第39章 1200年の時を超えて、現在の宮城県周辺に息づく「多賀・塩竈・鹿島」の三大ネットワーク
大和王権の東北征服作戦から1200年以上の時を超えた現代、宮城県周辺(特に仙台平野・塩釜・石巻エリア)には、「多賀・塩竈・鹿島」の三大宗教ネットワークが、地域を代表する熱気溢れるお祭りや、人々の暮らしを守る強力な信仰のインフラとして色濃く息づいています。
かつて蝦夷を制圧・融和するために配置された軍事・宗教ラインは、中世の奥州藤原氏や近世の伊達政宗によるアップデートを経て、現代では「海の生命力」「五穀豊穣」「航海安全」を祝う壮大な民衆文化へと昇華しました。
毎年海の日に開催され、東北の夏の訪れを告げる「塩竈みなと祭」は、まさに三大ネットワークが現代に再現される最大の宗教的・文化的イベントです。
神輿を載せた[志波彦神社・鹽竈神社]の「鳳凰丸」と、近隣の神社を巻き込む「鷁首丸」を筆頭に、約100隻の大船団が松島湾を巡航します。
この神輿が海を渡るルートは、古代大和王権の水軍が通った航路そのものです。
このお祭りには、塩竈(塩竈神社)の神々だけでなく、周辺の多賀地域(多賀城・多賀神社周辺)の氏子や、松島湾沿岸の鹿島信仰のネットワークが総出で参加します。
かつて軍事補給線を守るために結託した神々の絆が、現在は「宮城の漁業・水産業の繁栄を祈る一大カーニバル」として機能しています。
古代、兵士の命を護る呪術結界だった「多賀(イザナギの延命長寿)」と、武器・製鉄を司った「鹿島(武甕槌命の強さ)」は、現代の宮城において「子供の健全な成長を祈る文化」へと見事にスライドしています。
名取市や仙台市泉区などに点在する多賀神社は、現在も「延命長寿」「子どもの虫封じ(病気除け)」の神様として絶大な信頼(多賀神社の「お多賀さん」信仰)を集めています。
石巻の日和山にある[鹿島御児神社]や南相馬の鹿島御児神社では、武神の「御子(子ども)」を祀るという性質から、子どもが病気に負けず、強く逞しく育つようにと、七五三や初詣の時期には数多くの家族連れで賑わいます。
かつて蝦夷との死闘を前に兵士たちが祈った切実な「生の渇望」が、今は子どもたちへの優しい願いへと形を変えているのです。
江戸時代、仙台藩を拓いた伊達政宗は、大和王権が敷いたこの「多賀・塩竈・鹿島」の神威(宗教ネットワーク)を決して無視しませんでした。
むしろ、自らの城下町(仙台)を守るために、この三大ネットワークを再配置しました。
政宗は、仙台城の東北(鬼門)や主要な街道の入り口に、塩竈神社から分祀した社(現在の仙台市宮城野区の塩竈神社など)や、鹿島神社を意図的に配置しました。
これにより、王権の東北征服マップが、そのまま「伊達政宗の領国平穏の防衛マップ」へと引き継がれたのです。
これら伊達家によって保護された神社ネットワークは、現代の宮城の代名詞である「仙台初売り」の景気づけの参拝や、各地域の商店街の秋祭り(五穀豊穣・商売繁盛)のバックボーンとなっています。




