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辞表を出した王宮翻訳官、翌朝から王国の契約魔法が全部止まりました  作者: 花守りつ


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署名者空白欄の裏面略号E

署名者、空白。


 その空白の裏にだけ、聖女院略号Eの写しがあった。


 ミナの指が、食事札の端を握りしめる。

 サラの帰宿未確認欄も、ロウの捜索灯も、まだ閉じていない。

 なのに奥帳簿は、空白の上から、きれいな略号だけを押し出そうとしていた。


「エルミア様の、E……ですか」


 ミナの声は小さい。

 責める声ではなかった。

 怖がる声だった。


「まだ、名前にしません」


 リディアは青い保留印を、署名者空白欄の表ではなく、裏面の写しにだけ置いた。


 ぱしん。


 略号Eの線が、少し薄くなる。

 代わりに、三つの欄が白く開いた。


 原署名者。

 写し作成者。

 裏面転記責任者。


「同じEでも、誰が署名したか、誰が写したか、誰の責任で裏へ貼ったかは別です」


 リディアは白札に書き分ける。


 署名者空白。

 署名者本人確認、未了。

 聖女院略号E、裏面写し。

 本人同意欄、未発見。

 生活影響明細への接続、食事札三枚・帰路札四枚・捜索灯一灯。


「生活影響……」


 トマが眉を寄せた。


「この略号があるだけで、食事札や帰路札まで動くんですか」

「動かされそうになっています」


 リディアは、三枚目の食事札を指した。


「だから、略号を犯人札にしてはいけません。犯人札にすると、誰か一人を責めて処理済みにできます。けれど生活影響は閉じません」


 奥帳簿の赤い文字が走った。


 聖女院略号Eは、儀礼上の承認補助記号である。

 補助記号は署名者空白を補完できる。


「補完できません」


 リディアは即座に返した。


「少なくとも、この明細では無理です。食事札を誰が食べたか、帰路札で誰が門を通ったか、ロウさんの捜索灯を誰が止める責任を負うか。その三つを本人が読める言葉で示さない限り、補助記号は署名になりません」


 ミナが、はっと顔を上げた。


「じゃあ、もしエルミア様の略号でも」

「エルミア様本人が、この三つを読んで承認した証拠にはなりません」


 リディアは、略号Eの横へ小さな欄を増やす。


 略号E。

 本人読了、未確認。

 候補者外食事札の回収影響、未説明。

 運搬人ロウ・カイル捜索灯停止影響、未説明。

 旧翻訳局出向番号七一への責任移管影響、未説明。


「未説明のままなら、略号は略号です」


 青い保留印が二度目に落ちた。


 ぱしん。


 奥帳簿の裏面から、細い紙片が一枚はがれた。


 聖女院略号E写し。

 貼付者、王太子府婚約契約管理室・第三保管棚係。

 貼付時刻、深夜二刻三十九分。

 貼付根拠、旧翻訳局退職処理済み印の封緘角度と一致。


「深夜二刻三十九分……」


 ユアンが青ざめる。


「ロウさんの帰着済みにされた二刻三十六分より、後です」


 トマが鍵束貸出票を叩いた。


「七番鍵が返納箱を通った疑いのあと、略号Eが裏に貼られている。順番が逆だ。署名があって責任移管じゃない。責任移管を閉じるために、あとから略号を貼った」


 赤い文字が、机の端まで滲んだ。


 第三保管棚係の貼付は、聖女院承認を代行する。


「代行するなら、誰の帰路を動かすのかを書いてください」


 リディアは新しい白札を置いた。


 第三保管棚係。

 聖女院略号E裏面貼付。

 生活影響明細、未添付。

 本人同意欄、未添付。

 帰路・食事・捜索灯への影響、未説明。

 よって、署名補完として未発令。


 ミナが、震えながら自分の名を添えた。


 ミナ・レイ。

 略号Eを見せられた記憶なし。

 三枚目の候補者は、食べる前に呼ばれた。

 聖女院係の説明、聞いていない。


 ユアンも書く。


 下級写字係ユアン・リット。

 ロウ・カイル捜索灯、略号Eを理由に停止されていない。

 停止命令を受けた場合、本人帰着未確認として異議。


 トマが続けた。


 鍵管理係トマ。

 第三保管棚係による裏面貼付は、鍵束貸出規則上、原署名者確認の代替にならない。


 三つの証言が並ぶと、略号Eは消えなかった。

 消えないまま、犯人欄から離れた。


 聖女院略号E。

 本人名への転記、保留。

 裏面貼付者の責任照会、開始。


「エルミア様を守るんですか」


 ミナが尋ねる。


「名前を、勝手に使われることから守ります」


 リディアは答えた。


「それは、サラさんの食事札を守ることと同じです。ロウさんの捜索灯を消さないことと同じです。本人が読んでいない名前は、誰かの閉じ札にしてはいけません」


 その時、奥帳簿の底で、別の封緘が鳴った。


 第三保管棚係、照会先。

 王太子府婚約契約管理室、封緘裏写し担当。

 担当者欄、退職処理済み印写し。

 角度、リディア・オルステッド旧職能印と一致。


 トマが息を呑む。


「また、リディアさんの印写し……」


 リディアは手を止めなかった。

 自分の名へ飛びつけば、また誰かの空白が閉じる。


 だから、彼女は白札を一枚、いちばん上に置いた。


 封緘裏写し担当。

 氏名、未照合。

 旧職能印写し、本人署名にあらず。

 食事札・帰路札・捜索灯への影響明細、未添付。


「次は、私の旧職能印写しが、誰の手で裏面に回されたのかを読みます」


 青い保留印の下で、空白の担当者欄が一画だけ震えた。


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