夏の余韻※7/16休載
数日が経った。
「葵、巡察行ってこい!」
「はい」
屯所へ戻ってしまえば日常は容赦なく押し寄せてくる。
だからこそあの一日は、葵にとってきらめかしい珠になった。
一つの夏色を全て閉じ込めた、飾り立てたいけれど、誰にも見せたくない宝物。
(楽しかったな)
あさぎ色の櫛入れをそっとしまい、巡察へ出ようとした。
「葵ちゃん、怪我人が先!」
「えぇっ、どうしたんですかそれ」
藤堂が傷を負い、額からは血が流れていた。
「派手ないざこざに巻き込まれてさ」
そっと清潔な布で拭いて止血する。
深いと思った傷はそうでもなさそうで、血はすぐに止まった。
「藤堂さんにこんな怪我させるなんて、よっぽどの遣い手ですね」
藤堂は顔を伏せた。
「左目のあいつだよ」
鼓動が跳ねた。
「片桐左京……?」
「顔を隠していたけど、間合いを詰めたときに一瞬傷が見えたんだ」
一緒に藤堂と廻っていた、入隊したばかりの隊士が悔しさを滲ませる。
「すみません藤堂さん、俺のせいで……」
藤堂は彼を背にしていたのだが、片桐左京はそれを弱点だと一瞬で見抜き、言葉と剣で撹乱して来たという。
「あいつ、快楽のために人を斬るのかと思ったけど……新選組側の数の多さを察して、案外冷静に引いたから、そこも厄介――」
葵の顔色を見て、藤堂は大きく伸びをした。
「あー! 池田屋にいれば今頃片桐も牢獄だったのにねっ。傷の手当ありがとう」
「藤堂さん……傷開いたら困りますから、今日は安静にしてくださいね」
「うんっ! 葵ちゃんこれから巡察?」
「はい」
沖田と一緒だというと、藤堂は安心したようだった。
そこへ永倉が現れた。
「ってえ〜、やっちまった」
親指を押さえている。
原田と打ち合っていたが、小手が悪いところに当たったという。
「藤堂、怪我なんて珍しいな」
「油断しました」
永倉は、腫れている親指部分を冷やしながら、息を吐く。
「近頃攘夷派の奴らいきり立ってるからな。奴ら、池田屋で捕らえられた同志が牢獄で酷い目に合わされてる、早く助け出さないとって焦ってるらしいぜ」
藤堂は憮然とした。
「京都に放火しようとしたんだから、少々は酷い目にあっても仕方ないと思いますけどね」
違いない、と永倉が豪胆に笑い飛ばす。
(攘夷派の怒りはなくなってないんだ)
戸口から沖田が顔を見せた。
「葵、巡察行ける?」
「すみません、今行きます」
赤みが引くまで冷やすように永倉に伝えて屯所を出た。
◇
葵は沖田と、他の隊士と昼の巡察に出た。
間もなく盛夏を迎える京都の町は、蝉の鳴き声が飛び交い、暑さに拍車をかけている。
戦火が京都を覆い尽くす禁門の変――七月十九日は近づいてはいる。
だけど兵が押し寄せるような気配はない。
(本当に戦争になるなら……そろそろ動きがあるよね?)
「葵、ぼんやりしない」
「すみませんっ!」
「片桐のことだけど」
藤堂から聞いたかと言われ頷く。
沖田は、江戸の新徴組から"片桐には慕う師がいる"と情報を得た、という。
「そんな人がいるんですね……」
「いくら片桐でも、単独で民家を焼き討ちしたりはしない。指示する者がいるはずなんだ」
「それが、その"師"なんですか?」
恐らく、と沖田は頷いた。
「幼い頃に拾われたと言うから、片桐もその男の前では、違った顔があるのかもしれないな」
聞けば片桐は、元服前から人斬りをしていたという。
(子どもにそんな事させるなんて……)
片桐はやたらと、沖田と自分は同類の人斬りだと煽っていた。
あれは、沖田に非道なことをさせて悦んでいるのだと思ったが、片桐には、もっと深い闇が根ざしているのだろうか。
急に、京都見廻組の管轄である、北のほうが騒がしくなった。
沖田が前方へ視線を移した。
「行こう」
近づくにつれ人垣が増していく。
「何があったんですか?」
「そこの旅籠で、見廻組が……」
間もなく、ざわざわとした人混みをかき分け、見廻組が旅籠から出てきた。
斬り合いになったようで、返り血を浴びている。
沖田が見廻組隊士となにやら会話して戻ってきた。
「……攘夷派の志士が集会していたところに踏み込んだらしい」
葵は息を飲んだ。
「これって……」
沖田は神妙な顔で頷く。
「葵が話してくれた、元の池田屋の事件と似ているな」
歴史は変えられなかったのだろうか。
鉄さびのような血の臭いが、暑さでむせ返るほど強くなり、生温い風に流れてくる。
元治元年七月。
陽炎が立つほどの酷暑日だった。
――その日以降、京の町では、
「いずれ攘夷派の報復が起きる」という噂が日ごとに膨らんでいった。
夏の余韻※7/16休載します。7/17㈮から投稿します。




