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最終話:系譜のデリート、その先の静寂

 私が幼い頃。

 祖父が生前、横並びで二つの敷地を市が管理する墓地に契約をした。


 初めてお墓参りというものをした時の記憶は、うっそうとした木々や竹藪が二つの敷地分刈り取られたその空間の真ん中に、一つの墓石が佇んでいた。そう、一つだけポツンとだ。


 祖父が建てた墓石だった。


 そこには二つの家の名前が記されており、当然私たちの家の名前と、もう一つは祖母の旧姓。つまり、祖母の先祖までがこの墓の中には眠っておられるわけだ。これはあとから知ったのだが、とても珍しいことだという。


 それと同時にもっと珍しいのは、敷地が二つ分あるのに、なぜ一つにまとめてあるのか? 理由は単純、これは仮の墓石だったらしい。なんとまぁ……まぎらわしい。


 その翌年、周囲にあった木々や竹藪はほとんど見られなくなり、隣の見ず知らずの墓石も見通せるように整備されていた。


 そして我が家の墓石と祖母の実家の墓石も、お揃いで二つの墓石が並んで立っていた。

 踏み入ると新しい砂利は音を立て、私たちを迎えてくれる。

 新しいそのお墓を家族総出で掃除をし、手を合わせた。

 懐かしい思い出だ。



 さて、思い出に浸るのもこのくらいにしよう。私の最終目標、墓じまいだ。

 とはいえ……墓じまいと一口に言っても、どこから手をつけたものか。


 とりあえずスマホで「市営墓地 返し方」と検索してみる。出てきたのは、市のホームページにある、いかにも役所らしい文字が並んだPDFファイル。『市営墓地使用許可証返還届』。


 文字を追っていくと、要するに「墓石を自分たちで片付けて、元の更地に戻して市に返してね」ということらしい。


「やっぱり、ただ『やめます』って言えばいいわけじゃないんだな……」


 画面をスクロールしながら、次は石材店、次は改葬の手続き、とやるべきことのリストを頭の中で組み立てる。業者を探して見積もりを取って、役所に書類を出して。


 気が遠くなるような作業だが、これを終えない限り、私はあの愚弟や、その背後に透けて見える欲深い嫁との『縁』を、本当の意味で断ち切ることはできない。


 先祖には申し訳ないけれど、あいつらにあの場所をかき乱されるくらいなら、いっそ私の手できれいに、何もなかったことにしてしまおう。


 ため息を一つ吐いて、私は石材店を調べるために再び検索窓を叩いた。



◆◆◆



 石材店との現地調査の日、私は数年ぶりにあの場所へ足を踏み入れた。


 区画の前に立った私の目に飛び込んできたのは、一束の、萎れた花だった。

 まだ供えられてから日は浅い。


「……あいつ、来たんだ」


 二日前、私は愚弟に電話を入れた。墓じまいの件、そして今後は一切の関わりを断つという最終通告。電話越しに、弟は「勝手なことするな!」と喚いていたが……結局、反論する論理も気力も尽きたようだった。


 騒ぎ立てるだけで何もしなかった弟が、最後に一人でここへ来て手を合わせた。

 それが彼なりの、精一杯の「けじめ」だったのかもしれない。


「……ま、最後の良心が数ミリくらいは残ってたってことか」


 小さくため息を吐き出し、私は隣に立つ祖母の実家のお墓に軽く会釈をしてから、石材店の担当者と私たちの墓石の撤去工程を確認した。



◆◆◆



 撤去当日。


 事前に教会へ足を運び、先生にはすべて相談済みだ。

 現地に現れた先生へ、私は深く一礼した。


「今日はよろしくお願いいたします」


「こちらこそ。心を込めてお務めさせていただきます。……これまで本当によく守ってこられましたね」


 先生のその一言に、少しだけ肩の荷が軽くなった気がした。

 墓前には教会の先生が立ち、最後のまつりがしめやかに執り行われた。


 先生の朗々とした声が響く中、私は榊を供え、静かに目を閉じる。

 先祖への感謝と、今日この場所を去ることの報告。

 祭が終わると、石材店の手によって納骨室の蓋が開けられた。


 中から取り出されたおこつを、私は一つずつ、丁寧に先生の手へと引き渡していく。


「……先生、どうかよろしくお願いいたします」


「はい。お引き受けいたしました。どうぞご安心ください。これからは教会の納骨堂で、共に見守らせていただきます。では、先に教会で準備しておりますので、お待ちしておりますね」


「はい。よろしくお願いします」


 先生に深く頭を下げ、その手にあるご先祖たちが新しく安らぐ場所へと向かうのを、私は最後までじっと見届ける。

 この後、教会の納骨堂で執り行われる納骨の儀をもって、ようやく一区切りとなるのだ。


 先生を見送った後、入れ替わりで重機が入り、作業が始まった。

 かつて家族総出で掃除をした、あの立派な墓石が、慎重に、けれど容赦なく解体されていく。



 一時間、二時間……。


 石がすべて取り払われ、表面の砂利が剥がされると、そこには湿った、けれど力強い土の色が広がっていた。


「終わりました。ご確認をお願いします」


 担当者に促され、私はその場所に立った。

 幼い頃に見た、あの「ポツンとした空間」よりも。 今の、何一つ遮るものがない更地の方が、ずっと広く、潔く見えた。


「……綺麗。本当に、何もなくなったな」


 あいつらが入り込む余地なんて、もうどこにもない。

 親族という名の重い鎖を、私は自分の手で、最後の一本まで断ち切ってやったのだ。


 工事の完了を確認し、費用の振り込みについて担当者と手短に言葉を交わした私は、その足で先生の待つ教会へと向かった。


◆◆◆


 厳かな光が差し込む教会の納骨堂。

 先生の手によって、預けていたお骨が一つずつ、新しい純白の器へと納められていく。最後の祭として、先生が祈りを捧げる中、私はそのすべてを目に焼き付けた。


 納骨堂の扉が、静かに閉まる。


(……これで、本当に終わりだ)


 執着すべき形はなくなった。

 これからは、この静かな場所で、誰にも邪魔されずに、ただ穏やかに眠れる。

 胸の奥から、温かい安堵の波がじわリと広がっていくのを感じた。


 これで、子供としての、そして家を継ぐ者としての最後の大きな「お務め」が一つ完了したのだ。


「今日は本当にお疲れ様でした。いつでもまた、お参りにいらしてくださいね」


「はい。先生、本当にありがとうございました。……では、これで失礼いたします」


 穏やかに微笑む先生に深く一礼し、私は教会の静寂を後にした。


 手元に残った書類をカバンの中でそっとなぞる。

 感傷に浸る時間は終わりだ。次に行うべきは、現実的な「手続き」。


 私は気持ちを切り替えるように強く一歩を踏み出し、次なる目的地へと向かった。



◆◆◆



 市役所へ完了報告の書類を出し終えた帰り道。


 ふと空を見上げると、抜けるような青空が広がっていた。


 家裁でのあの日を思い出す。私は自他共に認める雨女だ。自慢じゃないが、ここぞという時はいつも雨。


(ははっ、私ってば、本当に雨女なんだよな……)


 自虐的に小さく笑いながら、眩しい日差しを手のひらで遮った。


「今日は珍しく晴れたな。……あーあ。もしかして、あの人が味方してくれたのかな」


「よくやった」と背中を押してくれているような、そんな気がした。


 私は駅前のコンビニに寄り、保冷ケースからいつものチョコミントアイスを手に取る。

 店を出て、日差しを浴びながらカップの蓋を開けた。


 ミントの爽やかな香りと、ビターなチョコの食感。


「……うん。最高にスッキリした味だ」


 私の人生は、今日ここから『更地』になる。

 誰にも邪魔されない、新しい未来を、これからゆっくりと組み立てていこう。


 私はスマホの電源を一度オフにした。

 黒い画面に映った自分の顔は、驚くほど晴れやかだった。


(おわり)

最後まで読んでいただき、ありがとうございました! 楽しんでいただけたなら幸いです。

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