↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
17/26

芦倉に住んでいない人

『俺も子供のころ、何度か行ってますから』


湊はスマートフォンを耳に当てたまま、テーブルに並べた写真を見た。


「芦倉に、ですか」


『そうです。富山の山の方でしょう』


場所まで合っている。単に同じ名前の土地を知っているわけではなさそうだった。


「久世正臣さんも、そこへ?」


『父に連れて行かれたんです。高瀬さんって、もしかしてあそこの高瀬さんですか』


「祖父母が住んでいました」


『ああ、それなら知ってますよ。坂を上がったところの、大きな家じゃなかったですか』


湊は祖父母の家が写った写真を手元に引き寄せた。


「そうです」


『やっぱり。おじいさん、軽トラに乗ってたでしょう。俺も一度乗せてもらったことがあります』


祖父の軽トラックまで知っている。湊は写真に目を落とした。あの家も、あの道も、祖父も、確かにそこにあった。電話の向こうにいる男は、それを湊とは別の記憶として持っている。


「今、芦倉がどうなっているか知っていますか」


『どうなってるって?』


「見つからないんです」


久世は意味が分からなかったらしく、聞き返してきた。


湊は地図にも載っておらず、役所で調べても記録が見つからなかったことを簡単に説明した。久世は途中で何度か驚いた声を出したが、最後まで聞くと、まず道を間違えたのではないかと言った。


「俺もそう思って、調べたんです」


『でも、家もあったし、人もいたでしょう』


「いました」


『じゃあ、なくなるわけないじゃないですか』


湊もそう思っていた。


「正臣さんは、芦倉に住んでいたんですか」


『まさか。ずっと岡山ですよ。俺が生まれる前から』


返事はあっさりしていた。


「どのくらいの頻度で芦倉へ行っていたか、分かりますか」


『そこまでは。年に何回かだったと思いますけど』


「何をしに?」


『それが、よく知らないんですよ』


久世によると、父の正臣は岡山で設備関係の仕事をしていた。富山へ行く時には仕事の出張だと思っていたが、あとになって会社の仕事ではなかったと知ったという。


『子供のころは、親父について行っても外で遊んでばっかりでしたからね。大人が何してたかなんて、気にしたこともなかったです』


「他にも、外から来ている人はいましたか」


『いたと思いますよ。大阪の人とか、長野の人とか。親父がそんな話をしてた気がします』


湊は祭りの集合写真を見た。


祖父母の隣にいる男。屋台の前で話している女たち。川辺で子供を抱き上げている老人。


誰がどの家に住んでいたのか、説明できない。


子供のころは、芦倉で会う人間をみんな芦倉の人だと思っていた。祭りの日にしか会わない人も、祖父母と親しそうに話しているだけで、そこに住んでいるものだと思っていた。


「正臣さんに、直接話を聞くことはできますか」


電話の向こうで少し間があった。


『父は三年前に亡くなってます』


「……そうでしたか。すみません」


『いえ、病気だったんで。年も年でしたし』


湊は写真の中の正臣を見た。若いころの写真もあれば、白髪が増えたころの写真もある。自分が会っていた大人たちも、もう随分と年を取っているはずだった。


『ただ、親父の物ならまだ結構ありますよ』


「残っているんですか」


『実家を片づけきれてなくて。写真なんかも、たぶんそのままです』


湊は思わず身を乗り出した。


「芦倉の写真も?」


『あると思います。親父、写真撮るの好きだったんで』


「見せてもらうことはできますか」


『ええ、別に構いませんけど。高瀬さん、今どちらに?』


「東京です」


『東京? 遠いですよ』


「行きます」


久世が黙った。


『……本気ですか』


「はい」


少し考えたあと、久世は週末なら実家を開けられると言った。湊は住所と待ち合わせ場所を聞き、礼を言って電話を切った。


ナギがすぐに顔を上げた。


「岡山行く?」


「行く。週末だ」


「新幹線?」


「たぶんな」


「乗ったことない」


「俺もそんなに乗らないよ」


ナギは立ち上がり、部屋の隅に置いていた文庫本とマルを取りに行った。両方を持って戻ってくると、テーブルの上に並べた。


「何してる」


「準備」


「まだ何日かあるぞ」


ナギは少し考え、マルだけポケットにしまった。


湊はパソコンで岡山までの交通手段を調べた。東京から新幹線で三時間あまり。久世の実家は岡山駅からさらに離れているが、本人が車を出してくれるという。


宿泊先も探し始めたところで、ナギが写真を持ってきた。


「この人も、岡山?」


久世正臣の隣にいる女を指している。


「分からん。奥さんかもしれないし」


「違うと思う」


「なんで」


「この人、海の近く」


湊は画面から顔を上げた。


「海?」


ナギは写真を見つめたまま、何かを思い出そうとしているようだった。


「船がある」


「船に乗ってたのか?」


「分からない。でも、魚の匂いがする」


湊は写真を受け取った。女は芦倉の祭りで、ほかの大人たちと並んでいる。背景にあるのは山と家だけで、海を思わせるものは何もない。


「この人を知ってるのか」


「知らない」


「じゃあ、なんで海だと思うんだ」


ナギはしばらく考えたが、結局首を振った。


「分からない」


湊は写真を机に戻した。ナギの言葉を確かめる手段は、今のところない。


それでも、久世正臣が岡山から通っていたことは確かだった。ほかにも外から来ていた人間がいる。久世の記憶が正しければ、大阪や長野からも。


湊は集合写真をもう一度見た。


二十人以上が写っている。子供のころから知っている顔ばかりなのに、どこに住んでいたか分からない人間が多い。


祖父母の家は覚えている。祭りの会場も、川へ下りる道も覚えている。


だが、久世正臣の家は思い出せない。


それは当然だった。


最初から、芦倉にはなかったのだから。


湊は写真の裏を確かめた。日付と、母が書いたらしい短いメモがある。


《今年もみんな集まった》


湊はその一文を、もう一度読んだ。


芦倉の人たちが集まったのではない。


芦倉に、みんなが集まったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。