第41章 「シワ」と「スワ」
岩手県や宮城県の「紫波」「志和」という地名、そして長野県の「諏訪」の3者の関係性は、音声の類似(しわ/すわ)という言語学的な変化だけでなく、大和王権の進軍に伴う「国境の端」の移動、そして諏訪を本拠地とした巨大氏族(ミシャグジ信仰・水軍)の東北への入植という、地政学と氏族の二重の地層によって深く結びついています。
これまで太平洋側を「鹿島・多賀の神威」とともに北上してきた大和王権のエネルギーが、岩手県の中部(紫波)に到達したとき、なぜ「シワ」と「スワ」のネットワークが交錯したのでしょうか?
[鹽竈神社・志波彦神社](宮城県)の公式な由緒などによると、古代史における「志波(志和・紫波)」とは、「物のシワ(皺)」、つまり「端」や「境界線」を指す言葉とされています。
大和王権の支配領域(律令国家の国境)が北へ進むにつれ、その時々の「最前線の端」を「シワ」と呼び、そこに祀られた土着の国津神を「志波彦」や「志波姫」と呼びました。
宮城の志波(仙台市志波町、栗原市志波姫)は、8世紀前半までの王権の端でした。
岩手の志波(紫波郡紫波町、志波城)は、8世紀末〜9世紀初頭、坂上田村麻呂が到達した王権の最北の端でした。
このように、「シワ(志和)」とは大和王権の拡大とともに北へと遷り変わっていった「フロンティア(国境線)」そのものを表す地名なのです。
地名が「境界の端」を意味する一方で、この岩手の紫波(志和)の地には、長野県の「諏訪大社」を仰ぐ強力な氏族や兵士たちが、大和王権の国策によって大量に入植(開拓植民)していました。
諏訪大社の祭神である建御名方神は、神話の「国譲り」で鹿島神と戦った最強の国津神です。
鹿島神と同様に非常に強力な「武神・狩猟の神」であり、東国(信濃国・長野)の兵士たちの絶対的な守護神でした。
坂上田村麻呂が岩手に「志波城」を築いて蝦夷を制圧した際、最前線の維持と開拓のために、信濃(諏訪)から多くの農民兵(柵戸・きのへ)がこの地へ強制・推奨移住させられました。
彼らは故郷の神である「諏訪明神」を岩手の紫波に勧請しました。
現在も紫波町の[走湯神社]の境内に「諏訪神社」が祀られているのは、この入植の生々しい足跡です。
言語学や考古学の視点からは、さらに一歩踏み込んだ「シワとスワは、そもそも古代の同じ信仰の音のブレだったのではないか」という驚くべき仮説も存在します。
諏訪大社の原初的な信仰である「ミシャグジ神」(シャグジ、ソグジとも呼ばれる)は、「境界(シワ・境)を守る神」であり、石や巨木に宿る精霊です。
岩手の紫波(志和)の名前のルーツとされる古社[志賀理和気神社](紫波町)の境内には、北上川から引き揚げられたとされる「赤い巨石(赤石)」が祀られ、古くからの自然崇拝(精霊信仰)の形を今に伝えています。
つまり、言葉としての「大和の端」、東国の兵士が持ち込んだ「諏訪の武神」、そして双方が元々持っていた「境界を守る精霊信仰」の3つのレイヤー(地層)が、岩手の北上川流域という巨大なフロンティアでピタリと重なり合い、「紫波・志和」という美しくもミステリアスな地名と信仰のネットワークを完成させたのです。




