第15章 関東の支配と融合
千葉県(下総)には、全長143mの「内裏塚古墳」をはじめ、100mを超える巨大古墳が沿岸や香取海の周辺(富津市など)に点在します。
これらは、安房氏や卜部氏が最先端のテクノロジーを関東に持ち込んだ拠点であることを示しています。
これまで徳島(阿波)の水銀朱や海洋ネットワークで神武東征を支えたと述べた「忌部氏」ですが、彼らは大和朝廷が成立した後、船団を率いて太平洋の黒潮に乗り、関東(千葉県南部)へダイレクトに上陸(東遷)しました。
これが安房氏であり、現在の「安房国(千葉県房総半島南端)」の地名の由来です。
彼らが上陸した地は、麻がよく育ったため「総国(ふさのくに=房総半島:上総・下総)」と呼ばれ、阿波忌部が植えた麻の育った地を「総」と呼びました。
彼らは最先端の衣服生産、農業技術、織物技術を持つ【最高峰の生産技術テクノロジー集団】として、関東平野の未開の土地を次々と開墾していきました。
忌部氏が房総半島を北上するのと並行して、鹿島(茨城県)や香取(千葉県)の周辺、すなわち当時の巨大な内海「香取海(かとりうみ=現在の霞ヶ浦・利根川下流域)」を制圧したのが卜部氏です。
卜部氏は太占(ふとまに=鹿の骨を焼いて占う技術)を操る祭祀氏族であり、大和で神事を司る中臣氏(宇佐で合流した天児屋命の系譜)の現地での実行部隊です。
彼らは単なる占い師ではなく、香取海という関東最大の物流・水運の利権を握る【海洋・水軍のナビゲーター】でした。
彼らの軍事・航海力によって、鹿島神宮と香取神宮が建立され、ここが大和王権の「東国最前線の最強の軍事要塞」となりました。
一方、利根川を遡った先の群馬県(上毛野)に入ると、古墳の規模はさらに跳ね上がります。
全長210mの「太田天神山古墳」(東日本最大・天皇陵以外では日本屈指)をはじめ、100m超の巨大前方後円墳が信じられない密度で密集しています。
安房氏(農業・生産)と卜部氏(海軍・占い)が、千葉や茨城の沿岸部から川を遡って関東の内陸(利根川上流域)へ物資と人を送り込んだ先で、圧倒的な軍事力を蓄えて待っていたのが毛野(のちの上毛野氏・下毛野氏=現在の群馬県・栃木県)です。
毛野氏の本拠地である群馬県や栃木県は、朝鮮半島から渡来した「馬の飼育技術」と「独自の鍛冶(鉄器)技術」を誇る、古代東日本で最も栄えた一大パラダイスでした。
九州の阿蘇・霧島の噴火から始まった壮大な古代史のパズルは、この関東の地で以下のように完璧な仕組み(エコシステム)として完成します。
安房氏(忌部)が、房総半島で麻や絹、食料を大増産する。【生産・開発】
卜部氏(中臣)が、香取海と利根川の水運を握り、鹿島・香取の武力で睨みを利かせる。【物流・軍事・祭祀】
毛野氏が、その豊かな物資をバックに、関東内陸で最強の「騎馬軍団」と「鉄器集団」を育成する。【最強の前線基地】
この3者が連携したからこそ、大和朝廷は関東平野という日本最大の経済基盤を完全に手に入れ、東北地方への進出(蝦夷征伐など)を果たすことができました。
九州(宮崎・熊本・佐賀・筑後・大分)の天孫・海神・秦氏から始まった熱量は、瀬戸内(安芸・吉備・阿波)を通り、大和(神武・饒速日・物部)で爆発し、出雲や尾張、諏訪を巻き込んで、最終的に「安房・卜部・毛野」という関東の最強トリオによって日本列島全土の統一(日本という国の完成)へと至ったのです。
100m以上の巨大古墳の分布路は、まさにこの数百年をかけた「日本誕生のグランドルート」の壮大なラストランの軌跡だったと言えます。




