表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辞表を出した王宮翻訳官、翌朝から王国の契約魔法が全部止まりました  作者: 花守りつ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/73

代筆責任者欄は、井戸灯の朝を罰にできません

リディアは、封筒を破らなかった。


封の上から押した青い保留印が、雨で少し滲んでいる。けれど、その滲みは、婚約契約管理室のきれいな文字よりも先に、ネリオの震える指を守っていた。


『帰着済みを本人確認待ちへ変更。ただし門灯係ネリオを代筆責任者として処理』


訂正に見える言葉ほど、人を罰に移す。


「僕が、責任者になるんですか」


ネリオは、裏門灯管理簿を抱えたまま小さく聞いた。袖の中で手が縮こまり、東井戸の油札が半分だけ見えている。夜明け前、その札がなければ、井戸端の最初の灯は点かない。


「違います」


リディアは短く答えた。


「あなたは代筆責任者ではありません。写させられた文と、その文で脅された生活を見た証人です」


トマが門の鍵にかけていた手を止めた。


「閉門交代、まだ回しません。ネリオの当番が終わったことにすると、この写字命令も、東井戸の灯も、全部閉じた扱いになります」


「助かります」


リディアは、封筒の横に四本の線を引いた。


一つ目。誰が言わせたか。


二つ目。何を書かされたか。


三つ目。その字で誰の水と灯が止まるか。


四つ目。写した者は罰せられる責任者か、生活影響を受けた証人か。


「代筆責任者という欄は、この四つを混ぜています。混ぜたままなら、帰っていない候補者も、井戸の朝も、あなた一人の罰にされる」


ネリオの喉が鳴った。


「でも、僕は帰着済みって書きました」


「書いた事実は消しません」


リディアは封筒を開けず、外側の文面をそのまま写した。


「だから証拠になります。けれど、書かされた理由を本人の悪意に変えてはいけません」


ミナが、黒髪候補者の食事札を持って前へ出た。


札の端には、まだ未受領の穴が残っている。


「この人、まだ食べていません。帰ったなら、夜食の受け取りがあるはずです」


彼女は札の余白に、自分の字で書いた。


『黒髪候補者、夜食未受領。帰着確認待ちのまま保留』


その文字は、上手ではなかった。けれど、誰かの食べていない夜を、机の上に戻すには十分だった。


ユアンはロウ捜索灯の油皿を持ち上げ、裏門の外ではなく、東井戸へ向かう細道へ光を伸ばした。


「井戸灯が罰で外されるなら、黒髪候補者の帰路も、東井戸の朝も同じ命令で動いています。捜索線を一本、井戸側へ延長します」


雨に濡れた石畳の先で、光が桶置き場を照らした。朝一番に水を汲むための木桶が三つ、逆さに伏せられている。


桶の把手には、小さな木札が結ばれていた。東井戸一番水、粉屋の練り水、施療院の冷まし水、そしてネリオの母の名。灯が消えれば、水そのものが消えるのではない。けれど、暗い段差で誰かが転び、最初の桶が遅れ、粉屋の朝も施療院の薬も少しずつ遅れる。


リディアはその木札を一枚ずつ机に写した。


「井戸灯は、門灯係への罰で外せる飾りではありません。粉屋と施療院と、あなたのお母さまの足元へ届く予約分です」


ネリオはそれを見て、初めて顔を上げた。


「母が、夜明けにそこへ来ます。僕の灯がなかったら、段差で転ぶんです」


「では、それを書いてください」


リディアは新しい青札を差し出した。


『東井戸夜明け水・灯火影響欄』


ネリオはしばらくペンを握れなかった。責任者として名前を書く欄には何度も追い立てられたのだろう。けれど、証人として朝を書く欄は、誰にも渡されていなかった。


やがて、彼は小さく息を吸った。


『門灯係ネリオ。帰着済み写字を拒めば東井戸の灯油札を外すと言われた。東井戸では、夜明け水の最初の桶に灯が必要』


最後に、自分の名前を書いた。


その瞬間、罰札だった油札は、証人保護札に変わった。


トマが門の脇に青札を吊るす。


「東井戸灯油札、朝番終了まで没収不可。門灯係交代、本人証言保全まで未了」


小さな報酬は、門の向こうで灯が一つ残ることとして現れた。


井戸の水はまだ汲まれていない。黒髪候補者も、まだ帰っていない。けれど、朝を罰に使う線だけは、ここで止まった。


リディアは、婚約契約管理室の訂正封筒を青い紐で縛り直した。


「この訂正は、訂正ではありません。帰着済みの責任を、帰っていない人から、写した子どもへ移す命令です」


封筒の底から、薄い控え紙が一枚滑り落ちた。


ユアンが拾い上げる。


そこには、別の欄があった。


『黒髪候補者 本人確認待ち』


その下。


『同伴者欄 証人転記待ち』


さらに端に、小さく、聖女院略号Eの写しが押されている。


ミナが食事札を握りしめた。


「次は、見た人を責任者にするつもりですか」


リディアは青い保留印を、同伴者欄の上へ置いた。


「同伴者は、責任を押しつける空欄ではありません。帰れなかった人を、最後に誰が見たかを守る欄です」


東井戸へ伸びた光が、雨の中で揺れた。


まだ帰っていない人のために、朝の灯は消えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ