住所録
朝、湊が起きるとナギがいなかった。玄関を見ると靴もない。
電話も財布も持っていない。正確には、持って出なかったのではなく、最初から持っていない。
外へ出ると、マンションの前にナギがいた。泣いている小学生と一緒だった。
「何してる」
「迷子」
「お前が?」
「この子」
ゴミを捨てに下りたところで見つけ、そのまま一緒に母親を探していたらしい。十分ほどして青い顔をした母親が走ってきたので、子供を引き渡した。
部屋へ戻る途中、湊は言った。
「勝手に出るなよ」
「ゴミ捨てに来ただけ」
「そこから迷子について行ったんだろ」
「うん」
「それを勝手に出たって言うんだよ」
ナギは納得していなさそうだった。
朝飯を食べながら、湊はナギにも連絡手段が必要だと考えた。ただ、それより先にやることがある。
母の家から持ってきた住所録と年賀状、古い写真をテーブルに広げた。
名前だけ眺めても、誰が芦倉にいた人間なのか分からない。そこで写真から当たることにした。
ナギが祭りの写真を一枚取った。
「この人」
指しているのは中年の男だった。
別の写真にもいる。さらに探すと、雪の残った山で祖父と並んでいる写真にも同じ男が写っていた。
「知ってる?」
「見覚えはある」
「家は?」
湊は写真を見直した。
分からない。
子供だったのだから、知り合いの大人がどこに住んでいたか知らなくても不思議ではない。それでも、何度も会った記憶があるのに、その男の家を一度も思い出せないのが妙に引っかかった。
午前中は携帯ショップへ行った。
ナギにも安い端末を持たせようと思ったのだが、本人名義で契約しようにも、身分証も口座もない。
店を出てからナギが言った。
「私はいるのに」
「社会的にはかなり怪しい」
「湊より?」
「俺は身分証あるからな」
帰りにスーパーへ寄ると、ナギはブドウのグミをかごに入れた。金は持っていないので、当然のように湊が払った。
歩きながら一つ食べて、ナギが言う。
「変でおいしい」
「褒めてんのか、それ」
「ブドウじゃない。でもブドウ」
それは少し分かった。
午後、写真の男を探す作業に戻った。
古い年賀状を照らし合わせていくと、裏に母の字で名前の書かれたものが見つかった。
久世正臣。
住所録にも同じ名前がある。
住所は岡山県だった。
年賀状は一枚ではない。数年分残っていて、どれも差出人の住所は岡山になっている。
湊は写真を年代順に並べた。
夏祭りにいる。秋にもいる。雪の残る三月にも、祖父の隣に立っている。
岡山に住んでいた久世正臣が、何度も芦倉へ来ていた。
「この人、芦倉の人じゃないの?」
ナギが聞いた。
湊はすぐには答えられなかった。
住所録に残っていた電話番号へかけてみたが、現在は使われていなかった。そこで名前を検索すると同姓同名がいくつも出てきたものの、本人と判断できるものはない。
年賀状には家族らしい名前も添えられていた。
その中に《直人》とある。
岡山、久世直人。
検索条件を変えると、数年前の地域の記事が一件出てきた。五十歳前後の男が写っている。年齢は合うし、勤務先も記載されていた。
「電話するの?」
横から画面をのぞいたナギに、湊は言った。
「本人か分からん」
「聞けば分かる」
それはそうだった。
会社の代表番号へ電話し、久世直人という人はいるか尋ねた。少し待たされたあと、男の声に代わった。
『はい、久世です』
「突然すみません。高瀬といいます。久世正臣さんという方をご存じですか」
わずかな間があった。
『父ですけど』
当たった。
湊は姿勢を起こした。
「正臣さんのことで、少し聞きたいことがあります」
『何でしょう』
「芦倉という場所を知っていますか」
今度は、間がなかった。
『知ってますよ』
湊の手が止まった。
これまで芦倉について尋ねた人間は、知らないと言った。役所にも記録がなかった。深守で見つけた資料には名前が残っていたが、それを書いた研究者はもう死んでいる。
電話の向こうにいる男は、生きている。
そして芦倉を知っている。
『俺も子供のころ、何度か行ってますから』




