C偽の文
◇
「で? 攘夷派共は、古高が捕まったことを踏まえてこの後会合するんだろう? いい加減場所を教えろ」
蔵を出た土方は、古高を取り調べた勢いのままに、血走った目で葵に凄んできた。
「あまり早くお伝えすると、何処かから漏れれば歴史の流れが変わるかもしれませんので」
「ちっ、わかった。だが、この後の動きは俺はまだ決めてないからな」
土方は、葵の案に異を唱えているのだ。
葵の意見は「会津藩の手を借りて数で池田屋を包囲し、会合に集まった攘夷派を全員生け捕りにする」。
そうすれば攘夷派の怒りを買わずに、禁門の変を防げると考えている。
土方は奮然と腕を組み直す。
「一番に刀身を抜くのは、俺たち新選組でなけりゃならねえ。
安全なところで声を上げるだけじゃ、会津様を通して報国すると誓った誠が嘘になる」
彼の熱い焔が宿る目は、未来は知らないはずなのに、もっとずっと遠くを見据えているようだ。
沖田は葵と土方を見比べ、静かに手を挙げる。
「それでは、会津藩には周囲の援護や逃亡者の追手を頼み、あくまで実戦は新選組が主導するのはいかがです?」
「……総司、お前までそんな温い事を言うのか」
土方はにじり寄るが、沖田の目を見てため息をついた。
「目は口ほどに物を言うとは、よく言ったもんだ。お前の志は変わっていないな」
「ええ、試衛館を出た頃から。この先も変わることはありません」
二人が意志を交わし合うのを見て、葵は胸が熱くなった。
きっと上手く行く。
希望を抱き、葵は小さく息を吐き出した。
(さあ、まだやることがある……)
二人が局長室に入るのを見届けて、葵は屯所を出た。
夕暮が路樹を橙に染める頃。
葵は薬屋に変装して、池田屋近くを歩いていた。
(来るかな……)
ちょうど見つけられるかはわからないが、芸妓として潜入したときに逢っていた桂小五郎に会いたかった。
池田屋の角を曲がった時、人へぶつかった。
「失礼つかまった」
男はアクセントで対馬(今の長崎)の訛りを装い、着物や刀などの身なりも対馬藩士風に変装しているが、声でぴんときた。
桂小五郎だ。
聡明さを感じさせる穏やかな声と目の奥は、芸妓の碧を見逃してくれたときと何も変わっていない。
「ええ、大丈夫です」
葵は声を高くして返事をすると、その場から離れた。
物陰からひっそり確認する。桂は周囲を窺って池田屋に身を滑り込ませた。
歴史が変わっていないか不安だったが、
桂が来たということは、攘夷派の会合場所に変更はなさそうだ。
そして、葵が桂に会いに来た理由はもう一つ。
――桂が無事に池田屋の難を逃れてくれること
父が何度も語っていた。"逃げの小五郎"。 池田屋でも、桂は早く着きすぎたことで難を逃れたと言われている。
葵は用意してきた文に手を伸ばす。
もし、桂が池田屋から出てこなければ、「会合場所が変わった」と書いたこの偽の文を、池田屋へ投げ入れるつもりだった。
だが、杞憂だったようだ。
仲間がまだ来ていないとわかったのか、じきに桂は池田屋から出てきた。
懐手をして、対馬藩邸へと入っていく。
(良かった)
葵は文を使わなくて済んだ事にほっとし、彼の無事を祈りながら裏道を走った。
ふと、桂が死んだら薩長同盟は結ばれずに、新選組は助かるのだろうか? いや、過激な攘夷派を止めてくれそうな桂を、史実通りに生かした方が良い――
そこまで考えてぞっとした。
(私、何様……?)
桂は生きている人なのに、まるで歴史の駒のように俯瞰して見はしなかったか。
唇を噛み締め、走り続ける。
ますます沈む夕陽に影が盗まれないように、足は決して止めなかった。
部屋へ帰り着くと沖田が戻ったところだった。
「出動だ。会津藩にも話はついた」
近藤が会津藩へ直接出向き、話をつけてくれたという。
葵も鎖帷子、鉢金と防具を順に装備した。
重量が肩にのしかかる。
沖田は、唇まで青ざめた葵の背を押した。
「大丈夫、上手く行く」
「……はい」
すっかり日も沈み、誠の提灯の灯りを頼りに池田屋へ向かう。
新選組は総勢三十名。他のものは市中見廻りだ。
地面から湯気が上りそうな熱帯夜だ。
葵はなんだかふらつく足を踏みしめて、近藤らと先頭を行く沖田の小さな頭を見た。
(忘れてたけど、総司さんって今日……)
熱中症だ、結核の喀血だのと諸説あるが、沖田は倒れて池田屋から離脱したといわれている。
考えようとした時、沖田が振り返って葵を呼んだ。
「これから池田屋へ踏み込んで話を付ける」
まだ姿は見えないが、甲冑を着込んだ会津藩士たちがこちらへ向かっていた。
耳をすませば微かに金属の触れ合う音がする。
「片桐左京もいるかもしれない」
葵は朱色の組紐に触れて頷いた。
長州派の人斬りである片桐左京は、ここにいる可能性が高い。
仇を捕らえることが出来たら、この組紐に変化は起きるのだろうか。
「行ってくる」
暗闇であっても全てを見透かすかのように、沖田の目は冴えていた。




