第3章 行列の道
卯月二日の朝七つ、マグダは上町の坂の上から歩き始めた。
祝福の日まで、あと六日。行列は八日の朝八つにここを出て、坂を下り、市参事会館の前を通り、中央広場を抜けて、大聖堂に入る。毎年同じ道だ。毎年同じ道を、マグダは毎年自分の足で歩く。去年と同じかどうかは、歩かなければ分からない。
坂の上は、旧家のザイデル館の前だ。白漆喰の塀に、蔦が這っている。去年の秋に枯れた蔦が、根元から小さな赤い芽を出していた。
道幅、馬車二台分。ここで人は詰まらない。上町の者は行列を家の窓から見る。
坂の途中の、ロズモンド館の前で道が少し曲がる。曲がり角に、見物の子どもが溜まる。隊員を二人。
市参事会館の前。ここで道が広場に開く。人が一度に押し出してくる。綱を張る。隊員を四人。
マグダは歩きながら、指を折った。
隊員は六十。北門と南門に六ずつは動かせない。牢と詰所に六。病で寝ている者が二。残りの四十で、広場の四つの角と、大聖堂の階段と、行列の両脇を守る。足りない。毎年足りない。足りないなりに、去年も一人も死ななかった。
去年までは、足りない分を雑費の行で埋めていた。鴉人の伝令を日雇いで走らせ、灰狼の跡追いに迷子を探させた。帳面の上では『走り 十回 銅貨百枚』と書く。その行は、如月の予算の議で消えた。今年は、迷子が出たら隊員が自分の足で探す。
大聖堂の前の階段は、二十二段ある。行列が入るとき、見物の者は階段の下まで押し寄せる。毎年、誰かが階段の三段目でつまずく。三段目だけ、石が少し低い。マグダは三段目に靴の先を乗せて、低さを確かめた。去年と同じだった。直す銭は、どこの行にもない。
*
広場に出ると、もう祭りの支度が始まっていた。
屋台の骨組みを組む男たちが、幟の竿を立てている。パン屋の前に、新しい札が出ていた。『三つで十枚』。ふだんは三つで九枚だ。祝福の日の前の三日だけ、一割ほど上がる。毎年のことで、誰も文句を言わない。言っても下がらないからだ。
代書屋の窓には、祝福の日の祈りの文句を清書した紙が吊るしてあった。字の書けない者が、家の戸口に貼るために買う。銅貨四枚。
下町へ下りる角に、口入れ屋がある。日雇いの口を世話する店だ。戸口の前で、人間の男たちが何人か、仕事を待っていた。
その一人が、マグダの灰色の外套を見て、聞こえるように言った。
「谷の連中が安く働くから、こっちの手間賃が下がる」
隣の男がうなずいた。誰も、マグダのほうを見なかった。
マグダは何も言わずに通り過ぎた。隊長が口入れ屋の前で何かを言えば、それは隊の言葉になる。隊の言葉は、言い方を選んでも、どちらかの肩を持ったことになる。
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詰所に寄った。
帳場で、オスカーが眼鏡を額に上げたまま、帳面の上の何かを探していた。帳場に三十一年座っている老人だ。
「オスカー。祝福の日の日当は、どの行から出る」
「出ません」オスカーは顔を上げずに言った。「雑費の行は、ありません。帳面は、破りません」
「破れとは言ってない」
マグダは会釈して、奥の廊下を通った。
廊下の途中に、押さえた品を置く棚がある。裁きの済んでいない者の持ち物や、証にする品が並んでいる。古い短剣、偽の秤、割れた錠前。その端に、油壺のついた灯台が一つ、埃をかぶっていた。
マグダは、その前を通り過ぎた。
ホルンの部屋の扉は開いていた。治安方の参事は、首の太い体を椅子に沈めて、書状を読んでいた。マグダが戸口に立つと、顔も上げずに言った。
「マグダ。北の女が、まだ街にいるそうだな」
「陳情の使いです」
「北へは一人も出さん。春の議で決まった。組合が請け負う。そう言っとけ」
「はい、ホルン参事」
ホルンは書状をめくった。話は終わった、という合図だった。
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午後、マグダは南門へ回った。
南門は交易の門だ。門の前に、交易商の荷車が三台並んでいた。祭りの品が運び込まれる季節だ。蝋燭の箱、布の束、南の葡萄酒の樽。
荷を降ろしているのは、灰狼族と蜥蜴人の荷運びだった。
マグダは数えた。七人。去年の祝福の日の前は、九人いた。二人減った。どこへ行ったのかは、数えても分からない。
門の内側の詰所の前で、若い隊員が綱の束を数えていた。トマスだ。頬にまだ産毛が残っている。
「隊長。綱が、一本足りないっす」
トマスは綱の端を自分の腰に結び、もう一方の端を持って、詰所の壁から壁まで歩いた。それから束の数をもう一度数えた。
「……足りてたっす。一本、壁の向こうに落ちてたっす」
マグダは何も言わなかった。言わなくても、トマスは自分で笑った。
南門の石柱には、霧の日の黒い筋がまだ残っていた。春先の霧は、石に跡を残す。夏の陽が一度当たれば消える。毎年そうだ。
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夕方、マグダは北の女を詰所の戸口に呼んだ。
女は、背が低く肩が広い。布にくるんだ細長い包みを、胸に抱えていた。
マグダは、言う真実を選んだ。
「隊は北へは出ない。それだけだ。誰が決めたかは、聞かないほうがいい。聞いても、村は守れない」
女は、しばらくマグダの顔を見ていた。目の下に、眠れていない者の影があった。
「北街道の先を、隊が守ってたことがあるのかい」
「ない。私が隊に入ってから、一度も」
「じゃあ、村は、誰に守ってもらってたんだ」
「雪だ」とマグダは言った。「冬のあいだは、魔物も野盗も山から下りてこない。春になると下りてくる。今年は、少し早い」
女は、包みを抱え直した。
「じゃあ、誰が行くんだい」
「それを決めるのは、私じゃない」
女はうなずいて、帰っていった。肩が、来たときより少しだけ下がっていた。
*
帰り道、マグダは錆び釘亭の前で足を止めた。
窓の中に、灯が入っていた。カウンターの脇に、樽の影が見えた。
春の議のあとで一杯もらいに来る、と自分は言った。あれは三人への贈り物で、自分の分は只酒ではない。掟には触れない。
それでも、今日は入らなかった。北の女に、隊は出ないと言ったその足で、栓の抜けていない樽の前に座る気にはなれなかった。
マグダは、外套の上の留め金に指をかけて、外さずに離した。
樽の一杯は、まだ只酒ではない。




