第4話_木剣一本の決着
木枠が落ちるのを見たセリアは、三人に向かって叫んだ。
「右の柱へ! そこなら木枠が届かない!」
第三門の柱は、木枠を支えるために厚く造られている。柱の脇には点検用の狭いくぼみがあり、身を縮めれば三人がようやく収まる。セリアは朝の点検でそれを見ていた。ルカを抱えた三人が通れる幅はない。だから、最初に彼女自身が動かなければならなかった。
セリアはフェルンの肩をつかみ、くぼみへ押し込んだ。トビアスがルカの身体を支えたまま後ろへ下がる。彼女はルカの脇に腕を入れ、痛めた足を地面に触れさせないよう抱え上げた。少年が苦痛に呻いたが、今は謝る時間もない。
「トビアス、先に入って。ルカは私が渡す!」
トビアスがくぼみへ滑り込む。セリアはルカを押し出し、フェルンと二人で受け止めさせた。木枠はもう頭のすぐ上にある。セリアが身を縮めたとき、イーノが横から彼女の肩掛けをつかんだ。
「こっちだ!」
二人は柱の裏へ転がり込んだ。鋼索が切れ、重い木枠が石の地面へ叩きつけられる。衝撃で砂が跳ね、観客席の歓声が悲鳴に変わった。木片が腕に当たり、セリアは思わず歯を食いしばった。だが、くぼみの中からはルカの声が聞こえる。
「教官! 俺たちは無事です!」
セリアはすぐに立ち上がろうとした。イーノが彼女の腕を支え、まず自分の足で立てるか確かめるよう促した。左肘を擦りむいているが、骨に異常はなさそうだ。イーノの右袖には木片が刺さり、血が滲んでいた。
「あなた、腕が」
「浅い傷だ。今は三人を出そう」
彼は笑おうとしたが、痛みで顔をしかめた。セリアはその無理な表情を見て、彼も自分と同じように怖かったのだと気づいた。恐れがないから動けるのではない。恐れていても、誰かを見捨てないと決めているから動くのだ。
第三門の下は木片で塞がれ、作業員たちが駆け寄ってきた。セリアはイーノと一緒にルカをくぼみから運び出し、平らな場所へ寝かせた。フェルンとトビアスも続く。二人はまだ震えていたが、ルカの顔を見てようやく息をついた。
「全員いる?」
セリアが尋ねると、トビアスは三人の顔を確かめた。
「います。俺たち、全員」
「よかった」
それ以上は言えなかった。ルカの頭を撫でようとして、血のついた自分の手に気づき、セリアはそっと引っ込めた。彼女が守りたかったものが、今ここにある。三人とも生きている。その事実だけで、胸の奥に溜まっていた恐怖が少しずつほどけていった。
しかし、指揮台から降りてきたオルフェンは、三人の無事を確かめようともしなかった。
「セリア・エーヴェル! お前は設備を破壊し、演習を妨害した。剣を捨てて持ち場を離れたうえ、候補生を規定外の場所へ誘導したな」
観客席が静まり返った。オルフェンは声を張り上げ、周囲の兵士に命じた。
「この女を拘束しろ。事故の責任を取らせる」
セリアはルカのそばに膝をついたまま、彼を見上げた。たった今、木枠が落ちたのだ。自分の目の前で三人の命が危険にさらされた。それでも彼は、事故を自分の責任から切り離すことしか考えていない。
「拘束する前に、負傷者を医務室へ運ばせてください」
セリアは周囲の兵士を見た。彼らは誰の指示に従うべきか迷っている。
「口答えするな」
「ルカは足を痛めています。イーノも腕に怪我をしています」
「救護係が勝手に動いたせいだろう」
オルフェンは兵士へ顎をしゃくった。二人がセリアに近づく。彼女が立ち上がると、ルカが地面から手を伸ばした。
「俺たちを助けたんです。教官は悪くない!」
「黙れ。お前も失格だ」
オルフェンは少年を睨みつけた。ルカは怯んだが、口を閉じなかった。
「隊長が、俺を置いていけって言ったんです。俺、足が痛いって言ったのに」
「兵士なら痛みを隠して戦え」
セリアは自分の立つ位置を確かめた。背後には負傷者がいる。
「隠したら、こうなりました」
ルカの声は震えていた。セリアは彼の前に立ち、オルフェンから見えないようにした。少年にそれ以上言わせるべきではない。今、必要なのは誰かを言い負かすことではなく、医務室へ運ぶことだ。
「ルカ、もう話さなくていい。私が説明する」
そのとき、ネリスが人垣を抜けてきた。彼は自分の肩章を握りしめ、オルフェンの前で足を止めた。
「隊長。第三門の支柱を外すよう命じたのは、あなたです」
周囲の兵士が息を呑んだ。オルフェンは信じられないものを見るように副官を見た。
「何を言っている」
「今朝、鋼索に交換する命令も出しました。作業員は危険だと報告しましたが、許可は出ませんでした」
「お前は私の副官だろう!」
「だからこそ、止めるべきでした」
ネリスは顔を上げた。彼が何を失う覚悟をしたのか、セリアには分からない。ただ、震える足でその場に立ち続けていることは分かった。
オルフェンは彼へ歩み寄り、胸倉をつかんだ。
「私を陥れるつもりか。お前の昇進を取り消すことなど、簡単だぞ」
「構いません」
「何だと」
「人が死んでから昇進を返上するより、今の方がましです」
ネリスが言い切ると、オルフェンは彼を突き飛ばした。副官はよろめき、倒れた木枠の破片に足を取られて膝をついた。セリアは反射的に近づいたが、オルフェンが剣を抜く音を聞いて止まった。
それは演習用の木剣ではなかった。彼が腰に吊っていた、刃のある長剣だ。
「隊長、武器を収めて!」
イーノが叫んだ。オルフェンは聞かなかった。ネリスへ剣先を向け、周囲の兵士に命じる。
「反逆者を押さえろ。命令に従わない者を、この場で処分する」
セリアは二人の間へ進み出た。木剣は第三門の向こうに置いたままだ。手元には赤い救護布しかない。それでも、ネリスを置いて下がることはできなかった。
「剣を収めてください、オルフェン」
「お前も反逆者の仲間か」
「彼は事実を話しただけです。あなたが怒る理由にはなりません」
「私の名誉を傷つけた」
「あなたが今、傷つけようとしているのは人です」
オルフェンはセリアの顔を見つめた。かつて彼女が愛した青年の面影を、そこに探そうとしたのかもしれない。だが彼は、彼女がどんなに静かに話しても聞こうとしなかった。
「お前さえ黙っていれば、すべてうまくいったんだ」
彼は剣を振り上げた。
セリアは退かなかった。ただし、正面から刃を受けるほど愚かでもない。彼女は半歩横へ動き、救護布を広げた。刃が下りてくる瞬間、布の端を剣の柄にかけ、身体を回してオルフェンの手首へ巻きつける。力で剣を奪うのではない。相手が振り下ろす勢いを利用し、柄の向きを変える。
雨裂峠で負傷兵を運んだとき、彼女は片手しか使えない者のための護身術を考えた。剣を持てなくても、敵の刃から身を守る方法が必要だった。訓練では何度も失敗し、イーノに笑われながら直した動きだ。
オルフェンの剣先が地面へ逸れた。彼は無理に引き戻そうとし、布をさらに手首へ食い込ませる。セリアは彼の肘を押さえ、膝裏へ足をかけた。二人の重心が崩れ、オルフェンは石畳へ片膝をつく。
「離せ!」
「剣を放してください」
彼が力任せに腕を振った。セリアは布を手放し、すぐに距離を取った。オルフェンは剣を握り直して立ち上がる。まだ諦めていない。彼の方が体格も腕力も上で、真剣を持っている。今度は布もない。
セリアは背後のネリスを確かめた。副官は立ち上がり、ルカたちを連れて離れようとしている。イーノはこちらへ駆け寄ろうとしたが、彼の右腕は血で濡れていた。セリアは短く首を振った。ここで彼まで刃の前に出る必要はない。
「オルフェン。私を見て」
彼は剣を構え直した。セリアは彼の足運びを見た。彼は怒ると右足を大きく踏み出し、剣を上から振り下ろす癖がある。婚約していたころ、何度も手合わせをした。彼女がその癖を指摘しても、力で押し切れるから構わないと笑っていた。
「お前が私に勝てると思うな」
「勝つためにここへ立っているのではありません」
「また逃げる言い訳か」
「あなたに、もう誰も傷つけさせないためです」
彼が踏み込んだ。セリアは剣の外側へ身体をずらし、手近な木枠の破片を拾った。刃を受けるのではなく、剣を振った腕の内側へ短い木片を差し込む。オルフェンが力を込めた瞬間、木片が折れた。だが剣の軌道も逸れ、刃は彼女の肩掛けだけを裂いた。
セリアは一歩下がり、落ちた木剣を拾った。第三門の近くにいた作業員が、事故のあと片づけようとしていたものだ。彼女はそれを両手で構えた。
「木剣で私に挑むのか」
「あなたが真剣を収めれば、私も置きます」
オルフェンは答えず、横から斬りつけた。セリアは木剣を盾にせず、彼の剣先を外へ払った。木剣の先が割れたが、彼女は残った柄で彼の手首を打つ。オルフェンは痛みに声を上げ、さらに乱暴に振りかぶった。
セリアは彼の正面へ踏み込んだ。剣を大きく振るには距離が必要だ。近づかれると、オルフェンは肘を折って刃を引かなければならない。彼が体勢を立て直す前に、セリアは柄で彼の手の甲を打ち、もう片方の手で肘を押さえた。
金属が石畳に落ちた。
オルフェンは剣を失い、セリアの腕をつかもうとした。彼女はその手を避け、足を払って転ばせた。倒れた彼の喉元に木剣の柄を向けたところで、セリアは動きを止めた。
観客席から、誰かが拍手をした。
続いて別の席からも拍手が起こり、やがて闘技場全体へ広がった。セリアは歓声の意味を考える余裕がなかった。オルフェンがまだ起き上がろうとしているからだ。
「動かないでください」
彼女は言った。声は震えていなかった。
「私はあなたを傷つけたくありません。でも、もうあなたの命令には従いません」
オルフェンは唇を歪めた。
「女のくせに、私へ剣を向けるのか」
「剣を向けたのは、あなたが先です」
彼は何か言い返そうとしたが、周囲に集まった兵士たちを見て黙った。誰も彼の命令を待っていない。ネリスはルカたちを医務室へ運ぶよう指示し、作業員は第三門の周囲を立入禁止にしている。イーノは真剣を拾い、刃先を下に向けて安全な場所へ運んだ。
貴賓席から重い靴音が近づいてきた。王都守備隊の総監、バルザック将軍だった。セリアは木剣を下ろし、正式に敬礼した。将軍は彼女の傷を見てから、倒れた木枠と鋼索へ目を向けた。
「何が起きた」
セリアは見た事実だけを答えた。第三門の固定具が外れ、危険を報告したが交換は認められなかったこと。候補生が負傷し、演習の停止が受け入れられなかったこと。門が落ちたあと、副官へ真剣が向けられたこと。
将軍は黙って聞き、ネリスにも確認した。ネリスは自分が支柱を外す命令を拒んだこと、別の兵が作業したことを話した。近くにいた作業員も、鋼索への交換命令を受けたと証言する。イーノは赤旗を振って停止を求めた時刻と、オルフェンが開始の鐘を鳴らし続けたことを説明した。
オルフェンは途中で口を挟んだ。
「将軍、これは彼女の策です。私の昇進を妬んで、部下を唆した」
「昇進の話はしていない」
将軍は短く言った。
「私は、なぜ危険な門を使い、負傷者が出ても演習を止めなかったのか聞いている」
オルフェンは答えなかった。将軍は周囲の兵士へ向き直り、命じた。
「カーデン隊長の指揮権を直ちに停止する。武器を預かり、軍法官の到着まで監督下に置け。演習中の安全規則違反と、副官への武器使用について調べる」
二人の兵士がオルフェンの両側に立った。彼は抵抗しかけたが、将軍が見ていることに気づいて腕を下ろした。胸の赤い肩掛けが外され、剣帯も取り上げられる。彼が何より誇っていた指揮官の姿は、もうそこにはなかった。
「私の戦功まで疑うおつもりですか」
オルフェンが低く尋ねた。将軍は一瞬だけ彼を見た。
「雨裂峠の記録についても、当時の生還者から改めて話を聞く。お前が誰を置いて進み、誰が戻ったのかをな」
イーノは黙って敬礼した。セリアは胸の奥で長く張りつめていたものが緩むのを感じた。過去の名誉が今すぐ戻るわけではない。それでも、彼女が一人で抱えていたあの夜の事実を、ようやく誰かが確かめようとしている。
オルフェンは連れていかれる前に、セリアへ顔を向けた。
「お前は私の妻になれたのに」
彼女は少し考えてから答えた。
「私は、あなたと対等に生きたかったんです。あなたの勝利を飾るために結婚したかったわけではありません」
彼は言葉を探すように口を開いた。セリアは遮らなかった。
「今さら何を」
「今さらだから、言えるんです」
彼はそれ以上何も言わず、兵士たちとともに闘技場を出た。セリアは背中を見送ったが、呼び止めなかった。
将軍はルカたちの方を見て、医務室へ運ぶよう改めて指示した。セリアが教官職の停止について尋ねると、彼は眉を寄せた。
「正式な停止命令は受け取っている。ただし、今日の件とは分けて審査する。お前が危険を報告したことを、処分の理由にはしない」
「候補生たちの資格は」
「本日の演習は安全上の理由で中止する。失格者は出さない。三人とも、怪我が治ってから改めて受験できる」
セリアはようやく息を吐いた。すべてが解決したわけではない。彼女の仕事も、戦功の記録も、正式な結論を待つ必要がある。しかし、三人の未来が今日ここで閉ざされることはなくなった。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは私の方だ。候補生を守ってくれた」




