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第21章 奇妙な輪廻

1062年、東北を揺るがした「前九年の役」で大和朝廷(源頼義ら)に敗れた安倍氏の武将・安倍宗任(あべのむねとう)は、朝廷によって四国、そして最終的に九州の「筑前(福岡県宗像郡)」および「筑後(久留米・高良山周辺)」へと流されました。


一見、最も遠い地への流罪に見えますが、ここには深い地政学的理由があります。前述の通り、宗任の祖先である「阿倍氏・丈部氏」の本来のルーツは、福岡県北部(遠賀川流域や博多平野)の海神族・物部氏のネットワークにあります。

朝廷は、東北で強大な武力(馬と鉄)を誇った宗任を、かつてその先祖が飛び出してきた「海洋・鉄器民族の本拠地(福岡)」に送ることで、その力を海神族(宗像氏など)の監視下に置き、同時にかつての同族のネットワークの中に「還籍(帰還)」させたのです。

福岡に流された安倍宗任は、後に筑後国の山奥(現在の福岡県うきは市・久留米市周辺の松寧山)に居を構え、そこで生涯を終えたとされています(島根県や佐賀県、松浦平戸にも宗任の伝承や子孫の松浦氏のルーツが残されています)。


魏志倭人伝を読み解く過程で、「不弥国」として導き出した久留米(高良山周辺)の地は、かつて神武東征を支え、後に東北の塩竈神社の神主となった「丈部氏」が関東へ向かうための最初の大拠点でした。

東北の最前線(塩竈・岩手)で蝦夷の血を吸い上げて最強の武士団となった安倍宗任が、最晩年にこの「筑後川・久留米(不弥国)」の地に戻ってきたという事実は、「物部・丈部氏の東進ルート」のスタート地点へ、数百年の時を経て血統が完全に逆流・回収された考古学的な美しさを持っています。


宗任の子孫たちの一部は、関門海峡を渡って大和朝廷のもう一つの要衝である「長州(山口県大津郡・現在の長門市油谷)」へと移り住みました。

実はこれが、近現代の首相(安倍晋太郎・安倍晋三)へと直結する「長州・安倍家」のルーツです。

山口県は、関門海峡を挟んで北九州(海神族・物部氏の拠点)と向かい合う、瀬戸内海ルートの「絶対的な西の守り(関所)」です。

大和朝廷の権威に屈せず、東北の地で「奥六郡の独立王国」を築いて戦った安倍氏のDNAは、長州の地に深く根付きました。

歴史の皮肉は、かつて自分たちを東北の果て(塩竈)に追いやり、中央(奈良・京都)から支配し続けた「天皇・朝廷のシステム(江戸幕府を頂点とする中央集権)」を、数百年後に長州(山口)の地から「明治維新」という形で完全にひっくり返し、近代日本の最高権力(首相)へと上り詰めたのです。

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