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その指輪、彼女に差し上げてください  作者: 秋月 もみじ


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第1話 似合うと思って


私に贈られたはずの指輪は、今夜も別の指の上で光っていた。


フェルゼン家の茶会の卓に、小さな箱が運ばれてきたのは、ちょうど二杯目の紅茶が冷め始めた頃だった。リボンの色が、わざわざ私の好きな淡い青で揃えられているのを見て、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ期待した自分を、後で叱ってやろうと思う。


「フィオナへの贈り物だよ」


マティアス様がそう言って蓋を開けた瞬間、私はすでに次の展開を九割がた読んでいた。残りの一割は、淡い青のリボンに賭けた私の希望的観測である。その一割は、即座に回収された。


「あら、素敵」


声がしたのは、私の隣ではない。卓の向こう、当然のように身を乗り出してきたローラだった。彼女の手が、私宛ての箱に伸びるまで、誰も止めなかった。私も止めなかった。止める前に、マティアス様が指輪をつまみ上げていたからだ。


「これは君より、彼女に似合うと思って」


なるほど。


贈り物の宛名というのは、思っていたよりずっと柔軟な仕組みらしい。届け先が決まっていても、開けた人間の気分で行き先が変わる。郵便屋が聞いたら卒倒する話だ。


マティアス様は、ローラの細い指に指輪をはめてやりながら、満足そうに笑っていた。ローラは「いいの? 本当に?」と二度も尋ね、二度とも「もちろん」と返事をもらい、三度目は尋ねなかった。三度目には、もう自分のものだと決めていたのだろう。


私の手元には、空になった箱と、淡い青のリボンだけが残った。


「フィオナも見てごらん。よく似合うだろう」


似合う。それは間違いない。問題は、似合う相手のところへ届けるために、なぜ一度私の名前を経由する必要があったのか、という一点に尽きる。けれど、それを口にするほど私は無作法ではない。少なくとも、人前では。


「ええ、とても」


私は微笑んだ。練習の成果が出ていることを願う。この半年、私はこの微笑みだけは確実に上達した。家政も会計も大して褒められないが、この笑顔だけは、もう熟練の域だと思う。誰も褒めてくれないのが惜しい。


ローラは指輪に夢中で、私のほうを見ようともしなかった。彼女が悪い人間かと問われれば、答えに詰まる。悪意があるなら、まだ救いがある。憎めばいいし、構えればいい。けれどローラには、それがない。彼女はただ、自分が一番に扱われることを、空気のように当たり前だと思っているだけだ。


空気は、自分が誰かの肺を押しのけているとは考えない。


「ローラ、あまりはしゃぐと品がないよ」


マティアス様がそう言ったので、私は一瞬だけ顔を上げた。おや、と思ったのだ。ところが続きはこうだった。


「でも、君のそういうところも可愛らしいけどね」


訂正する。何も期待していなかった。


紅茶に口をつける。冷めていた。当然だ。誰も私の杯になど気を配らない。給仕の侍女が、ちらりとこちらを見て、すぐに目を伏せたのが視界の端に映った。彼女は何か言いたげだった。けれど言わない。言える立場ではないし、言ったところで何も変わらないと、たぶん彼女のほうがよく分かっている。


この家の使用人は、私が思うより、ずっと多くのことを見ている。見て、覚えて、口を噤む。私と同じだ。


「フィオナ、次の夜会の段取りなんだけれど」


来た、と思った。


贈り物の行き先は私を素通りするのに、面倒事の宛名だけは、いつも正確に私のところへ届く。これだけは一度も誤配されたことがない。郵便屋もこの仕事ぶりは見習うべきだ。


「招待客の確認と、席の割り振りを頼めるかな。君ならすぐだろう」


君ならすぐ。便利な言葉である。これを言われると、できると認められているのか、押し付けられているのか、判別がつかなくなる。たぶん本人にも区別はついていない。だから厄介なのだ。


「承知いたしました」


私がそう答えると、マティアス様はほっとした顔をした。世界で一番安心しきった顔で、また指輪を眺めるローラのほうへ向き直る。彼の中では、これですべて丸く収まっているのだろう。贈り物は喜ばれ、面倒事は片付き、婚約者は微笑んでいる。


完璧だ。一つだけ問題があるとすれば、その婚約者が、もうずいぶん前から心の中で帳簿をつけていることに、彼がまるで気づいていないという点くらいである。


茶会の帰り、馬車に揺られながら、私は膝の上のリボンを指で伸ばしていた。淡い青。畳んでおけば、何かの飾りには使えるかもしれない。物を捨てられない性分なのだ。捨てられないから、覚えてしまう。誰が何を贈り、それがどこへ流れたのか。一つ残らず。


向かいに座ったアガサが、何か言いかけて、やめた。


「アガサ」


「……いいえ、お嬢様。何でもございません」


何でもない、というのは、たいてい何かがある時の言葉だ。私はそれ以上尋ねなかった。アガサが言葉を飲み込むときの顔を、私はよく知っている。母が生きていた頃から、この人はずっとそうやって、言いたいことを胸の奥にしまってきた。


「あの方は、お優しいのよ。ただ、少し」


少し、の続きは出てこなかった。アガサは窓の外へ目をやって、それきり黙った。


少し、何なのだろう。優先順位を間違えている。物の宛名を覚えていない。婚約者と乳姉妹の区別が、どこかで一つ抜け落ちている。候補はいくらでも挙がるが、どれも口にするには、まだ早い気がした。


馬車が揺れて、膝の上のリボンが少しずれた。私はそれを拾い上げ、もう一度きれいに畳んだ。


受け流したときの自分の微笑みが、思ったより硬かったことに、私はまだ気づいていなかった。

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