第24章 娘の一人である「倭姫命」が、なぜ元伊勢(丹後)を経て伊勢神宮を建てたのか
倭姫命が現在の伊勢神宮を建てる前、わざわざ丹後(元伊勢)を経由した最大の理由は、「倭姫命自身の母親の実家が丹後(丹波道主命)であり、大和王権にとって最も信頼できる最高峰の神聖な経済・宗教拠点だったから」です。
伊勢神宮の起源を語る『倭姫命世記』などの伝承によると、皇祖神である天照大御神の御神体を乗せ、最適な鎮座地を求めて旅をした場所を「元伊勢」と呼びます。その中でもなぜ丹後が極めて重要な意味を持つのか?
文献上の最大の理由は、倭姫命自身の血筋にあります。
倭姫命の父親は垂仁天皇ですが、母親は丹波道主命の娘である比葉訶比売命です。
大和の宮中を出て神聖な霊代(八咫鏡)を運ぶという国家最大の極秘ミッションにおいて、倭姫命にとって最も心強く、軍事的にも経済的にも完全に信頼できるバックアップ勢力が、母方の実家である丹後(丹波)の王宮だったのです。
また、伊勢神宮は、内宮(天照大御神)と外宮(豊受大御神)の2つで成り立っていますが、この外宮の神様の故郷こそが丹後です。
倭姫命は旅の途中、丹後の「吉佐宮」(現在の元伊勢籠神社や真名井神社周辺とされる)に4年間滞在しました。
ここで天照大御神の食事(大御食)を司る神として、丹後の地主神であった豊受大御神を迎え、共に祀りました。
後に雄略天皇の時代、伊勢に鎮座していた天照大御神が「自分一人では食事が満足にできないので、丹後の真名井にいる豊受大神を近くに呼び寄せてくれ」と夢でお告げを下し、丹後から伊勢へと外宮が遷座されることになります。
つまり、伊勢神宮のシステムの半分(外宮)は、丹後で完成したのです。
さらに、大和王権の戦略的な視点からも、丹後を経由することは必然でした。
当時、急速に台頭する大和王権は、国内の疫病や内乱に苦しんでいました。
そこで王権は、すでに日本海交易で最先端の富(鉄・ガラス・大陸文化)を蓄えていた「丹後王国」の宗教権力と経済力を一度取り込む必要がありました。
丹後で神の権威と経済的サポートを強固なものにしたからこそ、倭姫命の一行は近江や美濃を経て、最終目的地である大和の東の玄関口「伊勢」へと進出することができたのです。
倭姫命が丹後を経由した理由は、単なる偶然の彷徨ではなく、「母方の実家(丹後)の経済・宗教パワーをチャージし、大和王権の最高神の権威を高めてから、東国の伊勢へ遷座させる」という、壮大な国家的・血縁的戦略の現れだったと言えます。




