5蜂蜜
――一週間後――
「……完全に移したな」
「そんなに落ち込まないでください」
枕元にいる彼に向かって、葵は布団から笑った。
「熱、辛い?」
「いいえ」
沖田は30cmはあろうかという異国の体温計を手に取り、
水銀を眺めては体温計を上下に振ったりしている。
葵が未来から来たことは信じるのに、体温計を信用しない沖田が可笑しかった。
「きちんと測れていますよ。女の人のほうが熱が出ても動けるとか言いますよね」
「動かないで寝ててよ?」
「明日には熱が下がるでしょうから、そうしたら昼からは巡察に行かないといけませんね……体調が悪くても無理する誰かさんみたいに」
それこそ誰かさんのような軽口を叩くと、沖田は「参ったな」とため息を吐く。
「これからは自分のことも……少しは気を遣うようにする。葵に心配をかけないように」
「はい、睡眠と栄養ですよ?」
「心得たよ」
わざとらしく片目をつむる沖田に、熱がまた上がった気がした。
にしても、葵は熱だけは高いが元気だった。
「一人で大丈夫なので、巡察行ってきてください」
近頃一部の過激派が暗躍しているという噂が実しやかに囁かれている。
ここに彼を留めるわけにいかない。
「置いていくのは心苦しいんだけど……」
言いつつも、沖田の目線は既に床の間の刀にあった。
(わかりやすい)
「蜂蜜が食べたいです。巡察の帰りに買ってきていただけませんか?」
「喜んで、他に食べられそうなものは?」
「熱以外悪いところはないので、なんでも食べられます」
「わかった」
頼られた喜びが顔に出ている。
早速立ち上がり、彼は手早く刀を二本差しにした。
その背中を見て、葵は目を細めた。
「ひたむきに仕事に取り組む総司さんを、誇りに思います」
「……行ってくる」
沖田は顔を隠し短い返事をすると、襖を閉じた。
――やっぱり、沖田には新選組が一番似合う。勝手に彼から奪うようなことにならなくてよかった
と、半分は思える。
(私が……)
最期の時まで傍にいられると確約があるなら、首に縄をつけてでも、彼を全てから逃がしたいのに。
この前沖田へ、「ずっと一緒にいさせて」と言ったばかりなのに、
こうして、自分がいなくなる未来を考えて、あちこち思考が飛んでしまう。
梅雨の雨音は、夏の夕立と違ってしとしと耳に心地良い。
むっと鼻を突く湿気った畳の香りに抱かれ、葵は目を閉じた。
◇
眠りの中で、何かが唇に触れた。
(――柔らかくて、甘い?)
目を覚ますと、沖田がいた。
「魘されてたよ」
汗をかいていたようで、手ぬぐいで拭いてくれた。
すみません、と言おうとして口が上手く回らない。
「悪くなってるんじゃない? ちゃんと寝てた?」
こくんと頷く。
沖田は手拭いを置き、葵に水を飲ませた。
「ありがとうございます、楽になりました」
「無理しなくていいよ」
優しい指先が頬を撫でる。無理に笑顔を作っても、どうしていつもバレてしまうのだろう。
「見舞いに来たいっていうんだけど、断ろうか?」
「いえ、どなたですか?」
沖田が立ち上がり、襖を開けた。
「葵ちゃん平気ー? お見舞い来たよ!」
藤堂と斎藤が立っていた。
「俺が倒れたときは来なかったくせに」
「沖田は気が抜けると昔から熱出すし、慣れちゃったよ。それに夫婦水入らずで、葵ちゃんに看病されたかったでしょ?」
「……今も、夫婦水入らずで、葵を看病したいんだけど?」
沖田に構わず、二人はずかずか部屋に入ってくる。両手にどっさり見舞いの品を提げていた。
「桃と琵琶持ってきたよ。あ、生姜糖と葛湯は斎藤からで……」
「風邪など、弛んでいる証拠だ」
相変わらず斎藤は手厳しい。
「全部食べなくてもいいよ。皮も剥いて来たからさ。葵ちゃん今一口食べる?」
起き上がろうとすると、沖田が藤堂を押しのけるように枕元に胡座をかいた。
「寝たままでいい」
「……?」
「口開いて」
沖田は木匙で桃を潰し、葵の口元へ持っていく。
(皆いるのに……)
熱で潤んだ目で沖田に訴えるが、
「なに、口移しがいい?」
唇が美しく歪められていく。
「・・・」
本当にされかねないので口を開けた。
少しの隙間から木匙が滑り込み、酸味と汁気がじゅわっと広がる。
何回か噛んで、ゆっくり飲み下す。
「ん……おいしいです……」
彼は、葵の口端から伝った果汁を指で拭って口へ運ぶ。
「うん、甘い」
桃はまだ早いかと思ったけど、と言う呟きが続くが、
葵の頬は、脇や首の体温がすべて集まったように火照った。
「真っ赤だね」
手が頬を包む。
彼の手が冷たいのか、自分の顔が熱すぎるのか。
「あのー、僕らいるんですけど」
「全くけしからん奴らだ」
しかし沖田は気が済んだのか、存外素直に礼を言った。
「世話をかけた。有り難いよ」
「どういたしまして、沖田も食べていいよ。病み上がりだろ?」
「……ああ」
「沖田、これを」
斎藤は紙を渡している。
「御朱印だ、無病息災で有名だからな。葵の分もある」
「俺も納経帳買おうかな」
沖田が言うと、斎藤は微かに笑った。
「夫婦円満の御朱印もあるぞ」
「葵が治ったら行ってみるよ」
「じゃ、あんまり長居するのも悪いから。斎藤行こうか」
二人きりになると、沖田は見舞品を整理し出した。
「持って来すぎだよな」
「きっと、総司さんの分もあるんですよ」
でないと、説明がつかない量だった。皆が沖田を心配しているんだなと思うと葵まで嬉しくなる。
「斎藤の葛湯飲む?」
「あの、蜂蜜は……」
掠れた声で言うと、沖田は小さな陶器の壺を取り出した。
「もういらないかと思った」
「忙しい中買ってきてくださったんですから、いただきますよ」
「無理に口にすることないよ」
彼は壺を卓の上に置いて、葛湯を淹れ始める。
(……うう、つむじを曲げていらっしゃる)
葛湯をぐるぐるかき混ぜている沖田の隣に座り、そっと、手のひらに乗るくらい小さい壺を開けてみた。
黄金色の蜂蜜が八分目まで入っていた。
「風邪を引くと、父も蜂蜜を買ってきてくれたんです」
「そうなんだ」
「朝、お昼ご飯と一緒に置いて、お仕事へ行くんです。『喉が痛いなら舐めて』って」
沖田の手が止まった。
「……一人?」
「はい?」
「熱があっても、一人だったの? 子どもの頃から?」
「そうですけど……」
沖田は、白濁した葛湯を見たまま黙っている。
「ふふ、混ぜすぎですよ。半分にしましょうか」
葵は、葛湯を湯呑みに半分ずつ移し、追加で湯を注いだ。ちょうどいいとろみになったものを、どうぞ、と手渡す。
「……今日、置いて行ってごめん」
「仕事なので、当たり前です。謝っていただかなくても」
「当たり前って思う前に、自分に寂しくないか聞いてごらん」
「……はい」
(寂しく、ない。と思うけど……)
差し出された、蜂蜜の乗った木匙をぱくりと咥えると、イガイガしていた喉と胸のあたりが甘いとろみに包まれた。
この味に覚えがある。
自身のしっとりした唇に触れる。
(やっぱりそうだ、寝ている時の……)
「おいしいです」
「良かった」
葵はそっと、彼の肩に寄り添った。
「夢の口移しの方が、甘かったですけど」
沖田はがたんっ、と立ち上がり「水足してくる」と、まだ満杯の水差しを持つ。
彼へ預けていた頭が落ち、左半身の体温がなくなると、胸がきゅっと締め付けられた。
「総司さん……」
見上げると、彼は水差しを置いた。
そして、蜂蜜をくれた。
唇が離れる。蜂蜜が甘い糸を引き、葵はそのまま彼の胸へもたれた。
「寂しいので、一緒に寝てくれませんか?」
いいよ、と沖田は葵を抱き上げ、一緒に布団へ入る。
ゆっくり頭を撫で、葵が眠りについても、いつまでも離れることをしなかった。




