心の重し
禁門の変は一応の落ち着きを見せていた。
「お疲れ様です」
葵は包帯や消毒液を入れた桶を抱えて、蔵の前で警備をしている隊士に声をかけた。
ここは、捕らえた者を一時的に収容しておくのに使っている蔵だ。
「どうぞ」
隊士は蔵の錠を解いて、葵と、その隣りにいる沖田を通した。
ぎいっと重い音を立てて戸を開く。
夏の蒸し暑さが、この薄暗い蔵の中だとわずかに和らぐ。
奥まで足を進めると、片桐がどうでも良さそうに葵たちを一瞥した。
彼は両手と両足を固く縄で縛られ、更に柱に繋がれていた。
沖田は鍔に手を掛け、いつでも抜刀できる状態で葵にぴたりと着いている。葵が「銃の傷跡を消毒したい」と言うとすぐに沖田が前へ出た。
「俺がやる」
手早く処理する沖田へ、葵は背後から「縄も変えてもいいですか?」と遠慮がちに続けた。
片桐の手足は、きつく固定されているせいで青紫に鬱血している。
沖田はあからさまに眉を寄せた。
片桐の傷の痛々しさにではなく、葵の提案にだった。
沖田ははっきり口にしないが、市民を焼き打ちするような重罪人に、こんなに手厚くする必要はないと考えているようだった。
沖田は、葵が心配そうに片桐の傷や手足を見ているとわかり、仕方なしに縄を手にした。
古い縄のすぐ下を縛り直し、古いものをぷつりと切る。
「ずいぶん大事にしてくれるんだな」
片桐は皮肉を言った。
「勘違いするな。手足が腐るのを防ぐだけだ」
沖田の答えに片桐は鼻で笑ったが、息を静かに吐いている。縄の場所が変わったことで血が巡り、安堵したようだ。
片桐が、蔵の荷の奥側を見た。
「先生は……?」
葵は合点した。
片桐は、自分を狙撃したあの男のことを気にしているのだ。
「あの人は特に外傷もないですから、今日のうちに六角獄舎へ移りますよ」
片桐がしたことに同情は出来ないし、残忍な人斬りであることも変わりない。
葵も危険な目に遭わされた。
なのに、所詮は片桐も時代の傀儡だったという事実のせいか、
師に裏切られた彼の目が、父を探す子どものように見えてしまう。
「俺もじきに六角獄舎へ行くの?」
答えようとすると沖田が手で制した。
「もう十分だ。教えてやる必要はない」
実務的な回答だったが、沖田の目には、片桐に対する憐れみとも言えない色が浮かんでいた。
近藤という師に恵まれなければ、自分も片桐のようになっていたかもしれない――沖田は片桐を見るたび、そんな思いが胸をよぎるのかもしれない。
葵は手桶を脇に抱え直した。
最後に猿ぐつわをはめ直された片桐は、何を考えているかわからない快楽殺人者の顔に戻っていた。
蔵を出ると、突然の眩しい日差しに目がくらむ。
「大丈夫?」
沖田は葵から桶を引き取った。
「後は法に任せよう。葵は、よくここまでやったよ」
「そうですよね。ずっと追っていた片桐を捕まえたんですもんね」
「そうそう。それに、被害も思ったより広がらなかったし」
混乱の中、長州軍と幕府軍は互いに火を放ち合い、大砲や銃の影響もあり、想定通り火災は起きた。
しかし当日は雨が降っていた。また事前の消火班を置いたことで、京都の大半が燃えるほどの大火事にはならないで済んだのだった。
何てことない彼のひと言は、いつも葵の胸から重しを攫ってくれる。
屯所内に戻り、桶を片付ける。葵は目に入った組紐に触れた。
「仇討ち終わったら切れちゃうのかなって思ってましたけど、それが一番ほっとしてます」
沖田から返事がない。
「総司さん?」
「あ、うん」
ぼんやりしていたのだろうか、それとも。葵は沖田のおでこに手を当てた。
平熱だ。
「疲れました?」
ぎゅっと葵を抱きしめて沖田は首を振る。
「今夜、あちらの家に帰るよ」
「夕餉作って待ってますね」
明るくなった葵の顔を見て、沖田は「行ってくるね」と額に口づけていった。
大したことはなかったが、葵は脚を傷めたためしばらく巡察もない。
(稽古場に顔出してみようかな)
「あっ、葵ちゃん!」
藤堂が子犬のように駆け寄ってくる。 手には文を持っていた。
「宮野君からだよ」
「宮野さんから?」
葵は思わず目を見開いた。
「あの時は急に血ぃ吐いて皆びっくりしたろ? でも、今は落ち着いてるみたい」
文を受け取る。
短い文だったが、力強い筆跡だった。
「宮野君は、葵ちゃんの代わりに僕の八番組へ来てから、ずっと弟みたいなもんだったから……元気そうで良かった」
「あの時、早く休ませてもらえて本当に良かったです」
文を胸に抱くと、宮野の笑顔が浮かんだ。
そのとき、
「脚がまだ治ってねえだろうが」
土方が向こうから木刀を担いで来た。
「土方さん顔怖っ」
藤堂がぽそりと呟く。
「葵! 隊から逸れたことは仕方ねえがな。その後だ後! また危険なことしやがって」
禁門の変の最中に崩落に巻き込まれ、銃を持った相手に突っ込んで行ったことを、彼は怒っているようだ。
「で、ですが……土方さん"敵に背中を見せる奴は俺が斬る"って言ってたじゃないですか」
それに従えば、葵の行動はそこまで間違っていないのではないかと、恐る恐るだが言い返す。
「馬鹿野郎。長州の奴らに殺されるくらいなら俺に斬られろ」
藤堂が呆れ顔をする。
「無茶苦茶ですよ。心配だったって言えばいいじゃないですか」
「そんな生っちょろい話をしてるわけじゃないんだよ」
ぎゃあぎゃあ言い争う声も、日常だと思えば微笑ましい。
しかし土方は、一通り小言を言い終えると真面目になった。
「近々、長州征伐の話も出てる」
「この機は逃せないですもんね」
藤堂が頷く。
「ああ、奴ら御所に大砲を打ち込んだんだからな。長州は今や朝敵だ。徹底的に叩きのめしてやる」
威勢のいい声が響く。
(息つく暇もない。それで総司さん、元気なかったのかな……?)
せめて、家にいるときくらい安心してほしい。
その思いで、家へ足を向けた。
――――
あとがき
7/31に完結します。
二人の恋の行く末をぜひ見届けてください。




