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第12章 捧げ物

十の鐘が鳴り終わるころ、大聖堂の中は、上町の家々の品で埋まっていた。


祭壇の前の台は樫の板で、幅が四尺と少し。いちばん奥に、ザイデル家の灰色の帳が広げてある。古い旗の切れ端が縫い込まれた帳だ。近くで見ると、継ぎの布は色が褪せて、元が赤だったのか茶だったのかも分からない。


その手前に、上町の家々の品が並んでいく。銀の燭台。聖餐の杯。白い糸で灯を刺した帳。どの家も、去年と同じ場所に、去年と少しだけ違う品を置く。去年より大きければ、その家は去年より羽振りがいい。去年より小さければ、何かあった。誰もそれを口には出さない。台の上を見れば分かる。


アーデルハイトは、身廊の右手、上町の家々の席の、前から三列目にいた。去年は二列目だった。


大聖堂の窓の色硝子が、床に光を落としていた。春の光は、まだ低い。青と赤の四角が、石の床の上で、参列者の靴の先にかかっていた。


*


ロズモンド家の番が来た。


館の男が二人、布に包んだ石の板を、祭壇の前まで運んだ。布を解く。灰色の石の表に、三本の釘を交差させた浮き彫りが現れた。釘の頭は大きく、門の鋲の形をしている。縁に一列、古い字。半分は欠けている。


男たちは、石を台の上に寝かせた。ザイデル家の帳の端には、掛からなかった。聖具係の言ったとおりだった。


身廊のあちこちで、小さな声がした。


「組合の焼き印に似ているな」

「釘三本だ。錆び釘亭の看板と同じだ」

「組合が、昔の紋を真似たのだろう。どこかの古い石から」


アーデルハイトは、声のする方を見なかった。声の高さだけを聞いた。驚いた声ではない。面白がっている声だ。面白がっていられるうちは、誰も眉をひそめない。


ザイデル参事の顔だけが、少しだけ固くなった。


前の列で、白い髭の横顔が、台の上の石を見ていた。杖の握りに置いた手が、一度だけ、握り直された。それだけだった。旧家の当主は、品を見て顔色を変えるような育ち方はしていない。


最後に、市参事会の名で、蝋燭百本が運び込まれた。参事たちが一人ずつ、火のついた蝋燭を祭壇の前の燭架に立てていく。


ブラント参事が、自分の蝋燭を燭架に立てかけて、手を止めた。


隣の蝋燭より、指一本ぶん短かった。行列のあいだに、ほかより早く燃えたのだろう。ブラントは灰色の毛皮の襟の下で、ほんのわずかに首を傾け、隣の蝋燭と自分の蝋燭を、見比べた。


手が、隣の蝋燭に伸びかけた。


その隣で蝋燭を立てていたのは、ホルン参事だった。太い首を回して、ブラントの手を見た。


二人の目が合った。


ブラントの手は、自分の蝋燭に戻った。何事もなかったように、まっすぐに立て直した。ホルンも、何事もなかったように、燭架の前を離れた。


アーデルハイトは、手袋の指を口元に当てた。


*


司祭が祝福の言葉を唱え、灯火教会の修道士たちが台の前に灯を掲げた。品は一つずつ祝福を受け、祭壇の脇へ移されていく。旧家の帳は祭壇の左、上町の家々の品はその手前、ロズモンド家の石の板は、祭壇の右の脇に据えられた。ここに一年置かれる。


儀が終わると、身廊の人が動きはじめた。


アーデルハイトは席を立ち、祭壇の右の脇まで歩いた。据えられた石の板の裏が、少しだけ見えた。表の浮き彫りとは違う、粗い鑿の跡が、斜めに並んでいた。新しい跡ではない。石切場が北の基礎石を外したとき、裏に古い鑿の跡がそのまま残っていたのだという。


石の前に、白い手袋の修道女がいた。


アガタは、縁の欠けた字を見ていた。字の一つ一つの上で、目が少しずつ止まる。読んでいるのか、数えているのか、アーデルハイトには分からなかった。


「先生」

「ロズモンドの奥様。よい捧げ物でした」


アガタはそれだけ言って、石から目を離した。


そのとき、二人の脇を、若い修道士が手燭を持って通り過ぎた。テオだった。手燭の火が、石の浮き彫りの釘の頭を、ほんの一瞬だけ照らした。三本の釘の影が、石の上で長く伸びて、すぐに縮んだ。


テオは振り向かずに、祭壇の奥へ歩いていった。


*


大聖堂を出たのは、昼を少し過ぎてからだった。


午後は、市参事会館の祝いの席で過ごした。祝福の日の午後は、上町の家々が参事会館の広間に集まって、葡萄酒を一杯ずつ飲む。座る椅子はない。立ったまま、誰と誰が話し、誰が誰に話しかけないかを、互いに見る。


アーデルハイトは、三人と話し、二人に話しかけなかった。ザイデル参事には、帳の継ぎ布の色を褒めた。参事は礼を言い、石の板のことは何も言わなかった。言わないことを、アーデルハイトは覚えておいた。


祝いの席がはねたのは、夜七つの鐘のあとだった。ようやく馬車に乗り込むと、ヘルマンが一通の文を差し出した。


「ネーベルから、今朝届きました。代理人の者からでございます」


南の川港に、ロズモンド家は商いの代理人を一人置いている。布の値、舟の荷、川筋の噂。年に何度か、まとめて書いてよこす。祝福の日の朝に届いたのは、たまたまだろう。ヘルマンは、儀の前には渡さないほうがいいと考えたらしい。


アーデルハイトは封を切った。布の値のこと、舟賃のこと、夏の荷のこと。どれも去年と変わらない。最後に、一行だけ、毛色の違う行があった。


『川港にて、人肌に温かい赤い石の値を訊いて回る者あり。白い法衣を着た者も、同じことを訊いて回っていた由』


アーデルハイトは、その行を一度だけ読んだ。


去年の秋、石を一つ失くした。祝福の日の台に置いて、祝福を受けて、化粧部屋に戻ってきた石だ。手袋越しに覚えている温かさは、もう手袋の中にない。失くしたものは、失くしたものだ。


それより、気になるのは、白い法衣のほうだった。


川港で訊いて回る者。白い法衣。石の噂がどこかで値を持てば、値を持ったものを巡って、誰かが誰かを疑いはじめる。上町は谷を、谷は上町を。そういう疑いは、席順のように、一度崩れると元に戻らない。


いまの痛み分けは、誰も満足していない。誰も満足していないから、誰も壊さない。アーデルハイトが守りたいのは、その、誰も満足していない均衡だった。


アーデルハイトは文を畳んで、手袋の中にしまった。


馬車が、ロズモンド館の門の前で止まりかけた。


「ヘルマン」

「はい、奥様」

「錆び釘亭に寄ってちょうだい」

「奥様、あそこは」

「知っているわ。だから寄るの」


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