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夏祭り

「総司さん、生まれた日っていつですか?」


「え? 夏……かな」


 曖昧な答えでも良かった。

 この時代の人たちは誕生日をそこまで気にしていないのは知っていたから。


「じゃあお祝いしましょう、今日!」


「寝てたほうがいいんじゃないの?」


 彼は丸いおでこに額を合わせ、首に手を当てた。


「まだ熱い」

 

 葵は熱中症で倒れてから、なんとなく火照りが抜けなかった。

  

「熱いのは、総司さんが近いからです」

 

「こっちは?」


 硬い手が、首から襟元に滑り落ちていく。

「ちょっ……」


 慌てて腕を掴むと、

 彼はなに? と涼しい顔で葵を見下ろし、

 

「じゃあ、夜にね」


 と手を退けた。


 今夜は、池田屋事件で倒れた葵を気遣って、土方が暇をくれた。宵山の後祭りに行くことにしていた。


「夜、楽しみにしてます」


 祭りを。

 だったのだが、都合よく解釈した彼は、未だ初々しい妻の頭を撫でた。


(くし)も買おうか」


「そしたらお義姉さんからもらった櫛入れも持っていきます」


 あさぎ色の櫛入れを懐に入れる。


「そのまま行くの?」


 ぽかんと見上げると、彼は葵の稽古着を指さしていた。


「浴衣が見たい」


「かしこまりました」


 笑顔で言うと、満足気に頷いた彼は「また後で」と部屋を出た。


 縁側で風鈴がりん、と鳴った。


「浴衣、浴衣」


 箪笥(たんす)から浴衣を出してじっと見る。

 お祭りで着られたらいいなと買ったものだ。

 着てみて、ううん、と鏡と睨み合う。


「大人っぽすぎたかな」


  濃紺の綿紅梅の生地には、朱色の帯を合わせて文庫結びにした。

 袖を揺らすと、細やかな糸で縫い取られた白銀の花模様がきらりと色を変えた。


 髪を低く麻紐で結び、紅を唇に乗せる。

 鏡の中の自分が取り澄ました顔を作るから、なんだか恥ずかしくなり、鏡へ掛布をした。


 真っ赤な鼻緒の下駄をつっかける。

 いつも沖田は先にいることが多いから、どきどきしながら裏門へ向かう。


(ん? いない?)


「わっ」


「きゃあっ!」


 後ろから脅かされて、悲鳴を上げた。こんなことをするのは一人しかいない。むくれて振り向く。


 怒ろうとして尖らせていた口は、すぐに半開きになった。


「かっこいい……」


 葵のうっとりした眼差しと、手を胸の前で組み合わせる姿は、まるで夢見心地の乙女だった。


「そんなに見られると照れるな。いつもと同じ色だけど?」


「そうなんですけど、でも素敵です」


 墨色、なのはいつもと同じなのだが、生地が薄い分気軽な雰囲気を醸し出し、季節を感じさせる。

 さらにこれから二人で祭りに行くとなれば、特別に見える。


(結婚してから、初めてのデートだもん)

  

 出発したのは夕暮れ前だった。

 夏は日が長い。ゆっくりと日が空の端に消えて行く。

 祭りまで距離はあるものの、話すことは尽きない。


「祇園祭は……山鉾(やまほこ)? が有名なんでしたっけ?」

 

「うん、今日行くのは後祭りだから屋台はないんだ。夕飯は、宿でね」


 そう、今夜は外泊する。

 彼の視線が意味ありげに感じて、葵は髪に手を遣った。

 ◆



 祇園囃子が夕暮れ時の風に乗って聞こえ始めた頃。

 

 沖田は、隣をふわふわ浮いたように歩く葵を流し見た。

 買った(くし)はあさぎ色の袋に入れたはずが、嬉しいのか取り出しては眺めている。


「それで良かったの?」


 店で葵が手に取ったのは、装飾がないただの柘植(つげ)(くし)だった。

 その時は気にならなかったのだが、沖田が買うと言ったせいで、葵に遠慮させてしまったのではないかと今さら心配になった。


 葵は「駄目でしたか?」と目を上げた。不思議そうに開いた色素の薄い瞳に、吸い込まれそうになる。


 常に意識しているわけではないが、葵といつか離れることになると、どこかで考えているから、このひとときが絵のように思えるのだろうか。


 それとも、大事な人と過ごす時間というのは、得てしてそういうものなのか。


 長いまつ毛が瞬いて、沖田の耳に祇園囃子が戻った。


「いや、その櫛を気に入ったなら良いんだ」


 はい、と返事をした紅の唇に手を触れた。

 

「今日は色っぽいね」


「ぇ!? そ、そうでしょうか……」


 葵は、落とさないように(くし)をしっかり握り、うつむきながら袋へ戻している。


 紐を結ぼうとしている手がかじかんだようになっていて、見ていてもどかしい。引き取って蝶結びにしてやった。


「ありがとうございます」


 礼を言う彼女の頬が、りんご飴さながらに赤く染まるから、つい意地悪したくなってしまう。


「淡い色もいいけど、その色もいい」


 渋みのある濃紺の浴衣を、駒形提灯の灯りが柔らかく浮かび上がらせ、白い首筋が映えた。

 衣紋から覗くそこへ指を這わせると、少し汗ばんだ肌が吸い付く。


 葵は首をすくめたが、甘えるように身を寄せた。


 その仕草の一つ一つが、自分の行為を悪戯の範疇から連れ出そうと誘惑しているようで、人通りが多いのに抱きしめてしまいそうになる。


 差し出した手にちょんと乗った彼女の指先が熱い。衝動的に強く握った。


「あ……」


 不安定な下駄に足元を取られた葵を支え、すくい上げるように胸に抱き寄せた。


「大丈夫?」


 うなずいた小さな身体は、沖田が覆った袖の中に簡単に隠され、誰の目にも触れていないように思えた。

 本当にそうであればいいと、馬鹿なことを考えて、そっと腕を解く。


 葵は沖田の後ろに目を留めた。

「綺麗……」

 

 振り向くと、葵の視線の先には、自分たちの背丈よりはるかに高い山鉾(やまほこ)が揺れている。

 

 いくつもの灯りを鈴なりにつけたそれは、周囲に幻想的な華やかさを与える。

 沖田は山鉾ではなく、隣の葵に見惚れていた。


 囃子(はやし)の音と共に、後祭りが夏の余韻を引いていく。


「そろそろ行こうか」


 今度こそ、その手をやさしく包み、二人で宿への道を辿った。

 

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