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第22章 丹後半島の巨大古墳と出雲王国、大和王権の関係性

古代の日本海側における一大勢力、丹後半島(丹後王国)の巨大古墳は、出雲王国と大和王権を結ぶ「交渉と融和の結節点」としての歴史を物語っています。

4世紀から5世紀にかけて、丹後半島には大和(奈良盆地)の王墓にも匹敵する日本海側最大級の巨大古墳が次々と築かれました。

これらは、当時の日本海交易を支配していた強力な勢力の存在を示しています。


丹後地方と出雲(島根県)は、古くから「対馬海流」を利用した日本海交易ルートで結ばれた緊密な同盟・交流関係にありました。

丹後半島で4世紀前半に築かれた最古級の巨大前方後円墳「神明山(しんめいやま)古墳」などからは、出雲系の土器や石製品が多く出土しています。

出雲が主導した日本海独自のネットワークに、丹後も深く組み込まれていました。

独自の青銅器(銅鐸など)の文化を持っていた出雲王国と、鉄資源や大陸との交易権を握っていた丹後勢力は、近畿地方で急速に台頭する大和王権に対抗、あるいは共存するために、強い経済的・軍事的結びつきを持っていたと考えられています。


丹後半島の古墳の形が、ヤマト独自の墓制である「前方後円墳」へと変化していくプロセスは、大和王権との関係性の変化をリアルに表しています。

全長約190メートルの網野銚子山(あみのちょうしやま)古墳(京丹後市)や、全長約145メートルの神明山古墳は、当時の日本海側で突出した大きさを誇ります。

これほど巨大な前方後円墳の造ることを大和王権が許可した(あるいは共同で造った)ということは、大和が丹後を武力で完全に滅ぼしたのではなく、「大陸との交易権(鉄やガラスの入手ルート)を大和に差し出す代わりに、地元の王としての地位を安堵された」という、高度な政治的妥協(融和)があったことを意味しています。


出雲、丹後、大和の三者のパワーバランスを最も象徴しているのが、丹後最大の巨大古墳群「網野銚子山古墳」です。

・大和王権と同じ「前方後円墳」を採用し、大和を中心とする政治連合に加わった証拠とされる。

・日本海を眼下に見下ろす丘陵に位置し、出雲や朝鮮半島からやってくる船を監視・統治する交易の拠点。

・大和では手に入りにくかった大陸直輸入の最高級品(ガラス・鉄)が出土し、大和王権にとって、丹後は「喉から手が出るほど欲しい交易ルート」だった。


5世紀後半になると、大和王権は朝鮮半島との交易ルートを「日本海(丹後・出雲経由)」から、瀬戸内海を通る「難波(大阪)ルート」へとシフトさせていきます。

これに伴い、大和王権における丹後半島(丹後王国)の政治的価値は低下し、巨大古墳の造営も終わりを告げました。

記紀神話(古事記・日本書紀)における「出雲の国譲り」の背景には、このように出雲と手を結び、日本海の富を独占していた丹後の巨大勢力が、大和王権の軍事・外交戦略に巻き込まれ、統合されていったリアルな古代の権力闘争があったと考えられます。

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