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#004









 桃色のドレスを着たアニス・サエモンがこちらを睨んでいる。

 窓からの日差しが廊下の埃をちらちらと白く昇らせていく昼下がり。彼女の頬は日向ぼっこをしすぎた子供のように赤かった。


 無視して通り過ぎようとしたら、アニス付きの騎士ふたりに両脇を挟み込まれた。山のような大男たちだ。


 茶会のあとだったのか、扉越しに焼き菓子の匂いがふっと漂う。

 その部屋から出てきて、アニスの隣に立っていた青白い顔の女は、そのままふらりと立ち去ってしまった。


「ローエン、こっちへ来なさい」

「密室はやめておけとカナイが」

「それは女のセリフなの」


 アニスがパチンと扇をたたむと、やたら屈強な騎士二人によって、俺は焼き菓子の匂いの残る部屋に引き摺り込まれた。


 アニスはソファに座った。

 俺は床に座らされた。


 アニスの扇のひとふりで、騎士たちが音もなく部屋から出ていく。調教師と犬みたいだ。ふたりとも三十半ばを過ぎたくらいの大男だが、たしかあの金髪のほうがハブトだ。


「あなた、いいかげん私の犬に戻りなさい」

「遠慮しておきます」

「身のほどをわきまえなさい。あなたなんかが騎士になれるわけないの」


 俺が騎士の叙勲を受けたのは二日前のことだ。この冬最後と言われた雪が降った日だった。


 奴隷上がりが叙勲を受けるわけはない、と俺だけが思っていたわけじゃなかったので、これは多くの者たちを驚かせた。アニス・サエモンも例外でなかったらしい。


「多少腕が立とうと、生まれに《名》を与えられなかった時点で、あなたは女神様の選別から外されているの。あなたはお兄様の騎士になるには到底及ばない。理解できるわよね、あの、よくあなたと一緒にいたフワフワくんだって」

「カナイ」

「ええ、そんな名だったかも。彼だって、奴隷じゃなかったけど、名無しだったわ。女神様の加護もないで戦場に出るなんて、それは使い捨てのコマと同じ。ただ死ぬの。その、よくあなたと一緒にいたフワフワくんだって」

「カナイ」

「ええ、そんな名だったかも……、って、今はどうでもいいでしょ、そんなこと」


「…………どうでもいい(﹅﹅﹅﹅﹅﹅)?」


 つい、睨むと、アニスが息を呑んだ。


「……とにかくっ、身のほどをわきまえなさい。もともと身分や名誉にこだわっていたわけでもなかったじゃない。あなたは私の犬で十分幸せに──」

「嫌です」

「ローエン!」

「失礼」


 立ち上がると、アニスも立ち上がるのがわかる。

 あの黄色い声が、白くて細い喉まででかかっている気配がわかる。

 ふー、と俺は息を吐いた。


「あなたはカナイのことを知らないし、俺のことも何一つ知らない」


 むっ、とアニスの眉間にしわが寄った。


「……確かに、あのフワフワ……カナイ? のことは知らないけれど、あなたのことを何一つ知らないというのは違うわ。あなたのことなら、身体中のほくろの位置を知っているし──」


 ドレスと同じ色をした頬が、得意げに色を増す。俺は黙って左の袖をまくり、あらわになった腕の真ん中に歯を立てた。

 ほくろのある皮膚ごと肉を噛み千切る。

 ドレスと同じ色をしていた頬が青ざめる。

 床に吐き捨てる。彼女の知っている俺のなんとやらは、この程度で簡単に消えるものだ。

 ──タトゥーの術式(﹅﹅ )、俺の本名(﹅﹅)、刻み込まれてしまったものこそ、深くに落ちて、他人がやすやすと覗きこむことは叶わない。


「確かに、俺は騎士の名誉は求めない。でも、カナイを殺したツケは払わせる」

「……払わせる? でも、魔物たちは全てお兄様が討伐したわ」

「……」

「……、……まって」


 青ざめた首の中で、美しい水湖のような瞳がより青ざめて閃いた。まるで凝固点(こたえ)に達したように。


「待って、ローエン、あなた、今、何を考えているの。恐ろしいことじゃない? ねえ、そうじゃない?」

「……」


 俺が何も答えないでいると、アニスはまた扇をパシリと畳んだ。相当耳のいい彼女の付きの騎士たちが、扉を開けて入ってくる。


「あなたたち、下がりなさい」

「は……?」


 彼らが困惑したように顔を見合わせる。下がれ、といわれた意味が、扉から出て行けという意味でないことはわかっているようだった。


「さすがに、それは」


 騎士が渋るのももっともだ。

 付きの騎士(じぶん )たちも含めて、完全に人払いをしろ、といっている。それは俺とアニスの完全な密室を指す。若い男女がふたりきり。

 パシン、とアニスは強烈に扇を畳んだ。


「下がりなさい」


 再び顔を見合わせた騎士たちが辞儀をして出ていく。ハブトは特に心配そうな視線を残した。

 十秒をたっぷりと数えてから、アニスは再びソファに座った。


「さっき、私と一緒にいた女性を知っているかしら」

「コルドー様の奥様かと」

「そう」


 アニスが深い息をはく。


「彼女が少し前から訴えてきたことがあるの。……《なぜ、夫は死んだのか》」


 戦場での騎士の死を検別する理由はない。戦死は名誉の死であり、飾られ、祀られ、遺族もまた名誉と金を得ることができる。

 だが、コルドーの妻はそれらを拒絶して訴えた。《なぜ、夫は死んだのか》。


「当然、それは彼の死を汚すものだと誰もが彼女を嗜め、罵ったわ。なにより死は無比の安らかなるもの。その魂は現世のあらゆるいさかいから解放されて、神の御下へ還るもの。それをひきとめるだなんて、罪深きことだわ」


 いかなあなたが伴侶を深く愛していたとしても。

 いかなあなたが伴侶の強さを信じていたとしても。

 彼は戦い、散った、それだけのこと──。


 けれども、コルドーの妻は訴え続けたのだ。


「もう彼女に耳を傾けるものはいない。……だから私が、とりあえず彼女の慰めになればと会い続けていたのだけれど……」


 アニスの顔がふと曇る。短くなにかを思案する。


「コルドーほどの騎士が戦死したのは、グリムロックにとっても痛手だった。誰もがそう思って、それで終わる。ふつうなら。()()()()()()()()()()()()()()()()……」


 扇を握る手が指先まで白くなる。


「その理由が、あなたには見当がついているのね、ローエン」

「……」


 アニスが立ち上がった。


「あなたのその目が挑戦的だと、お兄様は言っていたわ」

 扇の先をもたげて俺の顎を突く。

「でも私には、色気があって困ってしまう」


 彼女の扇の先が俺に触れる。俺の耳、俺の頬、俺の首、俺のタトゥー。

 俺は扇の先をつかんだ。


「《クロニクルズ》の正体を白日のもとに晒す」

「……なんですって?」

「あれは皆が思うような力じゃない」

「……ローエン、あなた、何を知っているの」

「カナイを殺したツケを払わせる」



 あなた何者なの、とアニスが震えて言った。










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