生きて
◇
それから数日が経った。
長州軍が南の藩邸に到着したが、膠着状態が続いていた。
その日の夕刻。
土方が本陣から橋下へと戻ってきた。
「本日中にやつらが退かなければ、日が変わり次第、伏見の長州屋敷に焼き討ちをかけることに決まった」
「ついにか!」
今やほぼ全員が出ずっぱりで陣地にいる新選組は盛り上がりを見せる。
「湿っぽいことを言うつもりはねえが、夜に備えて、きちんと休息をとること。以上」
土方はあくまで、表情も声も崩さなかった。
「葵、武器庫見てこい」
彼は間を空けず沖田を一瞥した。
「総司も一緒に行ってやれ」
「はい」
沖田は歩きながら、まだ見ぬ敵がいる向こう岸を見つめる。
「長州軍は時間を稼ぎたいみたいだな」
「数の上ではこちら側が有利ですよね?」
葵は、ここにいない人数も含めざっと考える。
幕府軍は総勢約7万人。対する長州軍はせいぜい3千人。
それでも退かずに攻め込んでくるなんて、葵には到底理解できなかった。
「……向こうも後がない。決死の覚悟で向かってこられたら、やられることもある」
数だけでは測れないんだよ、と沖田が言った。
(命を懸ける、か)
短く散ったとしても、志のために死ぬのは幸なのか。
ここにいると命の重さがわからなくなってくる。
遠ざかる黒い川に飲み込まれそうだった。
武器庫へ入り扉を閉め切ると、暗闇と湿っぽい匂いに覆われる。
灯りをつけようとした次には、火打石は音を立てて床へ滑り落ち、甲冑のひんやりした硬い感触が頬に伝わった。
葵は沖田に、強く抱きとめられていた。
「総司さん、苦し……」
身動ぎすると、彼の指は、葵の額に巻かれた鉢金に触れた。
そのまま指は、浅葱色の羽織の下へ着込んだ、鎖帷子へと移る。
指は触れるか触れないかの強さしかない。
まるで自身の甲冑と対照的な、葵の装備の弱さを、果敢なむような動きだった。
「もしかして……私のこと連れてきたの、後悔してます?」
しばしの後。
「してる。猛烈に」
言い終えない内に近づいた、彼の唇を拒んだ。
「なら、生きて帰りましょうよ」
――生きてほしい
ずっと、彼に言ってはいけないのでは、と我慢していた言葉だった。
「土方さんから聞きましたよね? 陣中法度のこと」
特別に追加された法度だった。
組頭が死んだ場合、組員は死ぬまで闘えと――いかにも、土方が言い出しそうなことだ。
「総司さんが死んだら一番隊全員討死なんですから、そんな顔しないでくださいよ」
あえて明るく言ったのだが、却って沖田の表情は沈んだ。
葵はやるせなくなって、足元に置いた提灯をとった。それでも沖田は何も言わない。
武器庫を確認してしまおうと、一人で棚へ向かった。
背後から、絞り出すような声がした。
「葵にはわからない」
一瞬で、色んな感情が込み上げた。
何も言ってくれないんだから、抱え込むんだからわかるわけない。
結婚したのに支えることはできないの?
じゃあ、私なんのためにいるの?
守られるため――?
だけど、組頭である沖田が背負うものは、葵より遥かに重い。
出陣前にごちゃごちゃ言うわけにもいかない。
そして最後に口をついたのは、
「ごめんなさい」
だった。
全部飲み込んだくせに、本心から謝れない自分に「最低」と心の中で毒づく。
「葵、ごめん」
沖田が手を取ろうとした、そのとき。ぼおーっと鳴るほら貝の音が闇夜を切り裂いた。
二人は急いで陣地に駆け戻る。
「開戦! 新選組は至急、伏見稲荷の関門へ!」
急使の声に、皆弾けたように動き出した。
装備を終え、列をなして道を進む。
火が上がっているのだろうか、暗いはずの空は赤く染まっている。
この先で、人が殺し合いをしている。
いっそ斬り合いの中に飛び込むほうが、無我夢中で闘うしかなくなるから、早く着いてほしい。
そう思ってしまうほどの恐怖に、葵は襲われていた。
いよいよ、硝煙の焦げた匂いが風に漂ってきた。
さらに行くと、遠くに目を覆いたくなるような光景があり、
悲鳴、金属音、それから――
ぱぁんと銃声が弾けた。
「伏せてっ!」
葵は後ろから、沖田へ覆いかぶさった。
すぐに身を立て直す。
と、敵の殺気がした。
「下がって!」
物凄い力で沖田に後ろに放られた。
痛みを感じる間もなく刀を握る。
さっと周囲を確認した。
火縄銃や大砲もあるが、数は少ない。一度放つと、次の狙撃準備までには時間がかかるようだ。主力は刀だ。
新選組は陣中法度に従い、組を挙げて組頭を守る。
その徹底ぶりが結束の強さに繋がり、全体の数では少なくとも、合戦の中で奮迅の動きを見せていた。
沖田と背中合わせに剣を構え、睨みを利かせる。
と、遠くから地響きがした。
「突撃ー!」
号令とともに、さらなる大量の人馬が向かってきた。
一瞬で陣形が散る。
「葵……っ!」
沖田の伸ばした手が葵の指先を掠める。
が、敵味方入り乱れた人波に引き裂かれる。
「組長! お気持ちはわかりますが!」
隊士達が、葵へ向かおうとする沖田を必死に押し留めている。
葵も隊列に戻ろうと試みるが、戦いながらでは距離は開くばかりだ。
「生きて還る!」
沖田の叫びが聞こえた。
それを最後に、完全に姿が見えなくなった。
一人になった心細さを感じる暇はない。
刃を交えるうち、葵は狭い路地に追い込まれ、長州兵三名に囲われていた。
「観念しろ。ここは長州軍の隠し通路だ。直に応援が来る」
葵の背には紅く燃える屋敷があり、熱さを感じる。もうどこへも逃げようがない。
そのとき、前にいた長州兵が、葵の頭上を指差し、顔色を変えた。
「崩れるぞ……!」
ハッと見上げると、目に入ったのは雪崩れる瓦だった。
耳をつんざく悲鳴は、自分のものだったのか、それすらわからなかった。




