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創作能楽小説 『銘 黒椿』 翁付き五番立て  作者: 堀吉 蔵人


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10/11

十 利休


〽降り積む雪に音もなし

 降り積む雪に音もなし

 落ちて音なき椿かな


 客は、約束なしに来た。


 二月の末の、雪の朝である。

 屋敷は、囲まれている。日のあるうちに、上使(じょうし)が来る。

 支度は、できている。炉に炭を置き、湯を上げ、あとは、待つだけの朝であった。誰を待つのか、わしは知らなかった。待っている、ということだけを知っていた。


 雪を分けて、女がひとり、露地を渡ってきた。

 黒い椿を、髪に挿していた。

 門の外で、物乞いの爺が、寒い寒いと震えているのが、垣根越しに見えた。この雪では、道理である。誰ぞ、あれに粥をやれ、と申しつけた。今日のわしの家来は、よく働く。


 女は、にじり口をくぐって、座についた。

 袱紗(ふくさ)に、碗をひとつ包んで携えている。古い、無銘の雑器である。


「よい碗を、お持ちじゃ」


 わしの生涯、最後の目利きである。悪くない仕舞いであった。


 道具は、あらかた人にやった。

 大黒(おおぐろ)は、やった。俊寛(しゅんかん)も、出した。茶杓は、削って、削って、最後の一本だけ手元にある。

 碗も、ひとつだけ、残しておいた。


 長次郎(ちょうじろう)に焼かせた、黒である。

 いつであったか、庭で、黒い椿を見た。夢であったかもしれぬ。露を含んで、いまにも落ちる寸前の、あの黒である。長次郎は三度焼き損じて、四度目に、この黒を窯から出した。

 黒は不吉じゃと人は言う。あのお方も、黒はお嫌いであった。

 不吉でないものに、深いものなど、あったためしがない。


 碗が先か、客が先か。

 髪の椿と、手の内の碗を見比べて、わしは思うた。この碗は、はじめから、今日のためにあったのであろう。誂えたのは、わしではない。わしは、焼かせただけである。


 点てた。

 七十年の、なんの変哲もない一服である。それより上等なものを、わしはついに、持たなんだ。


 女は、碗を手に取り、しばし、底の黒を見ていた。

 それから、初めて、問うた。この女が何かを問うたのは、それが初めてであったと、なぜか、わしは知っていた。


「お銘は」


「——黒椿」


 女は、押しいただいて、飲んだ。


〽汲めば命の水なれや

 一椀に来し方を沈め

 沈めて澄むは冬の水

 湯気は昇りて雪に消え

 最後のひとしずくまで

 受けて返すは空の碗


 碗が、返ってきた。

 空の碗が、これほど軽いものかと、わしは思うた。焼く前の土より、軽い。


「よい茶でございました」


 女は一礼して、雪の中へ出ていった。

 足跡が、つかなかった。つかぬものかもしれぬ、あれほど静かに歩けば。


 わしは、炉の前にひとり残って、碗の底を見た。

 黒の底に、緑が一筋、残っている。それも、やがて、乾く。


 縁先へ出て、沓脱ぎ(くつぬぎ)の石で、碗を割った。

 よい音がした。

 誰の唇にも、もう使わせぬ。それに——

 それに、の先は、思わぬことにした。歌詠みでも、わしは、ないのでな。


 割れ口の黒が、雪の白の上で、ことのほか、深かった。

 最後まで、よい碗であった。


 表が、にわかに暗うなって、雷が鳴った。

 二月の雷とは、めずらしい。

 天も、道具を割るか。


 雪が、また、降りはじめる。

 湯は、まだ鳴っている。


〽なにせうぞ

 冴ゆる二月の雪の底

 黒より深き緑一碗

 一期(いちご)は夢よ ただ汲め

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