六 阿国
〽水にうつろふ影なれや
水にうつろふ影なれや
流れて舞の跡もなし
川風が、化粧の上を渡っていく。
四条の河原に、うちは立っている。
掛け小屋の裏、莚一枚の楽屋である。表では囃子が、人を集める鳴り物を打っている。人は、もう十分に集まっている。集まりすぎて、橋の上まで鈴なりである。
うちは、男の姿をしている。
髪を束ね、太刀を落とし差しにして、胸には南蛮の飾りを提げた。異風である。傾いている。
女が男になって、男が茶屋の女になって、それを巫女あがりが踊る。
出雲では、こうはいかなかった。
うちの舞は、神さまに向けて舞うものだった。
拝殿の板の上、見るのは神さまだけ。人は、うしろから覗くだけのもの。
ややこ踊りと人は呼んだ。童の踊りである。童のうちは、それでよかった。
童でなくなった日から、うちの舞は、行き場をなくした。
神さまは、大人の女の舞を、受け取ってくださらぬらしい。
ならば、人に向けて舞うまでのこと。
それが、どれほどのことか、うちは知っている。
奉納が、興行になる。祈りが、銭になる。
誰かが最初に、その橋を渡らねばならぬ。渡れば、もう戻れぬ。
渡るのが、今日である。
出囃子が変わった。
舞台に出ると、光が違った。
神前の光は、上から降る。河原の光は、人の目から来る。何千という目が、いっせいにこちらを向いて、それがひとつの、大きな熱いものになって押し寄せてくる。
ああ、これは。
これは、神さまより飢えている。
〽傾くや袖も刀も傾きて
男は女、女は男
呼べば出でくる死人さへ
浮かれ出でたる河原かな
まことも嘘も舞のうち
うちは、茶屋のかかを呼ぶ段を踊った。
死んだ男を呼ぶ段も踊った。名を呼べば、囃子の向こうから、死んだはずの伊達男が出てくる。作り事である。作り事と、みなが知っている。知っていて、人垣の女たちが泣いた。
死んだ人間を舞台に呼び戻すなど、能楽のお家芸ではないか——と、あとで笑った者がいたそうな。笑えばよい。生まれたての芸は、みな親の癖を持って生まれる。
舞いながら、うちは知っていた。
この舞は、今日しかない。
明日には、真似が出る。河原の向こうの小屋が、遊女屋が、装束ごと写すであろう。うち自身が、明日、今日のうちを真似るであろう。
二度目からは、ぜんぶ真似である。
最初の一度だけが、真似ではない。
その一度が、いま、囃子の間を流れて、消えていく。惜しいとは思わぬ。舞とは、そういうものである。水の上に字を書くのと、同じことである。
舞い納めて、面を上げた。
人垣が、どっと沸いた。
その手前——掛け茶屋の縁台に、茶碗を干す女がひとり、見えた。
一服一銭の、いちばん安い茶である。
黒い椿を、髪に挿していた。
飲み干して、碗を伏せて、置いた。
それだけのことが、なぜか、静かに幕の引かれたように見えた。
人垣の中に、酌取り女の顔もあった。芝居の中の茶屋のかかと、よく似た顔をして、こちらを観ていた。どちらが写したのか、うちには分からぬ。
橋のたもとの祠に、誰かが灯を入れた。水の神さまの祠である。川面が、ひとしきり、楽の音のように鳴った。
うちの終わりを、誰も書かぬであろう。
どこで生まれたかも、諸説。どこで死ぬかは、無説。それでよい、と思うている。
舞は、観た人の中でしか生きぬ。観た人が死ねば、舞も死ぬ。書けば残る、と言う人もあるが、書かれた舞は、舞ではない。字である。
今日の最初の一度は、誰の中に残ったやら。
川風が、化粧の上を渡っていく。汗が、ひいていく。
もう一幕ある。ここからは、真似である。
精いっぱいの真似を、して見せようぞ。
〽一度きりとは知りながら
二度目を舞ふが芸の道
水の上ゆく文字なれば
なう 誰ぞ読みしや




