第6話 オペラハウスの星
【前回までのあらすじ】
東京の地下アイドルプロデューサーだった俺は何故か18世紀のウィーンにタイムスリップしてしまった。様々な出会いを経てこの時代にアイドルグループNeue Sterneを作ったのだが、盟友モーツァルトの紹介で大作曲家ハイドンと若き日のベートーヴェンに出会う。
そしてグループ初の劇場公演の準備が始まる。
Neue Sterne初の劇場単独公演に向けての準備が本格的に始まり、慌ただしさの中で年は明け1786年を迎えた。
俺がこの18世紀のウィーンにタイムスリップして来て4ヶ月以上経った事になる。
イベントタイトルは
Feuerblüte〜炎の花〜
に決定した。
アイドルは花、しかし熱く燃える炎の花…というNeue Sterneが目指す音楽性とかパフォーマンスを象徴する感じだ。
楽曲は昨年のうちに、
俺が4曲
アマデウスが5曲
ベートーヴェン少年が1曲
現在10曲が完成している。
俺の曲はデビューライブでやった1曲以外は編曲をアマデウス・モーツァルトにお願いした。
現代アイドル曲アレンジのツボを理解して彼は、自らの曲も含め怒涛の速筆で書き上げてくれている。
また、あの時金の竪琴亭で突然作曲の提案をしてくれたベートーヴェン少年は翌日には完璧な編曲を持ってきて仰天した。彼のアレンジは低音を強調したよりロック色の強いものだった。これは是非歪みギターを入れたい…と真剣に考えてしまった。
対してアマデウスの曲は、彼の性格を反映してか非常にキャッチャーなリフや歌メロが印象的だ。現代の俺でも書けないようなブリブリのアイドルポップを長調曲中心に仕上げてくれて、それはそれで楽曲のバリエーションになる。
しかし…つくづく思う。
アマデウスと言いベートーヴェンと言い、未知の音楽に対しての理解度と応用力の早さは尋常ではない。
各々がその個性を出しつつ未来の音楽を自分なりに解釈して、しかも全く間違いない範囲で作ってしまう。
以前アマデウスも言っていたが、「僕がやったらこうなる」的な回答をすぐに導いてくるのは流石としか言いようがない。
まさしく稀代の天才たちを目の当たりにしている。これが歴史に残る音楽家の姿なのだろう。彼らと一緒に音楽を作っている自分が妙に小さく見えてしまうが…それが出来る幸せも大いに感じている自分がいる。
こうして楽曲は仕上がって来ているが、実は作詞が追いついていない。
元々現代の「カノン」の曲はほとんど俺が歌詞も書いていたのだが、今の俺は全曲の作詞をする余力がないし、無理にやって同じような歌詞を量産するのは本意ではない。
…そこで俺はリーナに作詞をさせてみる事にした。
ある日の店の休憩時間、俺はリーナに話してみた。
「作詞?」リーナは化粧を直しながら予想外の依頼に驚いていた。「私に歌詞を書けと…?」
「まぁそういうことなんだが」俺は少し恐縮しながら答えた。「歌う本人が自分の言葉で書いたら聴く人もより共感できるしさ」
「ん〜〜…やってみたいけど…何をどう書いたらいいのかわからないなぁ」
「人生経験豊富なリーナちゃんなら色々ネタはありそうだけどな」
「……年寄りと言いたい?」
「いやいや!けしてそんな意味では…」
「まぁ確かに30年生きてますけど」彼女は笑った。「あまり苦労話的な物じゃない方がいいでしょ?」
「まぁそうだな。アイドル曲はだいたい恋愛モノとかが多いかな」
「恋愛かぁ…」リーナは化粧を終えてため息をついた。「私、恋愛したことないんだよ」
「そうなの?」俺は単純に驚いた。「ちょっと気になった男とかいなかった?」
「10歳からずっと20年旅芸人だよ?一座の人たちとは全然そういう空気にならないし、そもそも一箇所に定住しないから」
「なるほどなぁ…」
「恋愛っていうものの概念っていうの?それは何となくわかってるつもりなんだけど、男性を好きになるっていう感覚になったことがないかも」
俺は彼女の話を聞いて腑に落ちた部分があった。
30歳にしては純粋無垢過ぎるリーナという女性は、恋愛経験の不足という構成要素も大きいのかもしれない。
「そんな私に」彼女は俺を見て言う。「恋の歌が書けますかって話よね」
「そうか…」俺は彼女を見つめ返しながら言った。「その星の事を書くとか…?」
そう、彼女は店でのデビューライブの日以来額の星型の痣を隠さずにいる。アンニやマレーネも手描きでメンバーカラーの星を描いているので、Neue Sterneのトレードマークみたいな感覚で認識されている。
「これかぁ…」リーナは鏡を覗きこんで言った。「この痣の事はちょっと重くなっちゃわない?」
「事実は書けないだろうから、希望の星的なテーマとかさ」
「ん〜…難しそう」彼女は少し考え、「やっぱり恋愛系がかわいいよね」
リーナは立ち上がって軽く伸びをした。
「ねえジョージ」
「ん?」
「私、恋がしてみたい」
「お、おぅ」
「というわけで」彼女は俺を見ずに言った。「私とデートしよう、ジョージ」
「…はい?」
「明日お店休みじゃん?いいでしょ?」
「デート…」
「そろそろ休憩終わり!」彼女は控え室から出て行く間際に小さい声で、「そしたらジョージに恋するかもしれない」
いや…それはいかんでしょ。
と返す間もなかった。
運営とタレントの恋愛問題はまぁよくある事ではある。正直それでうまく行っている人達もいる。
リーナは多分、本当に純粋に「恋愛ごっこ」的な擬似体験をしてみたいのだろうと思う。
そうであればそういう役回りも俺の仕事なのでは?と考える部分もある。
実際リーナには息抜きも必要かもしれないし、実は俺も息抜きしたい。
利害一致なのでは?(笑)
お互い本気にならない程度なら…と考えながら俺は厨房に戻った。
店のホールを通る際にお給仕中のリーナとすれ違ったので、俺は小さく耳打ちした。
「明日OK。くれぐれもアマデウスだけには秘密で」
リーナは明るく笑って「了解!」と言った。
翌日朝、俺はウィーン中心部を囲む城壁の外側、広大な緑地帯の遊歩道を歩いていた。
金の竪琴亭は城壁内部の繁華街から少し外れた路地に位置している。
聞いた話だが、この時代のウィーンでは未婚の男女が二人きりで出歩く事は基本許されていなかったらしい。もしその必要がある場合は、城壁の外で割と賑わう人混みの中で周囲に紛れて目立たぬように密会、というのが一般的だそうで…
これもリーナの母君である貞操深いマリア・テレジア女帝の方針なのか?とも思った。
そんなわけで城壁の外周を覆う緑地帯を抜けたあたりにあるプラーター公園で待ち合わせという事にした。
この公園はメインの並木通りが有名らしい。
通り沿いにはお洒落なカフェが立ち並び、生演奏の音楽が常に流れている。
貴族の馬車が通ったり肩を寄せるカップルが語り合ったり、確かに適度な人混みだ。
広大な敷地には緑も多く、ドナウ川も近い。この時代のウィーンで最も人気ある行楽地という事だ。
※以上情報提供:バンドドラマーのフランツ
プラーター公園のとあるカフェの前でリーナは待っていた。
遠くからでも目立つ独特のオーラが彼女にはある。初対面の時から感じていたどこか高貴な雰囲気は、王家の血のせいだったか…とその遠目からの姿を見て思った。
冬の寒空の下、外套の下に薄紫のドレス姿のリーナは俺に気づくと軽く手を振った。
「待たせたかな」俺は近づいて軽く一礼した。「今日はまた一段とかわいいな」
「またまたぁ。会って早々口説いてる?」彼女は無邪気な笑顔を見せた。「寒いからカフェに入ろうか」
「そうしよう」
俺たちは並木通り沿いのロココ風なカフェに入った。明るい窓側の席は美しい並木道が良く見える。
店内では弦楽四重奏が落ち着いた演奏を聴かせてくれていて、とても居心地がいい。
リーナはショコラーデ(ホットチョコレート)とキプフェルという三日月型のパン、俺はコーヒーとビスコッティを注文した。
「なんだかお洒落だねぇ」俺はビスコッティをコーヒーに浸しながら言った。「ここんとこずっと忙しくてさ、こういうゆったりした時間はホントに久々だなぁ」
「ほんとにね」リーナはショコラーデを一口飲んで、「さすがウィーンって感じのお店だね。アマデウスさんが好きそう」
「確かに」俺は窓の外の景色を見ながら、「仕事抜きで誰かと出掛けるなんて、ここに来て初めてかもしれない」
「そうか…そうだよね」
「たまにはこういう時間作らないとダメだね」
「そうだよ」リーナは少し真剣な顔になった。「ジョージは自分の国では恋愛してたの?」
「出た、女性が好きそうな話題」
「茶化さないで」
「うん…恋愛というか、結婚してた、昔」
「そうなんだ。…昔?」
「俺がこの仕事始めて、離婚したんだ」
「なんで?」
「俺の奥さんは真面目な会社員でいて欲しかったみたいでさ…俺が会社辞めて独立してアイドル事務所やるって言ったら猛反対されて」
「何故反対だったの?」
「会社勤めなら安定してるからね…独立するって事はその安定がなくなるわけで、結局それで別れる事になった。子供もいなかったし、まぁあっさりと」
「この世界だと、安定した宮廷楽士が旅芸人になるみたいな感じ?」
「まさにそれ!ルーカスは俺の同志」
俺の言葉にリーナは笑った。
彼女の無邪気な笑顔は誰にでも癒しを与える力があると本気で思う。
「やっぱり男って」俺は笑顔につられて笑いながら、「ロマンを求めてしまう生き物なんだろうな」
「私は座長を見て育ったからよくわかるよ」リーナがうなづく。「そういう人の方が好き」
「そう思う?」
「うん。私がジョージの奥さんだったら反対しないよ」
彼女は笑顔で話しているが、俺は内心ドキっとした。
そういうとこだよ、リーナ。
それが男を惹きつける天賦の才ってやつだ。
俺たちはしばらくカフェで他愛もない話をしたり演奏を楽しんだりした後、公園内を散策してドナウ川河畔まで歩いた。
真冬ながら陽射しが暖かい。
「美しき青きドナウって曲知ってる?」
俺は川面の反射を見ながら聞いてみた。
「知らないかな…どんな曲?」
「そうか。多分もっとあとの時代の曲かも」俺は周りの木々や川面の輝きにちょっと感動していた。「こういう風景をそのまま曲にしたようなワルツだね」
「音楽家ってすごいよね。見た風景にぴったりの…例えば今ここで流れててもすごく溶け込む曲が作れるなんて」
「むしろその風景がすごいから、音楽家を刺激するんだよね」
「なるほど…」
「作詞も一緒でさ、見たもの、感じた事をためらわずに書いてみたら、きっと誰かの共感を得られる」
「見たもの、感じたこと…」
「例えばこのドナウ川を見て10人の作曲家から同じ曲が出てくるわけないじゃん」
「それはそうだよね」
「だから、聴く人全員が同意する曲じゃなくていい」俺はリーナを見た。「そんな曲はありえないし、聴いた人の何人かがわかってくれたらいいんだ」
「そうだね…なんか、私にも作詞できそうな気がしてきた」
「変に飾らず、素直に自分を出せばきっと共感してくれる人はいるもんだよ」
「うん!」
リーナは川辺の芝生で軽やかにワルツの舞を始めた。ドレスの裾が揺れ、後ろで結った金髪が陽射しに輝く。
その姿を見ていた俺の脳内には「美しき青きドナウ」が流れている気がした。
幼い頃地下室で自己流で覚えたリーナのダンスは、こうして景色に溶け込み、音楽さえ聴こえるほどの表現力を持つようになったのだろう。
その時、足元の芝生に足を取られたリーナが後ろ向きによろけた。俺は咄嗟に彼女を腕で抱き止める形になった。
俺の腕に背中を預けて上向に倒れる途中の体制で止まった彼女と目が合った。
少しの間見つめ合い、彼女は俺の肩に腕を回して自分を支えながら芝生の上に立った。
「ごめんなさい」リーナは頬を赤らめて言った。「支えてくれてありがとう」
「ケガしなくてよかった」
「…ジョージの腕の中、暖かかった」
「そうか?」俺はわざと戯けた。「体が暖かい人は心が冷たいって言うよ」
「そうなの?」
俺はただ笑って流した。
にわかに川面を通って冷たい風が吹いた。
「そろそろ帰ろうか」俺は言った。「風邪引いたらまずいしね」
「うん」
俺たちはまた並木道に出て歩いた。
「今日は楽しかった」リーナがふと言った。「素敵な時間だったよ」
「俺もいい息抜きになった」俺は肩をほぐすように腕を回しながら、「またデートしよう」
「ほんとに?」彼女はまた無邪気な笑顔を見せた。
この笑顔は守らないといけない、と改めて思う。
「応援グッズ??」アマデウスが不思議そうな顔で言った。「何だいそれは」
金の竪琴亭のカウンターで俺は彼と打ち合わせをしていて、最近思いついた案を提示したのだが、まぁ伝わらないよな…
「応援グッズというのは」俺は紙と鉛筆を出した。「アイドルのファンがそのグループや推しメンを応援している事をアイドルや周りの客にアピールするグッズ…かな」
「例えばどんなものがあるんだ?」
「そうだな…まずどのアイドルグループにもあるのはTシャツとかタオルかな?どちらもグループのロゴとかが入っていて、ライブで着たりタオルは曲によって振り回したりする」
「Tシャツ…下着的なシャツのことか」
「そうだよなぁ。今のこの世界ではTシャツ1枚で出歩く人はいないし、違和感あるよな」
「想像つかないね」
「で、色々考えてみて、これなら作れると思ったのは、サイリウム」
「サイリウム…何だいそれは?」
「ペンライトと言ったりもするけど、こんな感じ」と言って俺は紙に電池式のペンライト、商標名で言うと"キンブレ"とも通称されるものを描いてみた。
「これはどうやって使うんだ?」アマデウスは全く訳がわからないといった表情で描いた絵を見ている。
「大きさはこれくらいでね」俺は両手でだいたいの長さを示して、「電気という未来の技術で光らせてライブ中に客が目立つというか、演者にアピールするものなんだけど、客席にこれが多いほど全体的な見た目がキレイなんだ」
「光るのか…!っていうか、客が目立つ?」アマデウスは相変わらず不可解らしい。「手拍子や声援に留まらず、それも客がライブに参加するという意味があるのか」
「そうだね、元々は客がメンバーカラーのサイリウムを振って貴女のファンはここにいるよ、とアピールするものだったんだけど、それが全体に行き渡ることで会場全体の演出効果になってきたりしたんだ」
「なるほどね…でも、この時代にどうやって光らせる?ここには蝋燭くらいしかないよ」
「それだよ」俺はさらに別の絵を描いた。「本物より多少大きくなるけど、持ち手の部分を木で作って先端に蝋燭を立てる釘みたいなのを付ける。で、そこから先をステンドグラスの応用でメンバーカラーに色付けしたガラスの筒を被せて木の持ち手に固定する」
「ほう」
「ガラスの部分は風防にもなるので多少振っても火は消えない。ガラスの筒の太さを調整すれば、蝋燭が燃え尽きる時間くらいなら熱で割れることもない…と、思う」
「これくらいのものを、こうして振る」アマデウスは実際に持っているかのように手振りでやってみている。「これが客席いっぱいにメンバーカラー3色で揺れてたら、確かに美しいかもしれないね」
「想像できるだろ。それを見た演者もテンションぶち上がって、さらにパフォーマンスに力が入るんだ」
「まさにステージと客席で一体になってライブを作り上げる感じだね」
「それがアイドルのライブってやつだよ」
「面白い!」アマデウスは絵を手に取って、「ガラス職人に作らせよう!」
「コストがかかるけど、まずは普及させることが大事なんで原価ギリギリくらいで売れるようにしたい」
「そうだね。早速明日職人に交渉だ」
こうしてひとつずつ、この18世紀でもできるアイドルライブの形が実っていく。
バンドの練習、作詞が上がり次第歌とダンスのレッスン、衣装の準備、チラシやポスターの制作から配布、前売券の販売…
全キャストとスタッフが一つの方向に向けて進んでいく。
蝋燭サイリウムはいくつかの試作を経て、これならいけるというものが完成した。
まずは日々の金の竪琴亭でのライブで少しずつ売ってみて、その価値を広めて行く方向にしたが、これが意外と評判で店に来てそれを見た客はほとんど1本買って行くようになった。
元々蝋燭の灯りしかない店内で、メンバーカラーの赤・水色・黄色の光が揺れるのはとても効果的だった。
中にはNeue Sterne全員を推している所謂"箱推し"の貴族もいて、彼らは全員分のサイリウムを買って振るようにもなった。
気のいい貴族は、金銭的に余裕がない庶民にわざわざ買い与えたりするようにもなり、物珍しさも手伝って蝋燭サイリウムは思った以上に普及が進んで行った。
先日のデートで作詞のインスピレーションを得たリーナは、アマデウス作曲の可愛いめの楽曲に歌詞をつけた。タイトルは『私がお嫁さんだったら』
デート中の会話をモチーフに、恋人ともし結婚したらこんなお嫁さんになりたい、といった甘い妄想ラブソングに仕上がっていた。
これは無垢な女の子でなければなかなか書けない、そして聴くファンにとっては何ともあざといものになっている。
初々しさが残る感じはあるけれど、それがまたストレートに伝わる力を秘めている。
俺自身も読んでいて思わずニヤリとしてしまう歌詞だった。
そして月日は明け暮れる準備とともに矢のように過ぎ去り、公演一週間前になった。
この日は出演者、スタッフ一同で会場を視察、実際のバンド配置などを確認するために馬車3台に分乗して郊外に向かっていた。
アマデウスの話によると、今回押さえたオペラハウスは5年ほど前に開業した"レオポルトシュタット劇場"と呼ばれる庶民派の劇場らしく、ウィーン城壁の外、先日リーナとデートしたプラーター公園に程近い。
この頃の劇場は所謂上流向けと庶民向けに分かれていて、上流向けは本格派イタリア語のオペラ中心、庶民向けはドイツ語(当地オーストリアでの公用語)での喜劇などが上演されていたようだ。
現場に着いた俺は、その建物の豪華さにまず目を奪われた。
現代の新宿や渋谷のライブハウスとは次元が違う。庶民派劇場とは言え俺から見たら充分立派でいかにもウィーンという佇まいだった。
「オペラハウス…!」アンニが思わず言葉を漏らした。
「アンニの夢だったんだよね」マレーネがアンニの肩に手を置いて声をかける。
「さあ、中に入ってみよう」アマデウスが一行を誘導してエントランスに入って行く。
「すげえ…」
ホールに入ってまず俺は感嘆した。
思った以上に立派な客席だ。
この時代の常識なのかもしれないが、天井がかなり高く、3階までテラスのような桟敷席が聳え立つ。
アリーナ…と呼んでいいのかわからないが、一階席は前方に座席があり後方はスタンディング対応のように広々としたフロア。
ステージは見やすい程度に高く、自然反響を考慮した壁面が背景になっている。
赤い緞帳がいかにも高級感を漂わせる。
「キャパ400くらいって言ってなかったか?」俺はアマデウスに聞いた。「もっと入りそうだよな」
「立ち見を詰め込んだら1000は入るかもね」アマデウスは軽く言った。
そりゃお前は大観衆に慣れてるだろうけどさ…と言おうとして俺は言葉を飲み込んだ。
現代ではあの「カノン」の最後のライブでやっと400人集客できたくらいだったが…
娯楽の数が圧倒的に違うとは言え、結成数ヶ月のNeue Sterneにとってはホールの規模がデカすぎる…
「でもさ」アマデウスは相変わらず気楽そうに言う。「実際前売券は300以上売れてるんだよね」
それは確かに驚いている。
庶民向けの価格設定とは言え、この時代の一般大衆がいかに娯楽を求めているかがわかる売れ行きだ。
それに未知のアイドルライブという珍しさも加わり、集客は予想以上にいけそうだった。
Neue Sterneメンバーとバンドメンバーがステージに上がってみる。
バンドメンバーはそれぞれ楽器の位置を確認している。
「なんか…すごい」アンニが感極まっているのがわかる。「もう泣きそう…」
ステージの上から客席を見る。初めての時は物凄く広く見えるものだ。
アンニは口を手で覆ってさらに続けた。
「ここで歌えるなんて…ホントに夢みたい」
「私達旅芸人は」リーナが優しく語りかける。「地方や他の国のこういうステージで演ったりするけど、でもここは音楽の都ウィーンだからね…さすがに緊張するよね」
「私は初めてだよ、こういう舞台は」マレーネはステージを歩き回りながら床の感触を確かめているようだ。「大道芸はだいたい石畳の上だから…でもすごい楽しみ。早くここで思い切り踊りたい」
舞台度胸では群を抜くマレーネらしい言葉だった。
「ここからたくさんのアレが見えるのか」アマデウスが俺に話しかける。アレとは蝋燭サイリウムのことだ。「何百もの3色の光…美しいだろうね」
「ああ」俺もその光景を想像しながら答えた。「感動するよ、きっと」
「よし!決めた!」アマデウスは急に声を上げて、「僕も演奏する」
「はい?」
「だって光の海をステージから見たいじゃないか」
「おいおい…それだけのために天下のモーツァルトが庶民派の劇場で演奏するのか?」
「僕の音楽は自由って言っただろ」彼はそう言って背後のルーカスに向けて、「いいよね?ルーカス」
「もちろん」ルーカスは備え付けのグランドピアノに座りながら答えた。「でも何を弾く?」
「そうだな」アマデウスは少し考えて、「楽曲的に鋭い系の音が足りないと思ってたからチェンバロにしようかな。金管に合わせたらもっと奥行きが出そうだし」
「いいね」ルーカスは笑って言った。「アマデウスが出るならもっと客の上乗せが期待できるな」
ミーハーなくせにしっかりミュージシャン的な視点も考えている。全くこの神童は計り知れない奴だ。
確かにチェンバロを入れればちょっとオールドシンセサイザーのような音色にもなり、イントロリフや間奏ではより音に厚みが出そうだ。
俺はかなりワクワクしてきた。
よし、見せつけてやろう。
この18世紀のウィーンに俺たちのアイドルライブを。
本番2日前。
修正を重ねた衣装がやっと完成した。
試着したメンバー3人は人生初のミニスカートに戸惑いを隠せなかった。
「絵で見たのより、実物はかなり過激…」アンニがスカートの裾を引っ張って少しでも長くしようとしている。
「ワンピースだから無理だって」マレーネが突っ込む。
俺としても約半年ぶりくらいに女性の太ももを目にした気がする。
「どうなの?ジョージ」リーナは鏡の前でポーズを取りながら言った。「私たちいい感じ?」
「ああ、最高だ」俺は自信を持って答えた「ザ・アイドルだよ。素敵だ」
「ジョージがいいなら、いいんだろうね」
リーナもやはり露出した太ももが気になるのか、いろんなポーズを試している。
とりあえず衣装も揃い、これで準備は一通り揃った。
あとは当日の劇場でのリハーサルの後、いよいよ本番だ。
1786年4月最終日曜日。
ウィーン郊外のレオポルトシュタット劇場には入場列ができていた。
アマデウス・モーツァルトのバンド参加が決まった一週間前から前売券の売れ行きが急に上がり、また噂を聞いた人々が当日券を求めて並び始めた結果だ。
金の竪琴亭の常連たちは少しでも前の席を確保しようと早朝から並ぶ者もいたと言う。
前売の売れ行きから考慮し、急遽フロアの椅子を撤去、オールスタンディングにする事に決めた。
この頃の劇場では前代未聞の事だけに劇場スタッフに躊躇されたが、そこは押し通した。
桟敷席は招待客のみとして、一般客はスタンディングのフロアに集める形とした。
招待客は巨匠ハイドン、ベートーヴェン少年を始め主にアマデウスとルーカス繋がりの音楽関係者、Neue Sterneメンバーやバンドメンバーの家族、本日休業の金の竪琴亭主人ヨーゼフとその家族、さらに楽器店スタッフ、鍛冶屋家族、ガラス職人、衣装仕立て屋…などこのイベントに関わってくれた人たち。
フロアにはいつも金の竪琴亭に通う常連が最前列に陣取ってはいるが、大多数は初見の人々だ。
庶民はもちろん大衆娯楽に理解を示す貴族たちもいて、それぞれに見知らぬ"アイドル"という芸能に少なからず期待が感じられる。
直前にモギリに確認したところ有料入場者は473人で招待客を含めたら500は超えている。
俺、華村譲司プロデュースアイドルとして最大集客となったわけだが、今回に関してはアマデウス始め周りの人間の力が大きい。
また、ロビーで販売していた蝋燭サイリウムも完売したようで、事前に店で販売したものも含めると相当数の火が灯るはずだ。
間も無く開幕。
俺は舞台袖で予定通りボーカルトレーナーのヨハンナに合図を送る。彼女には前説をお願いしている。
ヨハンナが閉じられた緞帳の前に出て語り始める。
来場の御礼の後、蝋燭サイリウムについての注意点の説明及び点火の合図が行われた。
客席に次々に3色の火が灯る。
しばらくしてフロアは見事な光の海と化した。
3色のバランスはややリーナの赤が多そうだが、ほぼほぼ同じような感じに見える。
もともと蝋燭しか光源がないこの時代の劇場には充分以上の照明効果になっている。
ヨハンナの前説が終わり、いよいよ本番開幕だ。
まず緞帳が閉じたままアマデウス作曲のOverture『Neue Sterne序曲』をバンドが奏でる。勇壮でもあり華麗でもあり、期待感を煽るには最高のオープニングだ。
序曲のラストで緞帳が開くと、後ろを向いたメンバー3人が立っている。
見たこともない短いスカートの衣装にフロアには大歓声が巻き起こる。
序曲に続くセットリスト1曲目はNeue Sterne最初の曲として馴染み深い俺作曲の例の曲だ。
イントロの振付でメンバーは一斉に客席に向き直る。
踊りながら彼女たちの目に飛び込んだのは何百もの3色の揺れる光だ。初めて蝋燭サイリウムを持つ者も前方の常連たちを真似て振っている。
メンバー3人は見るからにその光景に感動している。ダンスに影響はないものの、目は客席全体に泳ぎ、信じられないものを見ているという表情だ。
舞台上手でチェンバロを弾くアマデウスも指は鍵盤上で動きながら目線は客席に釘付けだ。彼もかなり感動している様子。
Aメロのアンニパートでは劇場の音響効果によりマイク無しというのが信じられないくらいに歌声が響く。
オペラハウスで歌うのが夢だった彼女の目は少し潤んでいるように見えるが、声はしっかり届いている。
リーナのパートでは客席のあらゆる場所にレスを送りながら丁寧かつ大胆に歌う。
サビでは3人のユニゾンが音の塊となってフロアを震わせる。
間奏のマレーネのソロダンスではいつもの数倍の大きさで動き、長身の彼女がさらに大きく見える。
1曲目が終わる。客席は大歓声。
そして、リーナ!アンニ!マレーネ!とそれぞれのファンが名前をコールする。
メンバーは両手を大きく広げてそれを受け止めながら、間髪入れずに2曲目が始まる。
2曲目に持ってきたのは俺作曲の、この時代ではなかったであろうコール&レスポンス曲だ。
16ビートのファンキーなリズムに乗せてリーナが呼びかける。
「さあみんな!今夜は一緒に騒ごうね!」
大歓声。蝋燭サイリウムが揺れる。
「まずは声を出してみよう!」リーナは体でリズムを取りながら煽る。「私がYeah!と言ったら続けて言ってね!いくよ!Yeah!」
観客は初めて振られたことに少々戸惑っている。
「もう一回!yeah!!」
まだまだ観客の声はまばらだ。
「恥ずかしがらないで!みんなで一緒にライブを作ろうよ!せーの!Yeah!!!」
やっと客席の声が揃ってきた。
「まだまだ!もっと出るでしょ!Yeah!!!!」
「Yeah!」
「OK!最高!」
フロアが一体になったところでボーカルが被さる。この曲の歌部分は3人で歌うサビのみで、後はすべてコール&レスポンスになっている。
1番サビが終わるとMCはアンニに移る。
「やっほー!野菜売りのアンニだよ!みんな野菜の名前知ってる?みんなで言ってみよう!せーの!ニンジン!」
「ニンジン!」
リーナに乗せられて声を出す事に慣れてきた観客はもう遠慮なく笑顔で叫ぶ。
「いいねー!次はねー!タマネギ!」
「タマネギ!」
一気に客席がなごやかになる。アンニのキャラが全開だ。
いくつかの野菜コールの後2番サビ、そして間奏ではアマデウスのチェンバロがソウルフルなソロを奏でながら、メンバーのダンス。
そしてマレーネの番。
「ハーイ!軟体動物マレーネです!今度はメンバーの名前をコールしてみよう!まずは赤色リーダー、リーナ!Say!」
「リーナ!」
もう観客はノリノリで声を出している。
「いいね!次は黄色の歌娘、アンニ!Say!」
「アンニ!」
「ナイス!最後は私、クールな水色マレーネ!Say!」
「マレーネ!」
「ありがとう!」
マレーネは続いてアクロバットをいくつか披露、そして全員でのラストサビ。
この曲で完全にフロアを掌握した。演者と観客が一体となってライブを作る。
いくら話すより参加して体感するのが一番だ。
俺はこのライブの成功を確信してフロア最後方に移動した。
数曲歌い踊り、アンニ、マレーネ、リーナの順でそれぞれ個性豊かなソロステージを2曲ずつこなし、衣装替え。
前半はメンバーカラーの可愛い系衣装だったが、後半は黒中心に部分的にメンバーカラーを使ったカッコイイ系だ。
後半オープニングには、ベートーヴェン少年が提供してくれたあの重低音曲。ヘビー目のアレンジと激しいダンスでフロアはさらに熱気を帯びてくる。
その時俺は見た。
桟敷席にいたはずのベートーヴェン少年がいつの間にかフロアに降りてきて、しかも体を揺らしてステップを踏んでいる。
あの冷静で無愛想な彼が…
俺は思わず感動した。自分の曲が演者によって昇華され、それに突き動かされる衝動ってやつを彼はあの若さで体験したわけだ。
その後は衣装に合わせてロック系の楽曲が続くが、ラスト前にリーナ初作詞の『私がお嫁さんだったら』を持ってきた。
キュートなメロディに男心をくすぐる歌詞の、いわば王道アイドル曲。客席の男性諸氏は萌え、淑女たちは共感を覚えたような笑顔で聴いている。
そしていよいよクライマックス。
バンドが再び重めのリズムを刻み、反してルーカスの華麗なピアノが踊る。
ストリングスが舞い上がり、これからの道を指し示すようなメッセージ色の強い歌詞が乗った力強い楽曲。
「みんな、サイリウムを高く上げて、大きく振って!」
リーナが叫ぶとフロアを埋めた3色の光は星の瞬きのように揺れた。
メンバー3人はそれを感動の眼差しで見つめながら歌い終えると、ステージ最先端まで進みそれぞれ手を繋いで高く上げて大歓声に応えた。
そしてそのまま深く礼をすると緞帳が閉じられ、記念すべきNeue Sterneの初劇場公演は終了した。
【続く】
【次回予告】
Neue Sterne劇場公演は大成功、ウィーン中にその名が広まる中、あるメンバーに予想もしなかった事態が勃発。俺はどうすればいい?
次回、「スキャンダル」




