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地表編 最終話 第一巻完結



「大丈夫か、カナリア? 何かあったら、お父さんに何でも言うんだぞ?」


「えっと……さすがに、お父さんは無理です。でも、助けていただいてありがとうございます」


 カナリアは人差し指で頬を掻きながら、照れ臭そうにはにかむ。


「幼い私が教えてくれたこの思い……これで私は、私の意思で、私のために復讐できます」


 その表情には、先程までよりも幼さが垣間見えた。


 カウルは無性に保護欲を掻き立てられながらも、娘の成長を喜ぶ父親のように涙ぐむ。


「おい。あとは俺に任せろって言ったのに……仕方ないな」


「ありがとうございます。でも、これは私がやらなければ、私自身が報われないんです」


 決意を固めたカナリアの目を見て、これ以上言葉を重ねるのは無粋だと悟ったのだろう。


 カウルは、誇らしさの入り混じった溜め息を吐きながら肩をすくめた。


「まったく……そういう少し頑固で、いざという時には好戦的になるところ。メルフィにそっくりだな」


 カウルは懐かしむように目を細める。


「キルケが君を大切にしていた理由は、それだけで説明がついてしまう。もっと早く紹介してほしかった。それだけが残念だよ」


 腕を組んで見守るカウルへ、カナリアは困ったように愛想笑いを浮かべてから、意識を集中させる。


「カナリア。好きにしてみればいい。お父さんが尻拭いをしてやる」


「――はい!」


 記憶を複合したカナリアは、これまで魔術で隠していた張りぼての翼と天使の輪を展開する。


 本来の能力である、万物を癒やす天使の羽で、自らの肉体を回復。


 人々を祝福し、導く幸運の天使の輪によって、その能力を最大限まで上昇させる。


 天使としての力を余すところなく発揮し、カナリアは杖へ再び全魔力を注ぎ込んだ。


「これは私のけじめです。これが、私の物語の叛逆だから!!!!」


 幼い自分が受けた屈辱。


 あまりにも凄惨な経験によって、今も天使を目にしただけで、全身の震えが止まらない。


――でも、今は私が、私のためにやらなくちゃいけないんだ!!


「私がやらなければ、幼い私が報われない!!」


 燃え上がる森林が焼け野原へ変わっても、飽きることなく嬉々として矢を放ち続けている天使たち。


 だが突如として、翼に備わる飛行能力が機能を停止して次々と墜落を始める。


「な……なんだ、これ!?」


 墜落した天使の一人が腰を抜かし、目の前へ広がる光景に驚愕しながら声を震わせる。


――展開、展開、展開、展開、展開、展開。


「私は全てを行使する!! たとえこれが虚勢でも構わない!! だから抗え!!」


 震える口元を吊り上げ、カナリアは声を張り上げる。


「キルケが生きた証、その全てを陵辱したお前たちを、私は赦さない!! 弟を貶したことも、絶対に赦さない!!」


 手にした杖へ、世界中の魔素が集まっていく。


 杖の先端へと続く魔術回路が、集められた魔素を魔力へ変換する。


「私が……何の対策もしていないと考えていたのなら、浅はかだったわね!!」


「はは……すごい! すごいぞ!! キルケめ、とんでもないものを遺して逝きやがったな!」


 カウルさえ額へ冷や汗を浮かべるほどの、膨大な魔素。


 それらが暴発寸前の杖へ、これでもかと注ぎ込まれていく。


 変換された魔力が先端から溢れ、魔硝石の周囲へ、六つの巨大な数字が衛星のように浮かび上がった。


『Imaginary number space connection……OK. Small scale……set. Checklist complete』


 旧古代文字を発しながら魔術演算を行うこの杖は、キルケが生前愛用していたものだった。


 かつて大天使スパルダエスとの戦いで破壊されたが、悲しんでいたキルケのため、カウルが断りもなく魔改造を施したらしい。


『もちろん、カウルに直してもらったことには感謝しているさね』


 そう語ったキルケの表情は、喜怒哀楽の全てが入り混じった複雑なものだった。


 その光景を思い出し、カナリアは懐かしさに目を細める。


 脳裏を過ぎる過去の思い出が、僅かに肩の力を抜かせ、勇気を与えてくれた。


「天地の構築と崩壊を司り、開闢の朝を指し示せ。全ての結果は過程であり、全ての事象は森羅万象へと通ずる。万物の起源よ、現世を揺らせ!!」


 カナリアは杖を天へ掲げる。


「フロム・シックス・オリジン!!」


 魔硝石に蓄積されていたキルケの数十年分の魔素と、カナリアが注ぎ込んだ魔力が一気に解放される。


 大樹を取り囲むように展開されていた大小無数の魔法陣が、一斉に起動。


「そこにキルケの防御結界と隠蔽魔術しかないと思った?」


 肉体への反動によって、カナリアの鼻から血が流れ落ちる。


 明らかな無茶をしている。


 それでもカナリアは止まらない。


「残念だけど、私が天使である以上、あなたたちが来るという最悪の事態は想定済みよ」


 もう恐怖は、どこにもなかった。


「ここから先は私の責任!! 死ぬ前に耳の穴をかっぽじって、よく聞きなさい!!」


 カナリアは杖を強く握り締める。


「私はカナリア!! 天使殺しのキルケに育てられた、唯一の天使殺しだ!!!!」


 羽ばたくことさえできず、荒野を走って逃げる天使たち。


 そこにはもう、身を隠せる場所など一つも残されていなかった。


「おい……おいおいおいおい!! なんだよ、あれ! 何なんだよ!! 魔法陣の中へ、さらに巨大な魔法陣を構築するなんて芸当、見たことも聞いたこともねぇぞ!!」


 逃げ惑う天使たちにとって、目の前へ広がった魔法陣は、ただ無差別に攻撃するためのものにしか見えなかっただろう。


 しかし、遠方から眺める者の目には、それが何であるかは明らかだった。


 規則的な円環を描く、巨大な魔法陣。


 圧倒的な魔力処理と魔術回路によって発動した複合魔法は、大地を裂き、天を揺るがし、決して現れてはならない黒く禍々しい歪みを生み出す。


 そいつが姿を現したのは、僅か十秒間だった。


 額と両目の三か所へ色相環を宿した、人の形をした深淵の怪物。 


 それが雄叫びを上げた二秒。


 天使たちが怪物へ吸い込まれた五秒。


 そして、世界の秩序が崩壊した三秒。


 それは決して結び付けてはならない、外なる神。


 世界の根底すら揺るがす、悍ましい何かだった。


「やはり……やはり私の選択は、何一つ間違っていなかった!! 世界の座標が!! 世界線が繋がった!!」


 天界で玉座に鎮座する男が、耳元まで裂けそうなほど口角を吊り上げて微笑む。


 一方、地表では、竜の角を持つ男が鋭く舌打ちをした。


「色彩戦争で拒絶したが、まさか次元の歪みな割って入ってきたのか?」


 息を呑んで見守っていたカウルの額に、数億年ぶりとなる汗が滲む。


 この世界が魔法時代を迎える以前、色彩戦争によって世界を脅かした存在。


 空から世界を見つめる黒き月の使者。


 カナリアが呼び出したものは、色喰の上位種。


 ズルーワンだった。


 色彩時代の怪物を屠るため、カウルが全力を解放しようとした、その瞬間。


 カナリアが事前に組み込んでいた安全装置が作動し、ズルーワンを召喚していた魔法陣が自壊を始めた。


「まさか……自分が意識を失うことまで計算に入れて、安全装置を掛けていたのか……」


 魔法の行使によって気を失ったカナリアを、カウルがすかさず抱き留める。


 雲が不規則に流れ始め、世界そのものが逆行を始めたかのような光景を前に、カウルは素直に脱帽した。


 それが姿を現した時間は、僅か十秒足らず。


 にもかかわらず、この日を境として、世界の構造は大きく変わってしまった。


 その事実を、カナリアはまだ知らない。


          ◆


 天使を駆逐してから、一か月。


 カナリアは焼け野原となった大樹の周辺を綺麗に整え、大樹が腐敗しないよう、最後の保存魔法を掛け終えた。


「もういいのか?」


「はい。これ以上ここにいても、何も変わりませんから」


 カナリアは大樹へ背を向ける。


「私は、私がすべきことをします。ストレージナイフによって奪われていた、私の願いを叶えるために」


 キルケから託されたナイフと遺書を抱き、一歩、また一歩と、カウルの後ろを歩き始める。


「弟を、あの空から奪還します」


 カナリアが魔法を行使した後、空へ姿を消したマリアと天使たちが、再び現れることはなかった。


「…………」


 徐々に重くなる足取り。


 それは樹海から出たことのない身体が、未知の世界を恐れているからなのか。


 それとも、この場所を離れることへの名残惜しさからなのか。


 カナリアの足が、不意に止まった。


 無意識のうちに懐へ手を伸ばし、毎日読み返しているキルケの遺書を取り出そうとした、その時。


 背後から吹き荒れた強い風が追い風となり、立ち止まっていたカナリアの身体を無理矢理前へ押し出した。


「あっ!」


 油断していたカナリアの手から遺書が離れる。


 ひらひらと舞い散る花びらが手紙を絡め取り、空高く舞い上げていった。


「キルケ……あなたは、今もそこにいるんだね」


 きっと、ただの気のせいなのだろう。


 それでもカナリアには、背中を押してくれた風が、どうしようもなく愛おしく感じられた。


「キルケ……じゃあね」


『行ってらっしゃい。いつでも帰ってきていいからね』


 呟いた独り言へ答えたのは、春風に紛れた、聞き慣れた懐かしい声だった。


 振り返れば、光の差す中で、キルケの幻影が優しく手を振りながら微笑んでいる。


「今まで……私を育ててくれて……ありがとう!!」


 カナリアは大きく手を振り返し、前を向いた。


 そして、自らの足で大地を歩き始める。


 キルケとの約束を果たすため。


 行方不明の弟を見つけ出すため。


 アンリユと、家族と、もう一度共に過ごすため。


 覚悟を新たにしたカナリアは、カウルの背中へ向かって駆け出した。


 移ろいゆく空の下。


 堕とされた天使の、長く険しい旅が始まった。


          ~第一巻、完~


ここまで読でいただいてありがとうございました。


もう何年も書いていますが、この作品は思い入れのある作品なので感想等を書いて頂けると本当に励みになります。


続編は個人的に書く予定ではありますが、何も反応がなければ数年、下手をしたらなにも更新は何もしません。


とりあえずは新人賞に応募しますのでこれで更新は一旦終わります。


読んでいただいた読者様、本当にありがとうございました。

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