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B桝屋

 局長室を出て、離れに戻るまでの廊下で身震いした。


 葵にあるのは、新選組オタクの父から叩き込まれた偏った歴史の知識だけ。

 父が新選組について語るときの、大げさなくらい熱い口調を必死に思い返す。


――新選組って、どうしてなくなっちゃったの?


 幼い葵の問いかけに、父は布団に入って答えた。


「時代の流れで仕方ないところはあった。

だけどな、池田屋事件はひとつのきっかけだったかなぁ」

 

「なんでそれで新選組がなくなるの?」


「池田屋事件で味方をたくさん殺されたから、敵が怒ったんだ。

それで、戦うために兵隊を連れてきたんだ。

禁門の変は戦争だ。銃や大砲も使って……」

 

 京都は火の海になったらしい――

  

 回想の中の父の顔が思い出せないのは、あの時部屋が暗かったからだろうか。


「池田屋事件で攘夷派を殺さず捕縛できれば、その先の流れを変えられる……?」


(だけど……変えてもいいの?)

  

 たくさんの人が、燃え盛る戦火の中を泣き叫んで逃げ惑うことになる。

 もしかしたら、見知った顔が命を落とすことになる。

 

 それでも黙っているのが善なのか。


 行灯の火に手をかざすと、熱さで皮膚がちりついた。

 

「あれ? 油切れた?」


 戻った沖田は、油が足りているのを見て腰を下ろす。


「総司さん、お話したいことがあります」


 向かい合って正座した。


「今日、京都の町を歩いていて歴史の事件を思い出したんです。

明日桝屋に踏み込んだ後、どうなるかを」


 今まで葵が未来を口にしたのは、改元のみだ。

 沖田も真剣な眼差しになった。


「どうなるの?」


「全てはお話できなくて。というか話すとどうなるかがわからないから、怖くて……」


 うん、と沖田は頷く。


「だけど話そうと思ってくれた。それは、どうして?」


「黙っているほうが、もっと怖いんです」


 言ってから俯いた。


「ごめんなさい。総司さんに背負わせるのと同じですよね」


「いい。葵が楽になるなら」


 話してごらん、と優しい声が落ちる。

 縋りたくなる手をつねって口を開いた。


「このままだと、そう遠くない日に京都でたくさんの人が亡くなります。全部は防げなくても、被害を最小にしたい……」


「新選組に何ができる?」


 顎を引き、息を深く吸えば、

 葵は護られる妻ではなく、新選組隊士としての顔に変わっていく。

 

「一つを変えたからといって、その先も思い通りに進むかはわかりません。

ですが、道はあります」


 その先の葵の提案を聞き終え、沖田は咀嚼(そしゃく)した。


「つまり、明日攘夷派志士の集会があるが、斬り捨てると攘夷派の恨みを買う。

その恨みが、戦につながる可能性があるということだね?」

 

「はい」


「明日を如何(いか)に穏便に済ませるか、か。局長会議を開く。例外だが葵も来てくれ」


 

 




 


――局長室にて


 葵は歴史も政治知識も薄いので、具体的なことになるといちいち詰まってしまう。

 そのせいで局長会議は荒れた。


「桝屋の主人は偽名です。彼の本名は……下の名前は忘れましたが古高(ふるたか)です。京都に火をつける計画をしています」

 

 差し出せる知識をひとまず伝えた。


「一旦桝屋に踏み込んでから、葵の言っていることの正否を確認する」


 土方の一言で午前七時頃に出動した。

 

 桝屋は、葵の目には普通の店に映った。

 いつもより厳重に装備した八人で桝屋へ踏み込んだ。

 

「新選組だ! 手向かいするなら斬り捨てる!」

 

 油の匂いがした。


 下僕が捕らえられたことで、自身の身の危険を察知していた桝屋 喜右衛門(きえもん)が、証拠を隠滅しようと灯油を撒いていた。


 寸でのところで喜右衛門を捕らえ、その後葵は地下へ向かった。

 続くひんやりした階段を、一段ずつ踏みしめ戸を開く。


 湿っぽい匂いがして、直後、葵は中の光景に息を飲んだ。


 狭い地下室には、武器がうず高く積まれている。木箱をあければ、爆弾がぎっしり詰め込まれていた。


「よくここまで集めたな……」

 横から隊士が呟く。


 いくら彼らなりの志があるとはいえ、これを使って京都に火付けするなど、テロと変わりない。


 地下室は閉鎖した。桝屋内を捜索し、証拠品をいくつか押収した。


「さあ、来いっ!」


 縄で後ろ手に縛られた喜右衛門は、うなだれている。

 彼はそのまま新選組の屯所――前川邸の蔵へ連行された。




 ◇


 前川邸、蔵にて。

 喜右衛門は柱に縛り付けられていた。


 中にいる新選組隊士は土方、沖田、葵。

 

 葵が初めに口を開く。


「あなたの本当の名前を教えてくれませんか?」


 ぴくりと彼は顔を上げた。


「何を言うか。私は桝屋喜右衛門以外の名など持ち合わせてはおらぬ」


「お願いですから本当のことを話してください」


「ただの商家の主人を捕まえて……これは権力を傘に着た不当行為ですぞ!」


「黙れ」


 土方の低い声がした。

「葵、やはりお前には任せておけん。今すぐ出ていけ」


 彼の手には蝋燭と五寸釘が握られている。何に使うのか予想がつき、葵は生唾を飲んだ。

 

 そこへ沖田が割り入った。


「喜右衛門さん、証拠は揃っているんですよ。書簡や地下の武器をどう説明されるんです?」


「濡れ衣だ。誰かが私を陥れようと――」


 沖田は一歩前へ出て、男の前にしゃがみ込み、真正面から覗き込んだ。


「実はね、先に捕らえた下僕が吐きましたよ。あなたが喜右衛門ではなく、古高さんだ、ということを」


 これは、葵に事前に聞いた話を使った、沖田の揺さぶりだ。

 

 ぐっ、と古高が喉を鳴らす。

「……出鱈目(でたらめ)だ」


 沖田はにこっと笑った。

 一瞬古高が、虚を突かれたように目を白黒させる。


「そうだ、彼は他にも色々吐いていましたね? 土方さん」


 これもはったりだが、土方は沖田に話を合わせた。

 

「まったく恐ろしいこと考えるよな。あの武器を使って京都に火をつけるなんざ。

てめえらは人の命はどうでもいいのか?

理性ってもんはねえのかよ」


 黙っていた古高が、かっ、と目を見開く。


「元はといえば貴様らが、長州を政治の場から追い出したのだ!」


「ほう、認めたな」


 土方が目を細める。

 古高は、先の言葉が失言だと気付いて固まった。


――貴様らが、長州を政治の場から追い出した……!


 古高の言い分は事実だ。

 新選組らは、八月十八日に御所を封鎖し、長州を政治の場から強制的に追放している。


(長州派の恨みは、池田屋事件からじゃなく、八月十八日の政変から続いているのか……いや)

 

 もっと想像もできない遠い過去から、因縁は複雑に絡み合っているのかもしれない。


――歴史という大河は、なんと広く、どこまで深いのだろう


 脈々と続くこの流れの前では、葵のやろうとしていることなど無いに等しく思えた。


「歴史にもしもはない」誰もがいう通説が、現実のものとなって身体が押し流されそうになる。


「もう十分だ。行くぞ」


 土方は他の者に古高の監視を言い付け、蔵を出た。

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