辞表受理者欄は、帰る場所のない人を王太子府内滞在にできません
王太子府婚約契約管理室の退出門で、リディアの外套札だけが返ってこなかった。
「すみません。辞表受理者欄へ統合済みの方は、王太子府内滞在扱いです。外套返却と町側証人宿の寝台札は、夜明けの再確認後になります」
門番の若い男は、規則を読む声でそう言いながら、自分の手袋を握りしめていた。リディアの背後では、ミナが一歩止まる。ユアンが持つ捜索灯の油札も、同じ束から抜かれていない。
「内に滞在扱いなら、朝粥は出ますか」
リディアが尋ねると、門番は目を伏せた。
「……出ません。王太子府内滞在扱いは、職務中の扱いです。町側証人宿の朝粥名簿にも、こちらの夜明け粥名簿にも載りません」
帰らなくてよい人、ではない。
帰る席も食べる席も、どちらにも数えられていない人だ。
リディアは門脇の仮寝台票を引き寄せた。そこには、黒革帳から写された一行があった。
『本人名別紙、辞表受理者欄へ統合済。帰着灯不要者、王太子府内滞在扱い』
「この一行は、私がどこで眠るかを読んでいません」
彼女は青い保留印を置き、三つに線を引いた。
『辞表受理済』。
これは、王宮翻訳官としての通常職務から外れたという記録。
『旧職能権限残置中』。
これは、契約核を閉じるために誰かが私の印をまだ使いたいという未完了の責任。
『町側証人宿へ仮帰着確認待ち』。
これは、今夜わたしが外套を受け取り、門を出て、名を呼ばれて寝台に着けるまで閉じてはいけない生活手順。
ミナが、ためらいながら筆を取った。
「リディアさんは、ここに泊まる約束をしていません。わたしは、候補者同意欄を読まないまま署名しないと教わりました。だから、リディアさんの滞在扱いにも、本人の帰着先が要ります」
門番は小さく息を吐き、外套札を返却棚から出した。ユアンは捜索灯の油札を、ロウ用の束から半枚だけ切り離さず、リディアの仮帰着確認札の横に並べる。
「門を出るまでを、帰着とは書きません。宿で名を呼ばれるまでを、滞在とも書きません」
リディアはそう記して、外套を肩に掛けた。布の重みが戻るだけで、夜風の冷たさが初めて自分のものになった。
そのとき、門番が返却棚の奥から、薄い銅箱を見つけた。
蓋には、古い筆跡でこうあった。
『旧職能印写し保管箱。開封者不在。辞表受理者本人、保管責任者へ仮統合済』




