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辞表を出した王宮翻訳官、翌朝から王国の契約魔法が全部止まりました  作者: 花守りつ


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封鎖済み扉は、最終校閲ログの帰り道を閉じません

ロウが灯油瓶を床に置こうとした瞬間、封鎖扉の前で王太子府の警備線が鳴った。


「そこから先は保管室です。封鎖済みの場所へ、捜索用の物品は置けません」


 警備兵の声より先に、ユアンが灯を下げた。光は扉の紋章ではなく、床に残った細い埃の筋を照らしている。


 旧翻訳局最終校閲ログ保管室。

 扉には、封鎖済み、とだけ書かれていた。


 だが扉の脇には、誰かが小さな椅子を引きずった跡があった。大人用ではない。長く待つ人が腰を下ろし、低い札を読むための高さだった。


「開けるための灯油ではありません」


 ロウは瓶を抱え直し、ゆっくり言った。


「アデル先生が帰ってきたとき、ここが真っ暗だと、誰も名前を呼べません」


 リディアは封鎖紙に触れず、扉前の空白を見た。


「封鎖済みは、帰着確認済みではありません。ここは、破ってよい扉ではなく、帰る人の条件が揃うまで破ってはいけない保全扉です」


「では、物を置くこともできないのでは」


 警備兵が言うと、第三保管棚係のマルクが、腕の中の布を握りしめた。黒い綴じ紐と同じ棚から出てきた、旧校閲机の埃よけ布だった。


「捨てるよう言われました。封鎖済みの机に残す意味はない、と」


「机を片づける布ですか。それとも、帰った人が自分の場所を見つける布ですか」


 リディアが問うと、マルクは布をほどいた。端に、薄く名前札の跡が残っている。


 アデル。


 墨はかすれていたが、消えてはいなかった。


「私は、捨てません」


 マルクは布を扉の前の小台へ掛けた。証拠を隠すためではない。帰る人の机を、まだ机として待たせるためだった。


 ユアンが警備線を一歩だけ下げる。


「ここを封鎖解除区域にはしません。帰着確認待機場所にします。扉は開けません。けれど、灯と椅子と呼名札は置きます」


 ロウが灯油瓶を低い椅子の横へ置いた。瓶の肩に青い札を結ぶ。


『帰着確認待機灯。本人呼名前に消灯不可』


 リディアは、呼名札掛けを扉の把手よりずっと低い位置へ吊った。大人が命令として読む高さではない。疲れて戻った人が、自分の名前を確かめられる高さだった。


「封鎖済みを、閉じた証拠にしません」


 彼女は封鎖紙の下へ、青い保留印を押す。


『最終校閲ログ保管室。開封ではなく、帰着条件未完了として保全。灯油一本、低椅子一脚、呼名札掛け一つを生活側待機備品として認める』


 警備兵は反論しかけて、灯の横に置かれた小さな椅子を見た。誰かを捕まえるための椅子ではなかった。帰ってきた人を、立ったまま犯人にしないための椅子だった。


 その時、埃よけ布の裏から、古い細片が落ちた。


 マルクが拾い上げる。紙には、アデルの字とは違う震えた筆跡で、一行だけ書かれていた。


『第三署名を、声に戻せ。扉の中を読む前に、扉の前で名を呼べ』


 リディアは扉を見上げた。


 最終校閲ログは、まだ開かない。

 けれど、その前に、誰かの声を閉じ込めない場所ができた。

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