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創作能楽小説 『銘 黒椿』 翁付き五番立て  作者: 堀吉 蔵人


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八 幽斎


〽言の葉に嵐や吹くと囲む城

 言の葉に嵐や吹くと囲む城

 種は散らさじ散るは花


 鉄砲の音で、目が覚める。

 齢六十七にして、朝ごとに戦の音で起こされる身の上となった。悪くない。歌枕がひとつ、寝床まで来てくれるようなものである。


 田辺の城を、一万五千が囲んでいる。

 こちらは、五百。

 多勢に無勢というのも馬鹿らしい勘定であるが、この籠城、妙なことに、なかなか死なせてもらえぬ。


 寄せ手の中に、わしの歌の弟子が、幾人もおるのである。

 矢玉が、妙に礼儀正しい。天守を外して飛ぶ鉄砲玉というものを、わしはこの籠城で初めて見た。師の首より添削が惜しいか。であろうな。わしが死ねば、あれらの歌は、生涯直らぬ。


 笑いごとにしておるが、事は、笑いごとの顔をした瀬戸際である。


 わしの内には、古今の伝授がある。

 三条西の御方より受け、切紙(きりがみ)に記し、口移しに授かった、歌の道の奥である。いま、これを丸ごと持つ者は、天下にわし一人。

 わしがこの城で果てれば、伝授は絶える。

 歌の道が、である。関ヶ原で誰が勝とうと、天下は続く。歌が絶えれば、続いた天下で、何を言祝(ことほ)ぐ。


 であるから、箱を送り出した。


 切紙の束と、証しの一巻。宮様の御許へ。

 世がいくたび引っくり返ろうと、人の心に種のあることだけは変わらぬ——そういう意味のことを、三十一文字に括って、添えた。

 城の門を、箱がひとつ出ていくのを、(やぐら)の上から見送った。


〽三十一文字に千年を

 包みて送る小箱ひとつ

 門の外は敵の陣

 陣の彼方は千代の春

 種は焼けじと祈るのみ


 妙なもので、涙は出なんだ。手放したのに、身の内が、かえって静かになった。


 台所の隅に、いつ雇うたのか知れぬ老爺がおって、寒い寒いと火の番をしている。囲まれてこのかた兵糧は乏しく、寒いのは道理であるから、誰も咎めぬ。よく見れば、あの爺、火のいちばん近くにおって、いちばん寒がっておる。


 さて、それからのことは、天下の語り草である。


 勅使(ちょくし)が来た。

 帝の思し召しである。歌の道を絶やすべからず、囲みを解け、と。

 一万五千の軍勢が、三十一文字の道のために、旗を巻いた。


 刀では城ひとつ守れなんだこのわしが、歌に守られた。

 城も、命も、である。

 失われる、ということが、これほどの力を持つとは。帝は、消えるはずのものの目方を、天下の誰よりも正しく量られた。ありがたい、というよりほかに、言葉の商売をしておりながら、言葉がない。


 囲みの解けた晩、櫓の上で、久方ぶりに茶を点てた。

 湯だけは、籠城の間も毎日あった。湯があれば人は死なぬが、茶がなければ、生きておる甲斐が細る。


 茶を運んできたのは、見知らぬ女であった。

 城の下働きにしては、見覚えがない。五百の顔は、この三月ですべて覚えた。その中に、ない顔である。

 黒い椿を、髪に挿していた。

 椿の時節では、ない。


 問わなかった。

 問わずに、気まぐれを起こした。


「そなた、飲むか」


 女は一礼して、座り、押しいただいて、飲んだ。

 飲みきって、碗を返した。


 ——箱を送り出した日と、同じ心地がした。


 なぜかは、知らぬ。知らぬが、歌詠みは、心地の理由をいちいち詮索せぬものである。理由の分かる心地など、歌にするまでもない。


「よい茶でございました」


 女はそう言うて、階を降りていった。


 わしはひとり、櫓に残って、湯気の行方を見ていた。

 伝授は、箱で渡る。切紙に書けることは、渡る。

 書けぬところは——手のうちの、声の間の、教えように教えられぬところは、箱には入らなんだ。あれは追って口伝で、と言えば聞こえはよいが、まことのところ、あれは誰にも渡せぬ。わしが仕舞いまで抱えて、わしと一緒に、いずこかへ行く。

 勅命は、箱を救うてくださった。それで十分である。渡せぬものの始末は——


 湯気が、切れた。


 まあ、誰ぞが、つけてくれるであろう。


  言の葉は箱に納めて送りつる

  残る心は湯気とゆらめく


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