#005
アイス・ドラゴンはドラゴンのうちでも小型だが、城壁喰らいと比すればその強さはアリと闘牛ほどもちがう。町ひとつを潰した例はいくらでもある。肉食で、特にヒトを好むからだ。
ただ、その姿を見るのは冬の間だけだし、ひとつ強烈な弱点がある。炎だ。
氷翼の食人竜がグリムロックの町を襲ったのは春先になってのことだった。
火矢は北の森までアイス・ドラゴンを押し返し、そこを竜の墓場にせんとグリムロック騎士団が出撃する。
「壮観だな」
勇者の名の下に人々が集まった。
冬の間により強化された騎士団、惜しまず雇い入れた兵士たち。放棄されていた町の北側にも人々や工房が住み始め、職人はより研鑽し、魔術の力を纏った槍が開発されたばかりだった。もともと乏しかった魔術師たちの層も、部隊を五つ編成できるほど厚くなった。これらは町を見下ろす丘の上、辺境伯の屋敷の前に統率されて並び、出撃の号令を待っている。
「おい、遅れをとるなよ、ドレイ」
いつもいちいち俺に突っかかる騎士の男は、今も口を閉じるのが難しそうに言った。
「キリィ、そうローエンをいじめるな」
ギオンが言うと、若いキリィ・ソブは一応の口を閉じた。
「我々は一心同体。みんなが俺には必要なんだ」
パシン、とギオンが俺の肩を叩く。
「ローエン。君は初陣だな。元奴隷なんて関係ない。その腕は確かだ。期待している」
「努めます」
ギオンは全ての騎士に親しみを振りまいた。騎士団は新参者にいたるまでギオンの崇拝者の集まりだ。そこにあって、俺が浮くのはしかたがなかった。俺は従順ではあるが、崇拝者とは言い難い。
『信心というのも一つの教養なのだ』とギオンが言った時、周りは奴隷あがりの俺を同情的に受け入れた。
が、何事にも例外はいる。
「おい、ドレイ」
キリィが剣のつかで俺の足を突く。
「多少腕が立ったとしても、戦場で体が思うように動くと思うなよ。ましてな、ギオン様のおそばで戦えば、責務に何倍も体が重く感じるんだ。それでつぶされちまったやつは何人もいる」
「……」
「俺たちはな、そうした修羅場を何回もくぐってんだ。せいぜい、足をひっぱらないようにしてくれよ」
その時、鐘とともに号令がかかった。
出撃! 出撃! 出撃!
「ちっ、まあ、お前の出番なんてないさ、無能」
炎槍、魔術師団、名高き騎士団とギオン・サエモン。
アイス・ドラゴンの討伐に不足はない。
そのはずだった。
アイス・ドラゴンの咆哮は交戦一時間たって空を貫き、アイス・ブレスが騎士団の三分の一を凍りつかせた。
「こいつ……炎が効いてないんじゃないか!?」
アイス・ドラゴンが火矢に引いたとみたのは、罠だったと、何人くらいが気付いただろうか。
森の奥へ奥へと苛烈な炎で攻め立てて、その実誘い込まれたのだと結論づけたのは、何人いただろうか。
この激戦でも冷静なその幾ばくかの中に、ギオンがいた。
鬱蒼とした森の中に、闇にふせて、アイス・ドラゴンが青い血に塗れた首を異様にくるくると回してこちらを挑発したのをギオンは確かにみた。致命傷をいくつも与えたと思った首が、糸くり人形のように軽快にくるくると動いている。
「火を!」
ギオンの号令で、残った炎槍と満身創痍の魔術師たちが渾身の炎をぶつける。ため息のようなアイス・ブレスを貫通し、それはドラゴンの顔面を捉える。ドラゴンが吠える。顔を振る。だが、それだけだった。
キィィ、と耳ざわりな甲高い音がドラゴンの喉から立ち上がり、アイス・ブレスがほとばしる。
「くっ」
ギオンが飛び退く。遅れたものはすべて氷樹と化し、続け様のドラゴンの咆哮でバラバラに砕け散った。
「何人生きてる!」
ギオンの叫びに返ってきた声は遥かに少ない。
「ギオン様、撤退を!」
ひとりの護衛騎士が片腕を完全に凍りつかせながら進言した。
撤退は間に合ううちしか許されない。間違いなく、これが最後のタイミングだった。
今ここに残っている全員、あるいは何人かが、騎馬もない状態でアイス・ドラゴンのブレスを振り切り森を駆け抜けるには。
「くそ……くそ! 撤退だと……!? 俺が負ける…!? 勇者の俺が…!?」
「撤退する! 動ける者は退路を開き、ギオン様を死守せよ!」
「撤退はしない!!」
「ギオン様!?」
護衛騎士の悲痛な叫びを、ギオンは冷笑で付した。
「この俺が、トカゲ一匹に背を見せるというのか。この俺が!」
「しかし、これ以上の損害は……!」
「損害? 違う、名誉ある死だ」
ギオンが剣を振り上げる。
「《クロニクルズ》よ、俺に力を与えよ!」
同時に、アイス・ブレスが襲った。
満身創痍とはいえ騎士たちだ。たとえ不意をつかれても、咄嗟に飛び退けるはずだった。
「──ぐうっ!」
だがアイス・ブレスは騎士たちの足もとをとらえた。完全に地面に縫い付けられた。
「……体が、動かな…っ」
冷たい。
ちがう、重い。
氷を破らんと剣を振り上げる腕も鉛のように重い。血管の末端までが凍りついてしまったのかもしれないと彼らは思った。
地鳴りがする。アイス・ドラゴンがゆっくりと向かってくる。四人の騎士が磔になっていた。
咄嗟にブレスを避けたギオンだけが無事だ。
「ギオン様、お逃げください!」
「ここは、どうか撤退を!」
「あああああああ!」
キリィが絶叫する。
氷を破らんとしたキリィの切先は、あまりにいうことを聞かない体のために、誤って右足を勢いよく貫いた。
「みんな、落ち着け!」ギオンが声を張り上げた。「大丈夫だ、案ずることはない。《クロニクルズ》は民の思いを力に変えるもの。君たちの強い思いが、俺を何倍にも強くするんだ!」
騎士たちは顔を明らめた。
主人の鼓舞が間違いなく、凍りついた血管を熱く動脈させんとするのを感じた。
再び剣をとる覚悟を決めた。
今一度動けたなら、自分はこの偉大なる主人の盾となり剣となるのだ。今一度、動けたなら……
「ただ、今はもう遠慮をしてはいられない。君たちの《思い》を、全部、もらうよ」
光が、ギオンの剣に集まる。
騎士たちはそれが自分たちの声なき悲鳴から作られるのを見た。光の粒は、自分たちから吸い上げられてはギオンに降りそそいでいく。
体が重くなる。
凍てついていく。
指ひとつ動かそうとすればミシミシと、バキバキと鳴るのだ。光が奪われたところから。
彼らはその光が何でできているのかを身をもって悟った。
信仰の光は信者たちの命そのものでできている。
──ギオン様!
キリィが声にならない声をあげる。
「いいいいいいッ」
木の影から竜の首が伸びたと思ったら、磔の護衛騎士をひとり頭から喰いかぶり、首をひきちぎろうとしていた。
「くそッ」
ギオンが後ろへ飛びすさり、アイス・ドラゴンと距離をとって叫ぶ。
「頑張れ! 君の思いはまだ吸い上げ切っていないぞ! まだ死ぬな、頑張れ!」
「いいいいいいーッ」
バキンッ。




