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辞表を出した王宮翻訳官、翌朝から王国の契約魔法が全部止まりました  作者: 花守りつ


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裏門灯管理係の二刻四十分帰着済み

『候補者控室裏門灯管理簿 二刻四十分 帰着済み』


その一行は、短かった。


短い行ほど、人の足音を消す。


リディアは、帰路札束から外した封緘紐を机の端へ置き、裏門灯管理簿を開いた。紙はまだ新しい。けれど、二刻四十分の欄だけ、インクの乾き方が違っていた。


「帰着済み、ですか」


ミナが小さく言った。


候補者控室の窓の外は、まだ夜だった。門灯は細く、雨粒に滲んでいる。さっきまでロウ捜索灯が照らしていた裏門の石畳には、足跡が途中で途切れていた。


「門灯札は、切り離されていません」


ユアンが、黒髪候補者の青い札を両手で持っていた。


札には、名前の欄が白いまま残っている。候補者番号だけがあり、門を通った時刻も、外套を返した印も、水札を受け取った印もない。


それなのに、管理簿には帰着済みとある。


「帰着済みという字を、四つに分けます」


リディアは、紙の余白に線を引いた。


門を通った足。


返した外套。


飲めた水。


翌朝、名前を呼べる宿舎。


「この四つのうち、一つも読めないまま帰着済みにしてはいけません」


門灯係の少年が、肩をすくめた。まだ十四、五に見える。制服の袖は長すぎ、帳簿を持つ指はかじかんで赤い。


「でも、上から帰着済みで写せと言われました。候補者控室の人数を閉じないと、門灯を消せないって」


「あなたの名は?」


「ネリオ、です。裏門灯の臨時係で……本当は、東井戸の灯り番です」


その答えに、トマが眉を上げた。


「臨時係に、候補者の帰着済みを写させたのか」


ネリオは唇を噛んだ。


「写さないと、明日の井戸灯当番を外すって。井戸灯を外されると、母が夜明けに水を汲めません」


帰着済みの一行が、急に別の顔をした。


黒髪候補者を閉じるためだけではない。門灯係の少年の朝の水まで、人質にされていた。


リディアは、帰着済みの横に青い点を置いた。


「ネリオ。あなたが写したのは、本人の帰着ではありません。上から渡された字と、あなたの井戸灯を守りたい気持ちです」


ネリオの目が揺れた。


「じゃあ、僕は嘘を」


「嘘を閉じる側に置かれました。だから、嘘をついた人として閉じません」


リディアは新しい欄を書いた。


『門灯係写字理由』


その隣に、もう一つ。


『本人帰着条件未到達』


「帰着済みの字は保全します。消しません。けれど、本人が帰った証拠ではなく、誰がどの理由で帰着済みと写させたのかを読む欄へ移します」


ミナが、黒髪候補者の札を見つめた。


「この人は、まだ帰っていない人ですか」


「少なくとも、ここでは帰ったと読めません」


リディアは、門灯札の紐を切らなかった。


「門を通った足跡がない。外套返却印がない。水札受領印がない。宿舎の呼名がない。帰着済みではなく、帰着確認待ちです」


小さな報酬は、門灯を消さないこととして現れた。


ユアンのロウ捜索灯は、裏門の外へさらに一間ぶん伸ばされた。カイルが持ってきた予備の水札は、黒髪候補者の札の横に置かれた。ミナは候補者控室の食事札を一枚、未受領のまま保留棚へ戻した。


そしてネリオは、自分の字で書いた。


『二刻四十分帰着済みは、上位控えを写字。本人到着・外套返却・水札受領・宿舎呼名、いずれも未確認』


彼の手は震えていた。けれど、最後まで自分の名を書いた。


「僕の井戸灯は、外されますか」


「外させません」


リディアは、門灯管理簿の下にもう一枚、生活影響明細を挟んだ。


『門灯係への写字命令が、東井戸の夜明け水に影響する場合、その命令は生活影響未添付として未発令』


トマが短く息を吐いた。


「門灯の一行で、井戸の水まで動かしていたのか」


「だから、帰着済みを一行で閉じてはいけないのです」


リディアは、黒髪候補者の未切離し札、ネリオの写字理由、ロウ捜索灯の油札を同じ板に留めた。


帰った人の棚ではない。


まだ帰れていない人と、帰ったことにさせられた字を守る棚だった。


その時、裏門の小窓が叩かれた。


雨に濡れた配達人が、封筒を差し出す。


「婚約契約管理室から、二刻四十分の訂正控えです」


封筒の表には、きれいな字でこう書かれていた。


『帰着済みを本人確認待ちへ変更。ただし門灯係ネリオを代筆責任者として処理』


ネリオの顔から、血の気が引いた。


リディアは、封筒を破らず、青い保留印を押した。


「次は、帰っていない人の字を、写した子どもの責任にするつもりですね」


門灯は、まだ消えなかった。


「代筆責任者ではありません。未確認の帰着済みを渡された、生活影響を受ける証人です」

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