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第48章 日下部のはじまり

5世紀後半、中央政界の絶対権力者だった名門・葛城氏を滅ぼした「雄略天皇」の治世は、南九州(宮崎平野)の諸県君や在地勢力にとっても「王権との対等な同盟関係の終わり」と「冷徹な直轄地化・軍事動員へのシフト」を意味する大きな転換点となりました。


諸県君は、一族の髪長媛が仁徳天皇の妃となったことで王権中枢への強力なパイプを持っていましたが、その婚姻関係の政治的背景には、当時ヤマト王権を実質的にリードしていた葛城氏との同盟がありました。

しかし、雄略天皇によって葛城氏が容赦なく粛清・滅ぼされたことで、諸県君は中央における最大の同盟者であり後ろ盾を失いました。

そして、雄略天皇の時代(5世紀後半)を境に、宮崎平野(西都原古墳群など)における超大型の前方後円墳の造営はピタリと止まります。

これは中央の葛城氏(技術や富の提供者)の滅亡と、諸県君の勢力減退が完全に連動していたことを示しています。


雄略天皇は、諸豪族の連合体だったヤマト王権を「天皇を中心とした強力な専制国家」へと変革しようとした人物です。

そのために地方へ導入したのが、王権直轄の労働部族・専門技能集団(部民)の設置でした。

雄略天皇は、自身の皇后である草香幡梭姫皇女(くさかのりはたひめのみこ)の名代として、全国に「日下部」という直轄部を置きました。

宮崎平野(日向国)にもこの日下部が設置され、のちの律令制下でも「日下部氏」が地域の有力者として登場します。

かつて諸県君が葛城氏と結んで管理していた宮崎平野の豊かな水田や、先進的な「馬飼(軍馬育成)」の利権を、雄略天皇が「天皇家の直轄財産」として没収・再編したと考えられます。

雄略天皇の時代は、朝鮮半島の高句麗・新羅・百済との緊張が高まり、ヤマト王権が大規模な軍事介入を繰り返した時代(いわゆる「倭の五王」の武の時代)でもあります。

雄略天皇は、諸県君の弱体化に乗じる形で、宮崎平野やさらに南の在地勢力(のちの隼人集団)の優れた軍事力(弓矢の技術や、戦闘能力)に着目し、海外遠征の兵力として激しく動員しました。

この時期を境に、南九州の民が天皇の宮殿を警護する近衛兵や、宮廷の儀礼(服属の儀式)を執り行う集団として、大和(奈良)へ直接移住させられる動きが本格化します。(侍の源流)

諸県君と葛城氏が健在だった5世紀前半の宮崎平野は、中央と強い絆で結ばれた「半独立の先進地域」でした。

しかし、雄略天皇による中央集権化(葛城氏滅亡)により、宮崎平野は王権の経済的・軍事的な「直轄補給基地」へと変質させられることになったのです。

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