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創作能楽小説 『銘 黒椿』 翁付き五番立て  作者: 堀吉 蔵人


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五 狂言「目利き」


 堺の浜に近い外れに、暖簾ばかりが古い店がある。

 名は、ない。みな「あの店」と呼ぶ。


 止まり木の端では、今宵も貧乏神が寒い寒いと言うている。秋口である。

 隅の暗がりでは、黒い椿を髪に挿した女が、袱紗(ふくさ)の碗で黙って飲んでいる。

 どちらも、誰も気に留めぬ。


 その晩は、商人がふたり、ほとんど同時に飛び込んできた。

 ひとりは肥えた唐物(からもの)屋、ひとりは痩せた唐物屋。抱えた桐箱が、ひとつずつ。


玉柏(たまがしわ)はこっちじゃ!」

「何を言う、玉柏はうちの蔵から出たんじゃ!」


 名物茶入・玉柏。明日、さる大名家の使者が買いに来るという。それが、どういうわけか町に二つある。

 二つあってよいものではない。どちらかが、贋物(にせもの)である。


 まずセンセが呼ばれた。

 センセは両方の茶入を検分し、帳面をめくる手つきで宙をめくった。


君台観(くんだいかん)によれば、玉柏は口造りがわずかに反る。——うむ、反っておる」

「して、どちらが」

「どちらも反っておる」


 寸分違わず反っているはずである。作った者が、同じ帳面を読んだのだから——とは、誰も言わぬ。


「よって、両方本物じゃ」


 センセの目利きは、そこで店じまいになった。


 困じ果てたふたりが、ふと止まり木の端を見た。

 古びた爺がひとり、さっきから何やら唸っている。


「……寒い」


 肥えた方が、痩せた方の袖を引いた。


「見ろ、あの御仁、わしの玉柏を見て唸っておられる」

「唸っておられるな。只者ではないぞ」


 只者ではない。それはそうである。


 痩せた方が、恐る恐る、桐箱を捧げて爺の前に置いた。

 爺は、ちらと見て、身をすくめた。


「寒い、寒い」


 座がどよめいた。


「し、渋いということか」

「いや、見立てが冷える——つまり贋物ということでは」

「馬鹿を言え、寒いは冬、冬は枯淡、枯淡は侘び、つまり誉め言葉じゃ!」


 誰も爺に問わぬのが、この手の座敷の常である。

 解釈が割れるたび、玉柏の値は上がったり下がったりした。爺が身震いするたび、二つの茶入のあいだを、百貫が行ったり来たりした。


 やがて爺が、ぽつりと言うた。


「この壺なら、焼かれるところに居たよ」


 座が、しんとなった。


「居たのは、確かだ。唐土の窯でな。……いや、あれは前だったか、後だったか」


 誰かが唾を呑んだ。


「で——どっちの窯だったかねえ」


 しばしの沈黙ののち、肥えた唐物屋が膝を打った。


「どっちの窯だったかねえ……! 深い。真贋(しんがん)は見る者の心にあり、というご教示じゃ!」

「さすがは御隠居、禅味よ!」


 爺はただ、寒いのである。だが、それを知る者は、酌をして回る女のほかに、この座にはない。女は徳利を傾けながら、ひとことだけ言うた。


「ほんとうのことって、そういう顔で聞かれるんですよ、いつも」


 誰も聞いていなかった。


 翌る日を待たず、噂を聞きつけた大名家の使者が乗り込んできて、話は思わぬ方に転んだ。曰く——真贋を超えたるは数寄(すき)の極み、通人の唸り付きとあらば、なおのこと。


「両方、買う」


 肥えた方も痩せた方も、抱き合って喜んだ。贋物を掴んだ者は、この座敷にはひとりもいない。いるとすれば、それは明日からの話である。


 祝いの酒が回るなか、爺は止まり木の端で、寒い寒いと言い続けていた。


 騒ぎの隅で、供に来ていた丁稚がひとり、棚の欠け茶碗を手に取った。

 縁の欠けた、誰も見向きもせぬ碗である。

 丁稚は帯から自分の銭を出し、女に、これはいくら、と聞いた。女が正直な値を言うと、丁稚は正直に払った。


「爺様の、湯呑みに」


 懐に碗を抱いて、丁稚は騒ぎを縫って出ていった。


 そのあいだ——ほんのそのあいだだけ、止まり木の端は、静かであった。


 やがて戸が閉まると、爺はまた、寒い、と言うた。

 隅の暗がりで、椿の女が碗を置く、小さな音がした。


〽目利き目利きと人は言へど

 値は口から生まるるもの

 窯の火をまこと見た者は

 なう 寒いとばかり

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