6家
◇
「ねえ、まだ稽古場でからかったこと怒ってるの?」
離れの部屋で机に頬杖を付いている沖田は、目の前の葵をじっくり見詰めていた。
「怒ってないですって、そんなに見ないでください」
「口尖ってるから、可愛いなって」
「・・・」
葵はすっ、と立ち上がった。
「どこ行くの?」
すぐに後ろから捕まえられた。
熱を感じるとどきどき心拍数が上がってくる。
「夕餉の準備をしてきます」
淡々と言って腕を掴む。
解こうとするが、逃さないと圧が強まる。
「俺も行く」
囁きに、くすぐったくて身を捩る。
「総司さん、何なんですか今日は」
「んー……朝の葵の"さみしい"で、ずっと我慢してた箍が外れた」
沖田は葵を自分へ向かせて口づけた。
「逆に葵は冷静なんだね。浮かれてるの俺だけ?」
甘すぎて溶けそうだ。
「いえ、浮かれてますとも。だから、あえてこうしてるんです」
「どういうこと?」
「だって、こうしていないと何にも手に付かないです……」
一拍静まり、すぐに笑顔が返る。
「別にいいじゃん。何にもしないで俺のことだけ考えてれば」
自分でいうだけあって、どうやら沖田は相当に浮かれているらしい。
まるで少女漫画の王子様然としていて、硬派なときとのギャップが凄すぎる。
「少しは自制してくださいっ!」
「怒った顔も、可愛い」
閉口した。
が、単純だなと思うが、可愛いと言われるのは嬉しい。
このままではのれんに腕押しなので、無視して炊事場に向かうことにする。
沖田は後ろを付いてきている。
さすがに人前では距離は取っていた。
炊事場に入ろうとしたとき、
「あ、言うの忘れてたんだけど家借りたんだ」
「……いえ?」
うん、家。と彼は普通に返事をした。
「妻子は本来、屯所に住んじゃいけないの知ってるよね?」
新選組の隊規だった。スパイ防止や、隊士が命を惜しまないようにとして定められたらしい。
そして、幹部や信用のおける古参だけが"休息所"と呼ばれる別邸を持つことができる。
「葵は隊士だから屯所に住んでもいいって土方さんに言われたんだけど……今から行く?」
言い終える前にもう、手を差し出されていた。
◇
家は屯所からほど近くの路地裏にひっそりと構えられていた。
「ここを知ってるのは幹部だけだから」
夕暮れどきの橙に照らされた小さな門が、秘密の入り口に見えた。
彼は門を開けて、どうぞと促す。
くぐってすぐの玄関を開けた。
刀掛けに刀を預け、上がり框を踏む。
「お邪魔します」
杓子定規に直角にお辞儀をすると、
「葵の家でもあるけどね?」
優しい笑顔に、葵は潤んだ目を押さえた。
「……どうしたの?」
「父が再婚してから、居場所なく過ごしていたんです」
義母が妊娠してからは特に、高校の帰りにしたくもない寄り道をしたり、家に着いてもリビングにいないようにしていた。
「帰る場所があるっていいなって」
彼は両手を広げて出迎える仕草をした。
「おかえり、葵」
迎え入れられ、「ただいま戻りました」と呟く。
このやり取りが、ずっと憧れていたあたたかい家庭の窓辺に思えた。
外から羨んで眺めているだけじゃなくて、明るい家の中から窓を開けることができる。
何処にも行かなくていい。
「私、ここにいていいんですね」
「もちろん。葵のための場所なんだから」
沖田は急かさず、
葵が馴染めるまで、待ってくれているようだった。
「もう平気です。中も見てもいいですか?」
葵の笑顔に頬を緩めた沖田は、部屋の戸を開けた。
まだ何もない部屋に真新しい畳の香りが立った。
葵は胸いっぱいに吸い込んで「素敵です」と振り返る。
「屯所の離れのほうが広いけどね」
沖田は六畳一間の部屋をぐるりと見た。
「でも、二人だけだと思うと全然違う」
「本当ですね」
こうして、一間で居間も寝室も兼用するほうが、ずっと彼の気配を感じられるし新婚っぽくもあり、
「夢みたいです」
なにより、ここには誰もいない。
邪魔されることのない二人だけの隠れ家。
「俺もずっと試衛館にいたから……自分の家って初めてだな」
沖田の指が伸び、存在を確かめるように葵の輪郭をなぞる。
「夢なら、醒めないでほしい」
葵は幻想を閉じ込めるために、沖田の組み紐へ唇を寄せた。
この夢が、一生醒めることのないように。
沖田も葵の組紐に口づけた。
接吻が交差する中で陽が沈み、障子の橙が影に変わり始める。
そっと離れた沖田は障子を開け、景色を眺めた。葵も隣へ並んだ。
垣根がしっかりあり、その向こうに京都の夜が広がっている。
「今日は戻ろうか」
名残惜しく思いながらうなずく。
彼は「これからはいつでも来れるよ」と葵の目尻に触れ、
「時間のあるときに色々揃えないとね」
と家を出た。




