第5話_帰る場所はここにある
将軍はそう言い、医務室へ向かった。セリアも続こうとしたが、イーノに呼び止められた。
「腕を見せろ」
セリアはイーノの傷を見た。早く手当てが必要だった。
「あなたこそ、血が止まっていないでしょう」
「お互い様だな」
二人は医務室の前にある長椅子へ腰を下ろした。治療係が忙しく動き回る中、イーノは袖をまくり、セリアの左肘に清潔な布を当てた。彼女が彼の腕へ包帯を巻こうとすると、彼は少しだけ照れたように笑った。
「峠でも、こうして巻いてもらった」
「覚えているわ。あなたは怪我をしているのに、痛くないと言い張った」
「今も痛くないと言ったら?」
「信じない」
セリアが答えると、イーノは小さく笑った。彼女は包帯を締める強さを確かめながら、彼の古傷の上に新しい傷ができてしまったことを悔やんだ。
「私のせいで、また怪我をさせた」
「俺は自分で走った。お前のせいじゃない」
「でも」
「セリア。俺を守るために、お前が一人で危険を引き受ける必要はない」
彼は彼女の手をそっと止めた。包帯を巻き終えたところだったので、セリアは逃げずにそのまま顔を上げた。
「さっき、答えを聞かせると言ったな」
「演習が終わってからって、あなたが言ったのよ」
「終わった」
彼は真剣な表情になった。セリアは不思議と怖くなかった。オルフェンに婚約解消を告げられたとき、彼女は自分が誰からも必要とされなくなるように感じた。しかし今、イーノは肩書きも戦功も関係なく、彼女自身を見ている。
「二年前、峠から戻ったとき、俺はお前に言いたいことがあった。だが、お前には婚約者がいた。だから黙っていた」
「イーノ」
「今日、お前があいつと別れたと聞いて、喜んでいいのか分からなかった。お前は傷ついていたし、俺が喜ぶような話じゃない」
彼は一度言葉を切り、セリアの返事を待った。彼女は何も言わずに続きを促した。
「俺は、お前が好きだ。危険な場所へ飛び込むところだけじゃない。弱い兵士を弱いまま見捨てないところも、自分が間違えたときにはちゃんと認めるところも。帰る場所をつくろうとするお前と、同じ場所へ帰りたい」
セリアは目を伏せた。彼の言葉は、今の彼女が失ったものを埋め合わせようとしているのではない。ずっと見てきた彼女を、これからも見ていたいと言っている。それが分かるから、すぐに答えるのが惜しかった。
「私、今は仕事も決まっていないわ」
「知っている」
「婚約を解消したばかりよ」
「それも知っている。返事を急がせるつもりはない」
セリアは彼の右手を見た。傷のある腕をかばいながら、それでも彼は彼女の手を放さずにいる。彼女が望んでいたのは、誰かの勝利を飾ることではなく、困ったときに一緒に考え、間違えたときには止めてくれる関係だった。
「待たなくていい」
イーノが驚いたように顔を上げた。
「あなたと一緒に帰りたい。今度は、仕事の話だけじゃなくて、私自身のことも聞いてほしい」
「もちろん」
「それと、あなたの話も。北方で何をしていたのか、何が怖かったのか。私ばかり守られるのは嫌だから」
「分かった」
イーノはゆっくりと彼女の手を握り直した。セリアは自分から彼の肩に寄りかかった。彼の制服には砂と血の匂いが残っていたが、今はそれさえも、二人が同じ場所から生きて戻った証のように思えた。
医務室の扉が開き、フェルンが顔を出した。
「教官、ルカが呼んでます。あと、トビアスが泣いてます」
セリアは慌てて身を起こした。イーノは笑いをこらえながら立ち上がり、扉を押さえた。
「行こう。お前の大事な三人が待っている」
医務室の中では、ルカが寝台に横たわり、足首を固定してもらっていた。トビアスは椅子に座って鼻をすすり、フェルンは二人分の水を持っている。セリアが入ると、三人は一斉に顔を上げた。
「教官、俺たち、また試験を受けられるって」
ルカが言った。セリアは頷き、寝台のそばへ腰を下ろした。
「ええ。今度は足を治してから。痛いときは痛いって言うのよ」
ルカは寝台の上で姿勢を直した。痛む足は固定されている。
「はい」
「フェルンは、息が苦しくなったら無理に進まないこと」
「はい」
「トビアスは、誰かを助ける前に自分の足場を確かめて」
トビアスは涙を拭き、少し笑った。
「教官は、俺たちを置いていかなかったですね」
「あなたたちが、先に決めたでしょう。誰も置いていかないって」
三人は顔を見合わせた。ルカが寝台の上で背筋を伸ばし、フェルンとトビアスも並んで立った。
「教官。ただいま戻りました」
セリアは返事をしようとして、声が詰まった。闘技場では一度も泣かなかったのに、三人の無事を目の前にして、ようやく涙がこぼれた。
「おかえりなさい」
イーノは扉のそばで静かに見守っていた。セリアが振り向くと、彼は小さく頷いた。彼女は涙を拭い、三人に向き直った。
「今日の試験は終わったけれど、あなたたちの訓練は終わっていないわ。次は、ちゃんと全員で旗を持ち帰りましょう」
「はい!」
三人の返事が重なった。窓の外では、闘技場の片づけが始まっている。壊れた第三門は撤去され、通路には安全を知らせる白い布が張られていた。
セリアは寝台のそばを離れ、イーノのところへ歩いた。彼は何も言わずに手を差し出す。彼女はその手を取り、医務室の扉を開けた。
外へ出ると、午後の光が石畳を照らしていた。二人は並んで歩き、王都の通りへ続く門へ向かう。セリアは一度だけ振り返り、医務室の窓に三人の姿があるのを確かめた。ルカが手を振り、フェルンとトビアスも続く。
セリアは大きく手を振り返した。
そしてイーノと一緒に、門をくぐった。
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