A語呂合わせ
「はい、これ祝言のお祝い」
甘味処で雪は、綺麗な刺繍が施された布を葵へ手渡す。
「すっごーい! 雪、天才!」
鶴や亀、七宝、梅などめでたいものがこれでもかと絢爛に刺繍されている。
「いや、あんたのおかげやわ。うちの刺繍なんて……って思ってたけど意外と売れるんよ。最近は公家屋敷なんかも出入りさせてもろて」
それで今日の待ち合わせは、お金持ちの多い、京都御所近くの甘味処だったというわけか。
幕末で唯一の友達の成功は心から嬉しい。
もっと食べて、と葵は白玉も雪に追加した。
「白無垢見たかったわ。これで沖田あおいになるんやね」
お雪は団子をかじりながらにんまりする。
改めて言われると照れる。
ずずっとお茶をすすった。
「雪は、この間言ってた縁談どうなったの?」
「うーん……」
お雪は串を置いてしまった。
薪炭商(薪や炭を売る店)の女将さんが雪の刺繍を気に入ってくれ、息子と縁談しないかと持ちかけたという。
「大きな店だから玉の輿」だと喜んでいたはずだった。
「ちょっと変わりもんなんよ喜右衛門さんは……」
「どんな人なの?」
「喜右衛門さんは、女将さんの実子やないんやけど、三十も半ばなのに一人もんなんを女将さんが心配して……
やけど、本人は女に興味なんてあらへん。
それに――」
雪は首を回し、周囲に人がいないのを確認した。
「あの店……多分普通やない」
「え?」
詳細を聞こうとしたとき、葵は咳込んだ。
「ごほっ……ごめん……風邪こじらせたみたい」
「団子も頼まんし変やと思っとったら……具合悪いならはよ言い! もう帰ろ」
甘味処を出ると、二人は烏丸通を歩く。
崩れそうな薄鼠の空は、雨粒をため込んでいるようだ。
「ほんま顔色悪いな。御所の方まで歩かせて悪かったわ」
「ううん、この辺あんまり来ないから楽しいよ」
普段御所の辺りは、新選組と同じく京都の治安を守る京都見廻組が担当している。
物見していると、あれ? と雪が目をすがめる。
「蛤御門が開いとる」
「蛤御門……」
なにか引っかかって葵は繰り返した。
蛤御門とよ呼ばれた門の前では兵士が槍を持ち、物々しい気配を放っている。
「蛤御門は普段は閉じてるんやけど、火事のときだけは開くんや。
それが口あく蛤みたいに見えるから、そない名付けられたんやって」
へえ、と相づちを打った葵の頭に、唐突に「人はむなしい」という歴史の語呂合わせが浮かぶ。
(人はむなしい むごい、内国……)
「天皇陛下が禁門の奥におられる思うと、背筋が伸びるわ」
雪はぺこりと会釈している。
禁門の変は蛤御門で起きた。そうだ、池田屋事件のあとに禁門の変が起きる。
葵は頭を殴られた気がした。
とっくに忘れていたはずの、散り散りになっていた記憶の欠片が合わさっていく。
――1864年6月05日 池田屋事件
――1864年7月19日 禁門の変
今日は、1864年6月4日。
事件の詳細を思いだそうとするのに、思考が止まる。
あと一つ欠片が足りない。
震える指を、胸の前で抑えつけた。
「ねえ、雪。さっき言ってた喜右衛門さんのお店、普通じゃないって言ってたよね……名前は?」
雪は御所を見据えたまま「ん?」と声だけで返事をする。
蛤御門がぎいっと音を立てて閉まった。
空がついに崩れ、梅雨の霧雨が葵の髪を頬へ張り付かせる。
視線を葵まで戻した雪は、ゆっくりと口を開いた。
「――桝屋」
逃げられない歴史の一枚絵は、見事に完成していた。
葵は雪に、金輪際桝屋に近づかないように言い、屯所に戻るなり沖田と土方に面会を求めた。
三人が集まったのは、夜も更けた頃だった。
「桝屋という店に、新たな情報がありました」
葵の一声に、土方が顔色を変えた。
桝屋は、新選組の監察が「過激な攘夷派の潜伏先」として前々から目を付けていた店だった。
「町で聞いた話に寄れば、桝屋の主人は昼夜もなく多くの人と面会し、荷を運び入れています。
そして、出入りする者から火薬のような匂いがすると言うのです」
その他、雪から聞いた、桝屋喜右衛門が養子になった怪しい経歴もつけ足す。
沖田が外へ目を向けた。
「じきに口を割るころですね」
先日攘夷派の志士の下僕を捕縛しており、現在取り調べ中だった。
その者から攘夷派志士の潜伏先が「桝屋」だと聞ければ、葵の情報はさらに信憑性が増す。
「葵、お前はもう下がっていい」
「はい、失礼いたします」




