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創作能楽小説 『銘 黒椿』 翁付き五番立て  作者: 堀吉 蔵人


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四 道薫


〽花は根に鳥は古巣に帰るなり

 花は根に鳥は古巣に帰るなり

 帰らぬものは城ひとつ


 客が来る、と聞いて、わしは炭を直した。


 堺の、借り物の茶室である。

 城を持っていた男の終の住処が、四畳半の借り物というのは、出来のよい笑い話であろう。

 笑えばよい。わしは道糞(どうふん)と名乗った男じゃ。糞に住処の文句はない。


 客は女で、黒い椿を髪に挿していた。

 連れの碗をひとつ、袱紗(ふくさ)に包んで携えている。ちらと見えたが、無銘の、どこにでもある雑器である。

 よい碗じゃ、と思った。

 どこにでもあるものは、どこででも生きられる。


 湯を待つあいだ、女は何も問わなかった。


 誰もが問うた。あの夜からこちら、会う者、会う者、みな同じことを問うた。

 なぜ叛いた。

 なぜ、城を出た。


 有岡(ありおか)の冬を、わしはよく覚えている。

 兵糧が尽きるより先に、言葉が尽きた。城というものは、落ちる前に、まず静かになる。

 あの静けさの底で、わしは決めた。決めた理由は、ある。ひと息で言えるほどの、短い理由じゃ。

 言えば、誰かが楽になったであろう。妻も、家臣も、後の世の学者どもも。

 廊下で、帳面をつけている右筆(ゆうひつ)とすれ違った。こんな夜に、何を記すことがある。あの帳面は残るまい。残ったとて、肝心のことは書いてない。書けるはずがない。わしが言うておらぬのだから。


 わしは、五人ばかりを連れて、闇へ出た。


〽出づるは主か落人(おちうど)

 問へど答へぬ冬の闇

 城は音なく灯を残し

 残る灯かげに人残し

 人の数だけ夜が燃ゆ


 妻は、都の河原で果てた。

 みどり子の行く末を思う歌を、ひとつ残したそうな。

 後の人がわしに教えた。教えられずとも、あれはそういう女じゃ。美しい歌であったろう。わしは聞かぬことにしている。聞けば、覚えてしまう。


 五百あまりが、七松(ななまつ)で焼かれた。

 その煙の色を、わしは見ておらぬ。見ておらぬということだけを、生涯かけて見ておる。


 毛利に落ち、世が変わり、気がつけば、わしは茶人になっていた。

 剃って、糞と名乗った。

 人は眉をひそめたが、茶の湯だけは、わしを咎めなんだ。

 席に入れば、裏切り者も名物も、同じ畳の上じゃ。由緒は問われぬ。前非も問われぬ。ただ、一服がよいか、わるいか。

 こんな道理が世にあってよいのかと、わしは初めの頃、点前(てまえ)の手が震えたものよ。


 碗は、荒木高麗(あらきごうらい)を使うた。

 海を渡ってきた碗である。向こうの国では飯を盛るだけの、なんでもない碗であったろう。渡ってきて、名を得て、わしの名まで負わされた。

 流れ者が流れ者を持つ。似合いというものじゃ。


 点てた。

 女は、押しいただいて、飲んだ。


 なぜ、とあの晩、闇の中で誰かが問うた。若い声じゃった。あれにだけは、答えてやってもよいと、一瞬思うたのを覚えている。わしは——


 わしは、次の一杓の湯を汲んだ。


 女が碗を返してよこす。

 受けた碗が、ふっと軽い。

 碗が軽いのか、わしの手が軽いのか、わからぬ。あの夜から提げてきた重さの、目方が知れぬのだから、軽くなった分も知れぬ道理よ。


「よい茶でございました」


 女はそれだけ言うて、辞した。

 なぜ、と問わなかった客は、あれが初めてじゃ。


 庭の椿が、落ちた。

 椿は、首から落ちる。

 わしの首は、まだ落ちておらぬ。落ちそこなった首が、糞と呼ばれ、薫と呼ばれ、湯気の向こうでまだ息をしておる。

 薫るかどうかは、知らぬ。炭の()きる匂いが、今日はすこし、深い。


〽落ちて土なる椿さへ

 春来れば根に帰るものを

 帰るあてなき首ひとつ

 湯気の向こうで

 なう 生きて候

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