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辞表を出した王宮翻訳官、翌朝から王国の契約魔法が全部止まりました  作者: 花守りつ


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標準時刻表は、扉下の一文字より先に全応答済みにできません

リディアは、扉下から滑り出た『水』の紙片を、犯人欄ではなく透明な保全紙に挟んだ。


 聖女院面会廊下の扉前で押し問答を続ければ、また「本人応答済み」と「本人未確認」の言葉だけが増える。リディアは王太子府標準時刻表写しを持ち上げ、廊下の脇へ目を向けた。


「この表が通った場所を見ます。扉の内側ではなく、外側で誰が何を確認したのかを」


 最初の控え台は、王太子府写字室からの受取箱だった。若い写字係が、紙束の前で青ざめている。写しの端には第三刻前の運搬印が押され、その下に『全応答済みへ繰上げ』の朱線が走っていた。


「私が運んだのは、写しだけです」


 写字係は絞り出すように言った。


「扉の内側の声は、聞いていません。水を受け取ったところも見ていません」


「では、そう書けます」


 リディアは運搬印の横に新しい欄を引く。


『写し運搬時刻。本人応答時刻に転用不可』


 写字係は震える手で自分の名を書いた。運んだ事実は消さない。だが、それを聖女エルミアの返事にしない。その一行だけで、控え台の空気が少し緩んだ。


 次は、聖女院夜番詰所だった。


 小さな灯皿が一本、消されずに残っている。夜番係の老女は、それを袖で隠すようにして立っていた。


「閉門済みにしろと言われました。全応答済みなら、灯りを残す理由はないと」


「理由はあります」


 リディアは保全紙の中の『水』を灯皿の前へ置いた。


「本人側の到達確認が終わるまで、この灯りは閉門違反ではありません。扉の中から水を求める紙が出た時点で、ここは閉じる場所ではなく、待つ場所です」


 夜番係は、灯芯の札を裏返した。


『本人側到達確認待ち灯。一灯保留。罰金処理不可』


 老女の指が、最後に自分の名を添えた。灯りが一本残っただけなのに、廊下の奥の暗さが引いたように見えた。


 最後に、薬湯棚へ向かう。


 棚の上の小鍋は冷め、返戻罰札が二枚置かれていた。薬湯係の少年が、唇を噛んでいる。


「温め直しが遅れたなら、僕の賃金を差し止めると。応答済みの人に薬湯を戻したことになるから」


「違います」


 リディアは冷めた鍋の底に触れた。


「標準時刻表が先に応答済みにしたから、薬湯が本人へ届かなかった。あなたの過失ではなく、生活影響明細の空白です」


 ミナがそっと少年の横に立った。


「私も、声を出せる前に読了済みにされました。空白のままなら、罰ではなく証拠になります」


 少年は返戻罰札を破らなかった。破れば、誰が押した罰か追えなくなる。代わりに、青い保留印の下へ書く。


『薬湯未到達。全応答済み繰上げによる返戻。賃金差止め保留』


 リディアは三枚の小さな記録を、標準時刻表写しの上に重ねた。


 写しを運んだ時刻。


 灯りを消さなかった理由。


 薬湯が戻された原因。


 そして一番上に、扉下の一文字。


『水』


「標準時刻表は、人の喉より先に一日を閉じられません」


 書記官が表を取り戻そうとした。その拍子に、余白の折り返しが開く。


 そこには古い条文があった。


『候補者全員、前日最終鐘で応答済みへ繰上げ可』


 適用責任者欄の角には、王太子府婚約契約管理室の印ではない、旧翻訳局の校閲印が、わずかに斜めの角度で混ざっていた。


 リディアはその印を指で覆わず、青い保留紙で囲む。


「次は、この旧校閲印が、誰の薬湯と閉門灯を本人応答にしたのかを読みます」

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