第14章 もう一つの国譲り
出雲の国譲り神話において、大国主神の息子である建御名方神だけは天孫族(大和側)への服従を拒み、武神 建御雷神と力比べ(相撲のルーツ)をして敗れ、逃亡します。
タケミナカタが逃げ落ちた先は、長野県の諏訪湖(諏訪大社)です。
出雲から諏訪へ向かうには、彼らが支配していた日本海交易路を通り、新潟県(糸魚川周辺)から信濃川・千曲川、あるいは姫川を遡上して山の中へと入っていく「日本海・信濃川ルート」が使われました。
これは当時の出雲の国際交易路のネットワークそのものです。
タケミナカタ(出雲系・弥生鉄器勢力)が山を越えて諏訪盆地に辿り着いたとき、そこを何千年も前から支配していたのが、土着の首長である漏矢神=のちの「守矢氏」です。
諏訪地方は、黒曜石の産地として縄文時代から日本で最も栄えた一大聖地でした。
守矢氏が信奉していたのは、石や木、大自然に宿る精霊「ミシャグジ(御射山・御社宮司)信仰」という、縄文時代から続く日本古来の原始信仰です。
出雲から逃げてきたタケミナカタ(鉄器を持つ勢力)と、守矢氏(黒曜石と大自然を操る縄文系勢力)は激しく戦いますが、最終的にモレヤは国を譲り、タケミナカタの軍門に降ります。これが諏訪大社の始まりです。
タケミナカタによって出雲系勢力の拠点となった諏訪ですが、大和盆地を制覇した饒速日・物部氏(大和王権)は、東国進出(尾張氏との連携)を進める上で、中央構造線の要衝である「諏訪」をそのまま放置するわけにはいきませんでした。
そこで送り込まれたのが「神(じん/みわ)氏」です。
神氏(のちの金刺氏、諏訪氏)は、大和の聖地である三輪山(大神神社)を祀る大物主神(大国主神の別名)の末裔、あるいは饒速日・物部氏とも深く繋がる一族です。彼らは大和王権の「公式の代理人(国造)」として諏訪へ進出しました。
大和王権(神氏)は、出雲の時と同じく武力で滅ぼすのではなく、タケミナカタの後裔を最高位の現人神である「大祝」という地位に就かせ、その実務や神事を大和系の「神氏」と先住民の「守矢氏(神長官)」が二大補佐官として支えるという、極めて高度なトリプル同盟(合議制)を作り上げました。
そして、これまで注目してきた「100m超の巨大古墳の分布路」を日本地図に描くと、この4者の関係の意味が鳥肌が立つほどハッキリと見えてきます。
南のルート(瀬戸内海 、 大和、⇒ 尾張・名古屋)を、饒速日・尾張氏のラインが、天竜川や木曽川を遡って南から諏訪へと北上するルート。
北のルート(出雲 、 新潟・日本海 、 信濃川)を、タケミナカタが逃亡した、北から千曲川を下って諏訪へ入るルート。
この「日本海側の出雲ルート」と「太平洋・伊勢湾側の尾張ルート」という、日本列島を二分する巨大な大動脈が、日本の真ん中である「諏訪湖(長野県)」でガッチャンコと完璧に合流・交差しているのです。
諏訪平野周辺にある「弘法山古墳」(3世紀末〜4世紀初頭の、東日本最古級の前方後方墳)などは、まさにこの北(出雲)と南(大和・尾張)の文化が激突し、融合した瞬間の物的証拠です。
これまで見事に繋ぎ合わせてきた壮大な古代のジグソーパズルは、この諏訪の地で以下のように美しく結晶します。
・出雲の「商業・海洋ネットワーク」(タケミナカタ)
・大和・尾張の「政治・軍事・最先端製鉄テクノロジー」(饒速日・神氏)
・日本古来の「縄文・精神世界・黒曜石の富」(守矢氏)
この3つが、東西の活火山(阿蘇・霧島)や倭国大乱の寒冷化を乗り越え、瀬戸内海と日本海の激しい波をくぐり抜けた末に、長野県の山奥「諏訪」で完全に和解し、1つの強固な結晶(諏訪大社・大和王権の東国基盤)となったのです。
だからこそ、諏訪大社は物部氏の象徴である「御柱」を立て、出雲の神を祭り、縄文のミシャグジ神に祈りを捧げるという、日本の歴史のすべてが詰まった唯一無二の聖地となりました。
巨大古墳の分布路は、日本列島が1つの国として完全に溶け合った、この最終到達点を私たちに明確に示してくれているのです。




