第4話:検認済みのファイナル・アンサー
翌朝。
遺言書を見つけたことを弁護士に電話で一報を入れた。
そこで今後の手続きについて、一通りご教示頂く。
「見つけたはいいけど、勝手に開けたら過料(罰金)だ。 家庭裁判所に書類を揃えて送り、一ヶ月以上も待たされて、ようやく愚弟も呼び出しての『開封の儀』。 たった一つのファイルを解凍するために、一ヶ月も待機 (ウェイト)させられるなんて。まったく、この国の法制度のレイテンシ(遅延)はどうなってるんだか」
ため息をこぼしながら……遅い朝食を取る。
何食べようかな、冷蔵庫に手を伸ばした。
◆◆◆
家裁での手続き当日。
通されたのは「検認室」という、なんてことのない会議室のような部屋だった。
裁判官が淡々と、しかし厳かに、封印された遺言書を手に取る。
(……ようやくか。ここまで一ヶ月。お役所仕事特有の、長すぎる待ち時間の果てに、ようやく中身が開示されるわけだ)
裁判官の手によって慎重に封が切られ、遺言書が取り出される。
「……それでは、内容を読み上げます」
その声が響いた瞬間、横に座っている愚弟の呼吸が荒くなったのがわかった。
『全財産を長女に。ただし、弟の遺留分については——』
読み上げが進むにつれ、愚弟の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。怒り、困惑、そして強欲。
その隣で、クズ嫁も「えっ、嘘でしょ……?」とでも言いたげに口を半開きにしている。
(……はい、終了。お前らの望んでいた「棚ぼた」なんて、どこにも書かれていない。勝手な期待が音を立てて崩れていくのは、実に壮観だ)
手続き自体は、わずか15分ほどで終わった。裁判官は形式的なチェックを終え、事務的に「検認済み」の証明書を綴じ込む。
これでこの文書は、法的に最強の効力を得た。
◆◆◆
検認室を、愚弟が我先にと退室していく。そのすぐ後ろをクズ嫁が続く。
裁判官の前ではビビっていたくせに、終わった瞬間に食ってかかる、愚かしい弟。
「納得いかねーよ! なんで俺の取り分がこれだけなんだよ! 大体、そんな本の間から都合よく出てくるなんておかしいだろ。お前が、あの人の筆跡を真似して書いたんじゃないのか!?」
(……はぁ。裁判官の目の前で『検認』が済んだばかりだというのに、今さら偽造を疑うのか? 正規のデジタル署名がついたファイルを『これウイルスだろ!』って言い張る情弱を見てる気分だ。メモリの無駄遣いにも程がある)
それに対し、弁護士の冷徹な返しだ。
「……落ち着いてください。先ほど家庭裁判所の検認室で、あなたも立ち会いのもと、裁判官が形式に不備がないことを確認しましたよね? 筆跡について異議があるなら、どうぞ、今すぐ訴訟を起こして筆跡鑑定を行ってください。ただし、その費用は自己負担ですし、形式も内容も民法第968条の要件を完璧にクリアしています」
弁護士は眼鏡のブリッジを指先で直すと、さらに言葉を重ねた。
「法的には、これが亡くなった方の『最終的な意思 (ファイナル・アンサー)』として既に確定されているんです。あなたが何を叫ぼうと、過去の事実を書き換えることは不可能です」
ジリジリと歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほど食いしばってる顔……。無様だな。
「ふざけるな! 俺は息子だぞ! 跡取りなんだぞ! 半分もらう権利があるんだ、法律で決まってるんだ!」
力みすぎて白くなっているこぶしが、情けなく震えている。バカな主張をしてんじゃないよ、みっともない。
弁護士は淡々と続ける。
「次に『権利』についてですが、確かにあなたには『遺留分』があります。しかし、過去にあなたが親から受けた数千万円の援助……これらはすべて『特別受益』として持ち戻しの対象となります。
計算したところ、あなたが既に受け取っている利益は、本来の相続分を大幅に超過しています。法的に言えば、あなたは既に『もらいすぎ(オーバーフロー)』の状態なんですよ。これ以上を求めるなら、むしろ超過分を姉上に返還しなくてはならない可能性すらあります」
(……絶句してる。 『俺は息子だ』って……。3歳児でも、お菓子をすでに3個食べてたら『もうないよ』って言われれば理解するぞ。こいつの脳内には、算数という概念すら実装されてないのか。本当に、愚かで、クズで、救いようがない。同じ血が流れていると思うだけで、自分の体内のシステムが汚染される気がして反吐が出る)
「ちょっと待ってください! 私だってこの家の嫁として、法事のたびにお茶出ししたり、あの人の話し相手になったり……。その分の『慰謝料』というか『報酬』をもらう権利があるはずでしょ!」
正気か……。「黙れクズ嫁!」と叫びだしそうになったのをぐっと飲み込んだ。
弁護士(最強のデバッガー)のターンだ。眼鏡のブリッジをクイッと上げながら、専門用語を冷徹に叩きつけてくれるであろう彼女に、私は期待の眼差しを向ける。
「……奥様、根本的な誤解があるようです。まず、あなたは本件における『法定相続人』ではありません。あなたがどれだけお茶を出そうが、法的には『特別の寄与』とは認められません。
そもそも寄与分とは、被相続人の財産の維持または増加に『特別の貢献』をした場合にのみ認められるものです。専門的な言葉で言えば、あなたは『被相続人の親族』ではありますが、『相続権を持つ者』ではない。つまり、この場においてあなたが金銭を要求する法的根拠は『皆無 (ゼロ)』です」
(……よし。弁護士さんの口から『あんたは部外者だ』ってハッキリ言ってほしかったんだよね。嫁の顔が、チョコミントアイスのチョコみたいに真っ黒に固まっていく。あー、爽快)
弁護士の説明は続く。
「遺言書には『全財産を長女に』とあります。弟さんに残されているのは、法的に最低限保障された『遺留分』のみ。それも、ご実家を売却した代金から、あなたの借金の肩代わり分を相殺すれば……あら、残高はほぼゼロですね」
私は冷ややかな声で、一切の感情をなくしてとどめを刺す。
「……だそうだ。理解できたか? おまえらの主張、最初から論理が破綻してるんだよ」
……まぁ、理解なんてできやしないんだろうけどな。
本当、バカは嫌いだ。
ぐうの音も出ない二人の前で、私は心の中で「排除完了」のチェックを入れ、昨夜食べたチョコミントの味を思い出しながら席を立つ。
出口へ向かう私の背中に、愚弟が何か情けない叫び声を投げかけてきたが、今の私にはただの雑音にしか聞こえなかった。
最後に、一瞥もくれずにこう言い放つ。
「じゃ、これで……バイバイ」
(はぁーー……。これで、クズとは完全断絶!ふぅ、すっきりした。私の人生から、あの不具合の塊はいなくなった。重苦しい荷物を、やっと手放せた……爽快感)
裁判所の重い扉を押し開ける。
……しかし、外は土砂降りだった。




