第9章 海神族、渡来人と神武東征時の付き従った氏族
記紀神話(『古事記』『日本書紀』)に描かれる「神武東征」において、初代天皇となる神武天皇の東進を支え、のちに大和王権の中枢を担うことになる氏族たちの顔ぶれを見ると、これまで検証してきた「福岡・北九州・宇佐の海神族・渡来人ネットワーク」が、そのまま神武軍の主力(推進力)であったことが伺えます。
神武東征とは、宮崎(邪馬台国)の勢力が、大分(宇佐)や北九州の海神族・渡来人の強力な軍事力・航海術・鉄器テクノロジーを吸収しながら東へ向かった「九州大連合による一大プロジェクト」だったのです。
その決定的な関係性を、神武に従った主要な氏族とルートからみていきます。
神武天皇が宮崎(日向)を出発して最初に立ち寄ったのが、大分県北部の「宇佐」です。
つまり、かつての邪馬台国の北限である別府湾から国東半島を越えた先の最初の勢力ということになります。
ここで神武を熱烈に迎え、宮殿を建てて食事を奉じたのが菟狭津彦・菟狭津姫という地元の首長です。
この宇佐の地で神武軍が手に入れたのは、のちにこの地を一大拠点とする渡来系氏族(秦氏・辛嶋氏)のルーツとなる人々がもたらした「鉄の武器」や「軍資金(鉱物資源)」であったと考えられます。
宇佐での補給があったからこそ、神武軍は一過性の地方勢力から「天下を狙える武装集団」へと脱皮できました。
宇佐の勢力は、のちに大和朝廷の祭祀(神事)を司る中臣氏(藤原氏の祖)や、忌部氏と深く繋がっています。
宇佐を発った神武軍は、福岡県遠賀川流域の「岡田宮」や、北九州の関門海峡周辺(埃宮など)に数年間滞在し、瀬戸内海へ漕ぎ出すための準備を進めます。ここで軍に加わったのが、まさに海神族の系譜です。
神武が関門海峡(速吸門)に差し掛かった際、亀の甲羅に乗って釣りをしながら現れた謎の男・珍彦(のちの椎根津彦)を軍に迎え入れます。
彼は倭宿禰の祖であり、海神族の血を引く「潮の流れを知り尽くした海の天才」でした。
この珍彦の正体こそ、北九州から瀬戸内海にかけての制海権を握っていた海神族(阿曇氏や珍彦を祖とする大和国造の氏族)です。
彼らが先導し、頑丈な軍船を提供したからこそ、神武軍は瀬戸内海の荒波や激しい潮流(鳴門海峡など)を突破することができました。




