決着の時
◇
――《おい……葵!》
気を失った葵に、男の声がした。
「だ……れ……」
――《焼け死ぬぞ! 起きろ!》
火が迫っているのだろうか。
熱と息苦しさがある。
倒壊した瓦礫からなんとか這い出した。
辺りの光景に絶句した。
火が海のように、うねり燃え盛っている。そのせいか、周囲に人影はなかった。
――《絶望してる場合じゃないだろう》
声が響く。
頭へ手をやると血でぬめった。どうやら瓦礫が当たったらしい。
(……この声、直清さんなの?)
――《ああ、お前本当に悪運強いな。派手な倒壊に巻き込まれて、その程度で済むんだから》
蒼井の姿はないが、呆れたような感心したような響きだ。
(どうして直清さんが、話せるようになってるの?)
――《この大火に佳代が呼び覚まされて、俺が意識として出てきた。だが、多分それだけじゃない。恐らくあいつが近くに……》
ふいに組紐が揺れた。
振り返った先にいたのは――
「片桐左京」
左眼の傷を目にし、途端に右手に力が漲った。
暴走するような強さはない。
「なぜ、あなたがここに……」
「上に命令されたんだよ。重要文書を持ち出せと。だがこれじゃ、跡形もないだろうね」
片桐は崩落した屋敷を見て、諦めとも違う薄い笑みを浮かべる。
「あんたの恋人を殺った時も、こんな風に燃えてたよ」
火は激しさを増し、片桐と葵を囲う檻のようだった。
「佳代、だったか? 黒焦げになってたろう? 遺体は見なくて正解だったと思うな」
恍惚とした表情で舌なめずりをする姿に、葵は吐き気を催した。
「それ以上言わないで……」
「あの女、最期まであんたを呼んでたよ? 無様に命乞いをしてね」
動揺してはいけないと思っても、理性を遥かに超えた怒りにわなわなと手が震える。切っ先が定まらない。
――《葵、今だけ俺に代わってくれ》
頭の中で直清の声がした。
(だけど)
――《頼む。殺しはしない、信じてくれ》
直清と、そして佳代を思い、葵は瞼を閉じた。
「わかった、お願い」
告げると、組紐が熱を帯びる。
熱は右腕から肩、胸へと駆け抜け、視界が傾いだ。
次の瞬間、自分の身体なのに、自分では動かせなくなっていた。
目を開けた蒼井は仇を見据えた。
「なんだ? 雰囲気が」
片桐は後ろへ足を踏む。
「決着をつけよう片桐」
蒼井は平正眼に構え、刀身の狙いを定める。ふ、と呼吸音がするより早く踏み込む。
蒼井が前方へ薙いだ刀は、残像すら見えない速さで、大きな孤を描く。
そのままに振り上げ、力の限り、逆刃で片桐の肩を叩いた。
めきめきと骨へ食い込む。
片桐の低いうめき声が響く。
片桐は、右肩を抑えた。
「やってくれるな」
ぐん、と蒼井はさらに間合いを詰め、返した刀で喉を狙う。
片桐は飛び道具のクナイを投げる。
一瞬、蒼井は足止めされた。
「さっきから逆刃だの柄だの、どういうつもりなんだ?」
不満を露わにし、片桐は唾棄した。
蒼井は奥歯を噛んだ。
本当は片桐の胸を切り裂いてやりたい。
奴が絶命してもなお、血しぶきを浴びるほどに刃を突き立てたい。
だが――
「それでもこの手を、血に染めるわけにはいかない」
胸の内に燻る復讐の煉火は、業を宿した朱色から、蒼白い炎に変わっていく。
これは、弱い心を持った蒼井自身との決別なのだ。
「復讐には呑まれない!」
「綺麗ごとを」
蒼井の目が、迷うことなく片桐を捉える。
片桐は薄ら笑いを消し、刀尖を、地面に着くほど低く構えた。
(来る)
片桐の太刀を受け流し、鞘で手首を叩き打つ。二段構えで、逆刃を片桐の胸へ放った。
「ぐうっ……」
渾身の一撃に、片桐は刀を手離し膝を着いた。
炎が大小爆ぜる音に、蒼井は耳を傾けた。
雌雄は決した。
――これで終われる
そのとき。
鋭い銃声音が、湿った空気を裂いた。
伏せる間もなく、蒼井のふくらはぎに熱い衝撃が走る。
「っ……」
地に打ち付けるように身を低くした。
(すまない、葵――)
蒼井と葵の意識が裏返った。
「っ……」
(なに……どういう……)
混乱のうちに、再び乾いた銃声が響いた。
葵は、目にした光景に息を飲んだ。
「片桐……!」
銃弾を浴びた片桐の身が弾かれたように踊り、ゆっくり後ろへ仰け反った。
ざり、と地を踏む足音が後方からした。
振り返ると、長銃に装填している男がいた。
男は火縄銃ではなく、最新式の銃を装備している。それなりに人を統べる立場なのだろう。
「せん……せ……なぜ……」
片桐は途切れ途切れに言葉を紡ぎ、男のもとに這っていく。震える手は空をもがくように掴み、そのまま地面へ落ちる。
そのままぴくりとも動かなくなった。
(先生? この男が、片桐の師匠)
「なぜ味方を」
男は冷ややかに銃を下げた。
「片桐は知りすぎた。私の仕事も、名も、繋がりも」
「あなたが育てて来たんじゃないの?」
男の顔色には、片桐に対する同情などわずかもない。ただひたすらに、虫けらでも見るような視線を足元へ注いでいる。
葵は撃たれた足を押さえ、よろよろと立ち上がる。腰の刀に手をかけた。
男は浅葱色のだんだら羽織に向け、嘲るように鼻を鳴らした。
「新選組か。時代遅れに刀など振り回しおって」
――刀が、時代遅れ
確かにこれからは、最新兵器が物を言う時代が来る。
「こいつも用済みだ」
男は、片桐の刀を踏みつけ、骸を蹴り飛ばした。
「やめて……!」
いくら片桐でも、そこまでの扱いを受けることに耐えられない。
柄が軋むほど指の力を強くした。
男が再び銃を構える。
すでに次の弾を装填し終えた銃口が、葵の胸にぴたりと定まる。
この時代の銃は遠距離では命中が定かでない。だが今、敵との距離は十メートルもない——。
一発。それだけ躱せば勝機はある。
傷ついた足に神経を集中させる。
銃口が、微かに動いた。
響く乾いた音と共に、葵は地を転がった。
熱い風が頰を掠める。弾丸は標的を失う。
躱した安堵に、わずかに気が緩む。
だが、男は長銃を地に落とし、懐に手を入れた。
「その羽織に掲げた誠の一字ごと、撃ち抜いてくれよう」
男が取り出したのは、黒光りする小型銃。
――ピストル
長銃との二段構えだった。
それを目にしても、恐怖はなかった。
代わりに込み上げたのは別の感情。
「生きて還る……!」
気勢を上げ、真っ向から突っ込んだ。
「なっ……馬鹿な」
虚を突かれた男は目を開き、引き金を引く手を揺らした。
葵は刀を手に、力の限り飛び込んだ。
拳銃が音を立てて転がり落ちる。
切っ先を、男の喉仏へ静かに当てた。
「刀が終わっても、想いは遺る」
刀が銃に成り代わり、人々の手から武器が消えても、
新選組の誠は生きる。
直清や、佳代のように犠牲になった、名もない人たちの人生も全て、
消えてなくなりはしない。
そう、紡げない言葉の重みを刀に乗せた。
「や、やめろ」
手にした刀の先が、男の皮膚へ柔らかく沈む。
「くっ……」
生々しい感覚に息を止め、左肘を男のみぞおちへ打ち込む。
男は気を失った。
縄をかけ始めると、雨がぽつぽつと降ってきた。屋敷を食らい尽くした炎が消えていく。
背後で小さなうめき声がした。
「片桐!?」
近寄ると、微かに肩が上下している。
「……死なせて……くれ」
彼は出血量は多いが、弾は致命傷を外れていた。
妖しく光っていた目は快楽の色を消し、代わりに深い絶望に覆われていた。
信じていた人に裏切られた苦しみを思い、葵は、一瞬気持ちが引きずられかけた。
しかし、唇を強く結ぶ。
「楽に死なせたりしない」
応急処置をして、止血した。
片桐は横たわったまま目を閉じている。
消えかけた炎の向こうに、浅葱色の羽織が見えた。
「総司さん!」
生きて逢えた喜びから、思わず大声で叫んでいた。
「葵!」
沖田は倒れている片桐に目もくれず、雨水を跳ね上げ、一直線に葵に駆け寄る。
葵の頭部から流れる血と、足の銃創を認めると、そのまま沖田は、崩れるように両手を地面へ突いた。
「……戦の混乱を想定しきれてなかった」
沖田は自分を責め、重い後悔を滲ませる。
先程まで生きるが死ぬかの場面にいたから、まだわずかに震えている彼へ触れたくて、手が伸びかけた。
「よう、無事だったか」
土方が率いる隊が合流した。
葵はさっ、と手を引っ込めた。
「はい!」
「あ? お前なんでそんなボロボロなんだよ」
「や、かくかくしかじかでして……」
土方は、片桐とその師に目を留めた。
「こいつか、お前の仇は」
沖田は目を瞠り、葵の右手首を掴む。
「切れて……ない」
組紐に変化がないとわかると落ち着いたのか、沖田は布を裂き、葵の足の傷に当てる。
「仇を止血するより、先にこっちでしょう」
低い声と手つきが、行き場のない怒りをぶつけてくる。
(痛っ)
声を上げないよう唇を噛む。沖田は眉を寄せ、手を緩めた。
「もう、済むよ」
布を結び終え、最後に、足へ優しく触れてくれた。
遠くで、しきりにほら貝の音がし始めた。葵は不安になった。
「今、どんな状況なんですか……?」
「この辺りの長州軍は撤退した。だけど、御所へ出動要請が出ている」
「私も一緒に行きます」
沖田は厳しい顔に戻った。
「ほかの負傷者と、消火活動を主として拠点へ戻って。これは組長命令だ」
有無を言わせぬ圧だった。
行ったところで、足手まといになることは確かだ。
「付いて行けずに、申し訳ありません……」
ご無事で――と続けるより先に、沖田が口を開く。
「生きて還る。必ず」
葵は頷いた。
間もなく新選組は、御所へ向かった。
葵は拠点へ帰る者たちと、護送の準備をした。
雨は激しさを増している。これで大砲や銃が湿気れば、ますます刀が主力となる。
沖田の無事がより固くなったように思えた。
組み紐に触れ、空を仰いだ。
打ちつける雨粒に、しばらく顔を打たせた。
一粒ずつの痛みに、目を閉じた。
(終わったんだよ、直清さん)
――《あぁ、ありがとう》
蒼井の声は途切れていたが、雨空の後に差し込む陽のようだった。
葵の胸にも、蒼井と同じ陽が差していた。
――
1日間お休みをいただきます。
22日㈬~更新いたします
いよいよ物語も終幕です。




