第七の邪道 生成AI 後編
夢の中で、誰かが鹿肉を焼いていた。
乾いた薪が音を立て、暗闇へ火の粉を散らしている。鹿の脂が炎へ落ちるたび、赤い舌が勢いよく伸び、香ばしい匂いが夜の底へ広がった。
焚き火の周りには、見知らぬ男たちが座っていた。
膝の上へ何枚もの木の札を重ね、肉が焼けるのを待つあいだにも、その枚数と順序を確かめている男。
浅葱色の羽織を着て、煙が流れてくるたび、嫌そうに扇子で追い払っている男。
背筋を伸ばして腕を組み、炎の揺れ方にまで不満があるような顔をしている男。
その隣では、穏やかな男が、皆のために木の皿を並べていた。
綴は彼らの顔を見たことがなかった。それでも、不思議と誰なのか分かった。
「木呂麻呂」
木の札を数えていた男が顔を上げた。
「呼び捨てか」
「写兵衛」
「もう少し風情のある呼び方はないのかい」
「筆之進」
腕を組んだ男は、返事もしなかった。
「墨蔵お爺ちゃん」
「腹は減っていないかい」
墨蔵が空の皿を差し出してくる。
そして、その隣には、なぜか万作が座っていた。
「お父さん、死んだの?」
「縁起でもないことを言うな。生きている」
「じゃあ、なんでここにいるの」
「現代側の代表だ」
「誰が選んだの」
「俺だ」
万作は当然のように答えた。
「夢の中でも勝手だね」
「事実上、適任者が俺しかいなかった」
「私も現代側だけど」
「お前は相談者だ」
万作はそう言いながら、墨蔵が差し出した鹿肉を受け取った。綴も焚き火の前へ座った。
「それで」
木呂麻呂が木の札を膝へ置いた。
「生成AIとは、いかなる道具なのだ」
「人が言葉で指示すると、答えを返してくれる。調べ物もできるし、文章も書ける。小説の構成を考えたり、続きを作ったりもする」
「どれほどの文章を記憶している」
「記憶という言い方が正しいかは分からないけど、たぶん、私たちが一生で読めないくらい」
木呂麻呂の眉が動いた。
「三千百二十枚の木簡もか」
「一瞬だと思う」
「順序が崩れても?」
「並べ直せる」
「誤りがあれば?」
「見つけることもある」
木呂麻呂は黙った。
「便利だな」
素直に認めた直後、険しい顔になる。
「だが、読んだ文章は誰のものだ。そこから作られた文章は誰のものになる。誤りがあった場合、責任は誰が負う。まず、道具として使う場合と、書き手として使う場合を分け、そのうえで出所、所有、責任の所在を」
「長いよ」
写兵衛が扇子を閉じた。
「要するに、その機械が書く文章には味があるのかい」
「あるようには書ける」
「あるように?」
「写兵衛の文章をたくさん読ませたら、写兵衛みたいにも書けると思う」
写兵衛の眉が吊り上がった。
「あたしの字のかすれまで真似する気かい」
「文章なら、たぶん」
「野暮な機械だねぇ」
「でも、写兵衛より速いよ」
「もっと野暮だ」
「味など後だ」
筆之進が低い声で言った。
「その機械が選んだ言葉を、誰が背負う」
「AIは背負わないと思う」
「ならば、使った者が背負え」
「でも、出された案から一つ選んだだけなら、それは自分の言葉なのかな」
「選んだのは誰だ」
「私」
「なら、お前の責任だ」
「責任があることと、自分が書いたことは同じ?」
筆之進は答えなかった。一度置いた言葉を決して軽く扱わなかった男にも、すぐには決められないらしい。
「その文章を読んで、誰かが泣くことはあるのかい」
墨蔵が尋ねた。
「あると思う」
「機械も悲しいのかな」
「たぶん、何も感じていない」
「悲しくないものが、悲しい話を書くのか」
「書ける」
「それは困ったね」
墨蔵は穏やかな顔のまま、焚き火を見つめた。
「でも、それを読んで泣いた人の涙まで、偽物になるわけではないのだろう?」
「うん」
「なら、魂が文章の中にあるのか、読んだ人の中で生まれるのか、私には分からないね」
「感情は読者のものだ」
万作が口を挟んだ。
「文章を書いた者の感情とは、分けて考えるべきだ」
「お父さんはどう思うの」
「事例が足りない」
「まだ考えてたんだ」
「考えていないように見えたか」
「肉ばかり見てた」
「資料の到着を待っていた」
木呂麻呂は、学習に使われた文章の出所を知りたがった。
写兵衛は、機械に美しさが分かるのかと疑った。
筆之進は、言葉を選んだ者の責任を問い続けた。
墨蔵は、人の心を持たないものが、人の心を動かせるのかと悩んだ。
万作は議論を整理しようとしたが、途中から分類が増えすぎて、自分でも何を分けているのか分からなくなった。
誰も間違っていなかった。
誰も答えを出せなかった。
そのとき、焚き火の向こうで、太い枝が折れる音がした。
少し離れた場所に、大男が一人しゃがんでいた。獣の皮を腰へ巻き、髪も髭も伸び放題だった。肩幅は万作の倍ほどあり、枝へ刺した鹿肉を炎の上でゆっくり回している。
綴は、その男に見覚えがなかった。
「あの人は?」
万作が声を潜めた。
「始祖のほにだ」
「どうして分かるの」
「他に該当する人物がいない」
「鹿肉を焼いてる原始人だから?」
「極めて有力な根拠だ」
ほには、こちらの議論など聞いていないようだった。肉を裏返し、焼け具合を眺めている。
木呂麻呂が咳払いした。
「始祖よ」
ほには肉を見ている。
「我々は今、創作の行く末について重大な議論をしている」
返事はない。
「聞いているのか」
「肉が冷める」
ほにはそれだけ言った。
綴は立ち上がり、焚き火の向こうへ回った。近くで見ると、ほにはさらに大きかった。しゃがんだままでも、立っている綴とほとんど目線が変わらない。
「ほに」
「何だ」
「AIは邪道ですか?」
ほには枝に残った肉を見た。一度裏返した。
「知らん」
焚き火の周りがざわめいた。
「始祖ともあろう者が、そのような無責任な」
木呂麻呂が立ち上がる。
「美しさを奪う道具かもしれないんだよ」
写兵衛が扇子を鳴らす。
「覚悟なく言葉を出す者が増える」
筆之進が険しい顔をする。
「人の魂が、置いていかれるかもしれない」
墨蔵が静かに言った。
万作も何か言おうと口を開いたが、ほにはうるさそうに顔を上げた。
「知らん。便利なら使え」
「それだけ?」
「不便なら使うな」
「そんな簡単な話じゃないよ」
「なぜだ」
「使ったら、私がいなくても小説を書けるかもしれない」
「そうか」
「怖くないの?」
「何がだ」
「私より速く、私みたいな文章を作るんだよ」
「だから何だ」
ほには残った鹿肉へかぶりついた。肉を噛みながら焚き火へ手を伸ばし、燃えている太い枝をつかんだ。
祖先たちの顔色が変わった。
木呂麻呂は木の札を胸へ抱え、写兵衛は扇子を顔の前へ開いた。筆之進は立ち上がったが、一歩だけ後ろへ下がった。墨蔵は肉の載った皿を静かに遠ざけ、万作は綴の後ろへ移動した。
「お父さん、私を盾にした?」
「位置を調整しただけだ」
ほには燃えた枝を高く振り上げ、地面へ叩きつけた。
火花が弾けた。
黒く焼けた線が、大地を切り裂くように走った。
ほには暴れだしたのではなかった。
描き始めたのだ。
燃えた枝を振るたび、土が削れ、灰が舞い、赤い火が線の中へ残った。迷いはなかった。一度引いた線を戻ることもない。
巨大な角が現れた。空を突き破るほど大きな角だった。次に、岩を噛み砕きそうな牙。太い四本の脚。背中からは、夜を覆うような翼が広がった。
鹿にも、狼にも、鳥にも見えた。どの獣にも似ていて、どの獣でもなかった。
地面いっぱいに描かれた巨大な獣は、今にも土を蹴り、暗闇の向こうへ飛び出しそうだった。
その背中に、ほには小さな人間を描いた。
長い髪をなびかせた女だった。獣と比べれば、あまりにも小さい。牙もなく、翼もなく、手には一本の枝を持っていた。
女は、その枝で獣の前へ長い線を引いている。地平の向こうまで続く、一本の道だった。
焚き火の炎が揺れた。
巨大な獣の胸が膨らみ、四本の脚へ力が宿ったように見えた。小さな女の髪も、獣が巻き起こす風になびいていた。
誰も言葉を発しなかった。
木呂麻呂は、線の意味を考えることさえ忘れていた。
写兵衛は扇子を下ろし、食い入るように絵を見ていた。
筆之進の腕は、もう組まれていなかった。
墨蔵は目を細め、静かに笑っていた。
万作さえ、理屈を口にしなかった。
荒い線だった。整ってもいなかった。
それでも、絵の中から風が吹いていた。大地を蹴る音がした。巨大な獣の息遣いが、綴の胸へ響いた。
綴は、獣の背にいる女を見つめた。獣と比べれば、あまりにも小さい。弱く、遅く、少し身じろぎをすれば振り落とされてしまいそうだった。
それでも、女は獣を縛っていなかった。手綱も握っていない。
ただ、その前へ、まだどこにもない道を描いていた。
「獣はでかい」
ほにが言った。
「速い。強い。何でも食う」
燃えた枝で、獣の頭を叩く。
「だが、先は描けん」
ほには綴を見た。焚き火の光を受けた目には、迷いも理屈もなかった。
「お前も表現者なのだろう」
巨大な獣が地面を蹴った。
そう見えた。
「使うかどうかまで、人に決めてもらうな」
獣が、女の描いた道へ最初の一歩を踏み出した。
⸻
そこで、綴は目を覚ました。
机へ伏せていた腕が痺れていた。窓の外には朝の光が差し始めている。机の上には、木簡を束ねていた古い紐と、黄ばんだ扇子、筆と鉛筆、墨蔵の写真が並んでいた。
当然、地面へ描かれた獣はいなかった。鹿肉の匂いもしなかった。
綴は顔を上げ、パソコンを開いた。
画面には、書きかけの原稿と、生成AIの白い入力欄が残っている。
『私は、どうすればいい?』
昨夜打ちかけた言葉を、綴は消した。
答えを尋ねる必要は、もうなかった。
綴は新しい小説を書き始めた。
最初の一文を、原稿へ書いたのか。
生成AIの入力欄へ書いたのか。
それを知る者はいない。
ただ、綴は何度も立ち止まった。出てきた言葉を読み、消し、選び、並べ替えた。整いすぎた文章を崩し、見慣れた展開を捨て、自分でもまだ知らなかった道を探した。
画面の向こうに何がいたとしても、最後に進む先を決めたのは綴だった。
やがて、一つの小説が完成した。
それが人間だけによって書かれたのか。
生成AIとともに作られたのか。
綴は語らなかった。
読者たちは、文章の癖を探した。整い方を疑い、誤字の少なさを数え、過去の作品と比べた。人が書いたと言う者もいた。AIを使ったに違いないと言う者もいた。その両方だと考える者もいた。
けれど、誰にも確かめることはできなかった。
ただ、その小説には、巨大な力を恐れながらも、その前へ自分で道を描こうとした者の姿があった。
何を書いたか。
何を書かなかったか。
何を選び、何を捨て、何を恐れながら、それでも世へ出したのか。
その選択だけは、文章の中に残っていた。
それは、綴野綴にしか作れない物語だった。
綴野家は、七つの邪道を経て、時代と戦うことをやめた。




