた。
雪を分けて、女がひとり、露地を渡ってきた。
黒い椿を、髪に挿していた。
門の外で、物乞いの爺が、寒い寒いと震えているのが、垣根越しに見えた。この雪では、道理である。誰ぞ、あれに粥をやれ、と申しつけた。今日のわしの家来は、よく働く。
女は、にじり口をくぐって、座についた。
袱紗に、碗をひとつ包んで携えている。古い、無銘の雑器である。
「よい碗を、お持ちじゃ」
わしの生涯、最後の目利きである。悪くない仕舞いであった。
道具は、あらかた人にやった。
大黒は、やった。俊寛も、出した。茶杓は、削って、削って、最後の一本だけ手元にある。
碗も、ひとつだけ、残しておいた。
長次郎に焼かせた、黒である。
いつであったか、庭で、黒い椿を見た。夢であったかもしれぬ。露を含んで、いまにも落ちる寸前の、あの黒である。長次郎は三度焼き損じて、四度目に、この黒を窯から出した。
黒は不吉じゃと人は言う。あのお方も、黒はお嫌いであった。
不吉でないものに、深いものなど、あったためしがない。
碗が先か、客が先か。
髪の椿と、手の内の碗を見比べて、わしは思うた。この碗は、はじめから、今日のためにあったのであろう。誂えたのは、わしではない。わしは、焼かせただけである。
点てた。
七十年の、なんの変哲もない一服である。それより上等なものを、わしはついに、持たなんだ。
女は、碗を手に取り、しばし、底の黒を見ていた。
それから、初めて、問うた。この女が何かを問うたのは、それが初めてであったと、なぜか、わしは知っていた。
「お銘は」
「——黒椿」
女は、押しいただいて、飲んだ。
〽汲めば命の水なれや
一椀に来し方を沈め
沈めて澄むは冬の水
湯気は昇りて雪に消え
最後のひとしずくまで
受けて返すは空の碗
碗が、返ってきた。
空の碗が、これほど軽いものかと、わしは思うた。焼く前の土より、軽い。
「よい茶でございました」
女は一礼して、雪の中へ出ていった。
足跡が、つかなかった。つかぬものかもしれぬ、あれほど静かに歩けば。
わしは、炉の前にひとり残って、碗の底を見た。
黒の底に、緑が一筋、残っている。それも、やがて、乾く。
縁先へ出て、沓脱ぎの石で、碗を割った。
よい音がした。
誰の唇にも、もう使わせぬ。それに——
それに、の先は、思わぬことにした。歌詠みでも、わしは、ないのでな。
割れ口の黒が、雪の白の上で、ことのほか、深かった。
最後まで、よい碗であった。
表が、にわかに暗うなって、雷が鳴った。
二月の雷とは、めずらしい。
天も、道具を割るか。
雪が、また、降りはじめる。
湯は、まだ鳴っている。
〽なにせうぞ
冴ゆる二月の雪の底
黒より深き緑一碗
一期は夢よ ただ汲め




