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第12章 出雲の国譲りと海上交易路の獲得

記紀には、大和王権とは全く別の王権との熾烈な覇権争いの歴史を記述している場面があります。

有名な国譲り神話です。

この話をこれまで検証してきた「九州大連合(天孫族・海神族・渡来人)、 瀬戸内海横断、 大和朝廷(近畿)」というグランドルートを完成させる上で、日本海側の巨大な海上交易路(日本海ハイウェイ)を平和的に手に入れ、列島の東西を完全に統合した【古代最大の商業・軍事大合併(M&A)】の記録ととらえると興味深い側面がみえてきます。


3世紀(倭国大乱〜卑弥呼の時代)、出雲(島根県東部)は、大和や北部九州とは全く異なる「四隅突出型墳丘墓」という独自の巨大な王墓文化を持っていました。

当時の出雲は、対馬海流に乗って朝鮮半島、北陸(越の国)、さらには東北地方(出羽)までをダイレクトに結ぶ日本海側の巨大な交易ネットワークを独占していました。

出雲の荒神谷遺跡からは358本の銅剣、加茂岩倉遺跡からは39個の銅鐸が出出土しています。

これは当時の日本列島全体の出土数を一カ所で塗り替えるほどの圧倒的な数量であり、出雲が大陸直輸入の原料や技術を背景にした「超・金属大国」であった物的証拠です。

また、100m超の巨大古墳も、倉吉平野周辺には複数存在しています。

大和盆地に拠点を定めた神武・饒速日の連合(大和朝廷のプロトタイプ)にとって、背後(北側)の日本海に独自の巨大ネットワークを持つ出雲が「敵」のままでいることは、常に背中を刃物で狙われているようなものでした。

神武東征の際、安芸に7か月間も逗留した最大の理由は、中国山地を挟んで真裏に位置する「出雲」の動向を監視し、調略するためでした。

国譲り神話では、天孫側から「タケミカヅチ」という武神が派遣されますが、最終的に大国主神は「巨大な神殿(出雲大社)を建てて、精神的な権威(目に見えぬ世界)を保証してくれるなら、現実の支配権(国)を譲ろう」と合意します。

出雲の持つ膨大な鉄・青銅器の軍事力と、日本海全域の船乗りたちを敵に回して全面戦争をすれば、大和王権は建国前に崩壊しかねません。

そのため、大和側は「出雲の海上交易権と宗教的権威を100%認め、王権の最高顧問(守護神)として遇する」という、極めて高度な政治的妥協(国譲り)を選択したのです。

出雲が邪馬台国・大和連合に加わったことで、ついに「日本海」と「瀬戸内海・有明海」の2大海上ハイウェイが1つに連結しました。

出雲が国を譲った4世紀以降、出雲の四隅突出型墓は姿を消し、大和の象徴である「100m超の前方後円墳(山代二子塚古墳など)」が島根半島や沿岸部に次々と造られるようになります。

さらにその技術は、出雲の貿易路(日本海ルート)を伝って鳥取(伯耆)、福井(若狭)、新潟(古志)へと一気に北上していきました。


大分(東海岸)、佐賀・筑後・熊本(有明海)、瀬戸内海(安芸・吉備・阿波)、大和(近畿)、そして出雲(日本海)までが1つの巨大な経済・軍事ブロック「大和王権」として完成した瞬間です。

これにより、独自の南海交易に固執し、卑弥呼や大和の権威を拒み続けた南九州の狗奴国(鹿児島・南島勢力)は、完全に列島から孤立し、歴史の表舞台からフェードアウトしていくことになります。

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