第5話 巨匠と天才少年
【前回までのあらすじ】
現代の地下アイドルプロデューサーだった俺は、18世紀のウィーンにタイムスリップしてアイドルグループNeue Sterneを立ち上げた。
メイドカフェのライブで人気を得る中、センターのリーナが額の星にまつわる過去を語り始める。
フランス王妃マリー・アントワネットの双子として生まれながら旅芸人一座の踊り子として生きる理由とは?
そして金の竪琴亭に新たな人物がやって来る。
俺はリーナの話を聞きながら、何故か中学生の自分を思い出していた。
そうだ。あの頃、自宅の本棚に並んでいた母親の漫画をあれこれ読んでいた中に『ベルサイユのばら』があった。
歴史好きだった俺はその少女漫画に一時期入れ込んでいて、作品内の史実なども調べたりしていた。
ほとんどの内容は今でも覚えているくらい熱中していたものだが、その舞台が、ちょうど"現在"。つまり1785年に今俺はいる。
だから『ベルばら』の主人公マリー・アントワネットの事は知識としてはよく知っている。
そのフランス王妃が、リーナの双子の妹…
ではリーナは王家の娘であるはずなのに、何故旅芸人一座に?
謎が深まるばかりの俺は、リーナの話を黙って聞くしかなかった。時折ルーカスの補足を交えながら聞き入った物語は、このようなものだった。
女帝マリア・テレジアは"国民の母"と呼ばれるほど聡明で慈愛に満ちた君主だった。
彼女はまた多くの子供を授かったが、その11番目の末娘は難産の末に生まれた初の双子だった。
双子の姉には額に星型の痣があり、出産に立ち会った者たちは不吉な印として忌み嫌った。
またハプスブルク家では古来より「双子は二つの王冠を生み、一つの王国を滅ぼす」という予言が伝わっていて、星の痣も相まって忠臣たちは双子の姉の方を無かった事にしようと女帝に提言する。
マリア・テレジアは断固反発したが、王家を守るためにこの"呪いの星"を持って生まれた娘を王女として世間に知らしめるわけにはいかないという忠臣たちの進言を仕方なく納得せざるを得なかった。
出産に立ち会った者たちには固く箝口令を出し、公には妹のマリー・アントワネットのみ11番目の王女誕生として発表された。
額に星を持った双子の姉はマリア・テレジアの懇願で秘密裏に育てる事を認められたが、マリー・アントワネットと同じ顔の娘を誰の目にも触れさせないため、シェンブルン宮殿の地下にある秘密の部屋で育てられる事のみ許された。
専門の養育係がつけられ、以後10年の間リーナはその地下室から出る事は許されなかった。
月に一度、マリア・テレジアは地下室を訪れてリーナとひとしきり会話する時間を持った。訪れる度に人形や絵本などを持ってきて秘密の娘に与えた母は、ある日銀細工の手鏡をリーナに渡してこう言った。
「ほら、これがあなたの顔よ。美しい金髪と白い肌なのに、この額の星のせいで、あなたにはこんな生活をさせてしまっているわ」と言って涙し、「ごめんなさい」と娘を抱いた。
この暮らししか知らない幼いリーナにはその意味がわからなかった。それが彼女にとっては生きているすべてだったから。
リーナは長い孤独な日々の中で、母からの贈り物のオルゴールを鳴らしながら踊ることを覚えた。
ただ体を動かしているだけの、踊りとはとても呼べない質素なものだったが、彼女にとってはそれが楽しくて仕方なかった。
養育係と月に一度訪れる母以外会う人はいないまま8年が過ぎたある日、母が来て言った。
「あなたには妹がいるの。今日は連れて来たから、お話しましょうね」
そしてマリー・アントワネットを迎え入れた。
美しいドレスに身を包んだ自分と同じ顔の少女をリーナは不思議そうに見た。
「こんにちは、私はアントワネットよ、カロリーナお姉様」
ドレスの少女は軽やかに歩み寄り眩しい笑顔で言った。
「あなたのその星、面白いわね」
二人はひとしきり普通の幼い姉妹のようにお喋りを楽しみ、人形で遊び、オルゴールで踊った。
アントワネットが戻る時間になり、母に連れられて出て行く時、彼女は振り向いて無邪気にこう言った。
「今度はお城の庭で一緒に遊ぼうね」
母は何も言わずにアントワネットの手を引いて出て行った。
「うん、約束ね」リーナは妹に聞こえるように大きな声で言った。
10歳の誕生日の夜、リーナは生まれて初めて外に出た。
蝋燭が灯る階段を養育係について上ると、宮殿の裏側に馬車が二台停まっていた。
「これはこれは、お嬢様」まだ若々しいルーカス・アドラーがひざまづいて挨拶をした。
キョトンとするリーナに母が声をかける。
「今日からあなたはこのルーカスと一緒に旅に出るのよ。あなたが知らない世界がどこまでも続いているの」マリア・テレジアはリーナを抱きしめて涙した。「これからのあなたは自由なのよ」
「さあ、陛下、人に見られるといけないのでこの辺で」側近が言うと母は立ち上がり、宮殿に入って行った。
アントワネットはいなかった。
言われるまま乗り込んだ馬車は闇夜の宮殿からゆっくりと走り出した。
やがて揺れに身を任せながら、リーナは眠ってしまった。
「目覚めた時、馬車の外には朝の森が広がってた」リーナは思い出すように遠い目をした。「10年、太陽さえ見たことなかった私は、朝の陽の光の眩しさに一番驚いたのを覚えてる。あの地下室が世界のすべてだったから」
「…信じられない話だ」アマデウスがため息混じりに言う。「10年だぞ」
「私にとってあの10年は何も無かったの。多分人としての成長も、知識も、何もかも」
リーナのその言葉に答えるようにルーカスが話す。
「その後俺は一座で旅をしながらリーナにいろんな事を教えた。本当に、生まれたばかりの赤ん坊を育てるみたいにな」
「あの日ルーカス一座に預けられて以来、宮殿には帰ってない」リーナは言った。「ずっと地下室で育てるわけにもいかなかったし、厄介払いみたいなものかな」
作り笑いを浮かべるリーナにルーカスが優しく言う。
「女帝陛下は俺に、カロリーナに世界を見せてやって欲しいと言われたんだ。母として何もしてあげられなかった代わりに、自由ってやつを味わって欲しいってな」
「うん、今ではわかるよ」リーナは少し涙を浮かべた。「お母様も苦しかったんじゃないかなって」
「しかし王家というものは」アマデウスが呆れたように言う。「身勝手なものだな」
「でもね」リーナはまた笑った。「私は今になって、この人生で良かったって思ってるんだ」
「良かったって?」
「だってね、座長たちとヨーロッパ中を旅して、いろんな人に会って、踊りも歌も覚えて…そしてジョージにも会えた」
俺はリーナを見た。彼女は続ける。
「こんなのなかなかできないよ。今ね、幸せなんだよ」
「リーナ、君は…」俺は少し泣きそうだった。「君は最初の10年間何も無かった。10歳の時に生まれたようなものだ…うまく言えないけど、"30年生きた20歳"かもしれないね」
「そうか、だからこんなに少女みたいに純粋なのか」アマデウスが納得した顔で言った。
存在を否定された生い立ちから、世界を見てリーナは強くなった。その経験はきっと彼女をもっと輝かせる。
そして今、"不吉な星の烙印"だっはずのものは彼女の未来を照らす恒星になろうとしている。
俺は更に大きな世界を見せてあげたい、と心から思った。
翌日、俺は金の竪琴亭で新聞を読んでいた。
Wiener Zeitungという伝統ある紙面の中にNeue Sterneの記事があった。
《古い酒場"金の竪琴亭"革新的な店として大人気、給仕たちが歌い踊る聴いたこともない音楽に町中が興奮》
という内容だ。
「いいじゃないか」俺はコーヒーを飲みながらほくそ笑んだ。「まさか新聞に載るとはね」
「ジョージさん!」後ろからアンニが呼ぶ。「のんびり新聞なんか読んでないでください、忙しいんだから!」
「あ、はいはい」
俺は慌てて厨房に入った。
メイドたちのおかげで店は今日も繁盛している。店主ヨーゼフはそんな俺を見て笑いながらグーラッシュの鍋をかき回している。
「もうすぐあの子たちの舞台の時間だな」彼は言った。「最初聴いた時は面食らったが、客たちの盛り上がりが凄いな」
「俺もここまで受け入れられるとは思ってませんでした」
「あの一座の楽隊もあんな曲やったことないだろうに、たいしたもんだ」
「全くです。さすがルーカス一座ですね」
そんな話をしていると、マレーネが俺を呼んだ。
「どうかした?」
俺が厨房から顔を出すと、彼女は扉を指差しながら言った。
「モーツァルトさんにお客さんなんだけど、まだモーツァルトさん来てなくて」
見ると、店の入り口に初老の紳士と少年が立っていた。
「待ち合わせなのかな。とりあえず席に案内してあげて」
俺はマレーネにそう言うと、出来上がった料理の配膳をリーナに頼んで先程の客の席に向かった。
マレーネに案内された紳士と少年は、ステージからやや遠いテーブル席についていた。
アマデウスの知り合いということはきっと音楽関係者だと思う。きっとステージを見たいはずだが、前方の席はNeue Sterneのライブを待つ客で埋まっている。
見ると初老の紳士は貴族らしい白髪のウィッグに上品な服装だ。彼は店内をゆっくり見渡し、やがて視線は他の客たちの先のステージ、特にドラムセットに目を止めたようだ。
一方少年は、やや長髪で鋭い目つきをして中学生くらいに見える背格好だった。
やはりステージに興味があるようで、時折立ち上がりながら並んだ楽器を見ていた。
俺は一言挨拶しようと思い彼らの席に近づくと、なるべく丁重に声をかけた。
「いらっしゃいませ。この店で働いております、ジョージです。アマデウスのお知り合いと伺いました」
「これはこれは」紳士は俺を見ると立ち上がって握手を求めて来た。「お初にお目にかかります。フランツ・ヨーゼフ・ハイドンと申します」
俺は握手をしながら固まった。
この人がハイドン…先日アマデウスが話していた大作曲家!
丁寧だが底知れぬ威厳を感じる話し方は器の大きさを感じる。
「アマデウスからお話はうかがっておりますよ、ジョージさん」ハイドンは俺の顔をまっすぐに見ながら話した。「東洋からいらした不思議な曲を書くお方だとね」
「いやぁ…お名前だけは存じ上げておりますハイドンさんにそうおっしゃられると大変恐縮です」
俺は相当緊張しながら言った。
「よろしければ、もうすぐ俺が書いた曲のステージがあるので、ご覧になっていただけますか。大変お恥ずかしいものですが」
「もちろん、そのために参ったのでね」ハイドンはそう言うと、思い出したように傍らの少年を見た。「そうだ、この子も紹介させていただこう。ルードヴィヒ、ご挨拶しなさい」
少年は立ち上がり、鋭い目つきのまま俺に手を差し出しながら言った。
「はじめまして。ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンといいます」
……何と言った?
ベートーヴェン…だって?
俺は握手も忘れたまま少年を凝視していた。
「どうかしましたか?」
少年が俺に言った言葉で我に返り、やっと握手を交わして俺はかろうじて挨拶を返した。
「よ…よくいらっしゃいました、ベートーヴェンさん」
その時、ルーカス一座のバンドがステージに登場した。
「始まるようですな」ハイドンはステージに向けて椅子の向きを変えて座り、「聴かせていただこう、ルードヴィヒ」
俺はただ「ごゆっくり」とだけ言って厨房に向かった。
頭がおかしくなりそうだ。
ハイドンが連れて来た少年が、ベートーヴェン?どうなってるんだ、この時代のウィーンは…
モーツァルトに出会った事だけでも信じられないのに、ハイドンにベートーヴェンだと?
音楽の都とはよく言ったものだ。
心臓が速鳴りをしているのを感じている。アマデウス、早く来てくれ。とてもじゃないが、俺では彼らの相手はできない…
Neue Sterneのステージが始まった。
すっかり常連客の人気者になった彼女らのライブはいつものように盛り上がっていたが、俺は厨房から客席を覗き見るのが精一杯だった。
ハイドンたちの反応が気になるが、正直怖い。
案の定彼らは微動だにせずじっとステージを見ている。
笑顔はない。手拍子もしない。
ベートーヴェン少年は時々その鋭い視線を周りの盛り上がる客たちに向けていたが、終始ライブに集中していたように見えた。
曲の途中でアマデウスが店に入ってくるのが見えて俺は心からホッとした。彼はハイドンたちのテーブルに座り、1曲だけのアイドル曲が終わると何やら熱心に語り合っていた。
…まるで大手レコード会社の重役に品定めされた駆け出しの作曲家みたいな気分だった。
少ししてハイドンとベートーヴェン少年は席を立った。どうやらお帰りらしい。
俺は彼らのテーブルに急ぎ、「ありがとうございました。また是非いらしてください」と恐縮しながら言った。
「面白いものを見せてもらいましたよ」ハイドンはそう言って店を出る。ベートーヴェン少年は何も言わなかった。
彼らが扉から出るのを見届けると、俺は全身の力が抜けたように近くの椅子に座り込んだ。
「ハイドン先生と話したかい?」アマデウスがワインを飲みながら聞いてきた。
「少しだけね」俺は力無く答える。「ベートーヴェンともね」
「あの少年を知ってるのか?」
「君と同じで、未来では超有名人だよ」
「そうなのか!道理で…彼のピアノは凄いよ。まだ14歳なのに鬼気迫る演奏をする。ハイドン先生が目をかけていて、そのうち指導するんじゃないかな」
「そうか」
「…って言うか」アマデウスは急に顔を近づけて来てニヤニヤしながら言った。「未来では、僕とベートーヴェン、どちらが人気なんだ?」
俺は思わず吹き出した。
「お前、未来の評価なんか興味ないんじゃなかったのか?」
「ま、まぁね。ちょっと気になっただけだよ」アマデウスはそう言うと、ライブを終えて給仕に戻ったリーナに声をかけた。「リーナ、お絵描きグーラッシュを頼む」
「はーい。今日は私がお絵描きしましょうか?」
リーナの言葉にアマデウスは親指を立てて答えた。
「それで」俺はアマデウスに言った。「ハイドン先生たちは、Neue Sterneを観て何か言ってたか?」
「やっぱり気になるよねぇ」彼は意味ありげな表情で答えた。「明日ゆっくり話そうか」
「もったいぶるじゃないか」
「明日の朝先生と話すんだよ。さっきは騒がしい中であまり話もできなかったし」
「そうか。明日は市場に買い出しに行くけど…」
「そうしたらカフェで落ち合おう」
「わかった」
リーナがグーラッシュを運んできた。
「お待たせしました!何を描きましょう?」
「お任せするよ」アマデウスはちょっと気取って言う。
俺は厨房に戻りながらリーナに耳打ちした。
「"大好きなアマデウス"って書くと喜ぶぞ」
リーナは俺に目配せをしてお絵描きを始めた。
翌日の午前10時過ぎ、俺は市場で買った食材の袋をかかえてカフェに入った。
通りに面した窓際の席にアマデウスはいた。
着席してコーヒーを注文すると彼は早速話を始めた。
「さっきまでここにハイドン先生がいたんだ」
「ここで会ってたんだね」
「こないだまで僕が没頭してたハイドン先生に献呈した弦楽四重奏曲集があるだろ。その完成楽譜を先日渡して、その評価を詳しく聞いていたんだ」
「ほう、どうだって?」
「かなり褒めていただいたよ」
「さすがモーツァルト。2年くらいかけたんだっけ?」
「そう。僕にしては入念な仕事だった」アマデウスは冷めたコーヒーに口をつけ、「で、昨夜の評価もいただいた」
「うわぁ…」
「先生が言うには」彼は俺を見て真剣な顔になった。「ズバリ言うと、難色を示してた」
「…そうか…」
「先生は幼い頃から聖歌隊で歌い、楽器を覚え、やがて大貴族の楽長に迎えられたんだけど、ずっと音楽一筋で生きて来た方なんだ。今や交響曲と言えばハイドンと言われるくらい、今僕が最も尊敬している音楽家だよ」
「うん」
「僕が思うに」アマデウスは少し笑った。「客が騒いだり手拍子したり…君が言う"音楽に客が参加する"という事に違和感を感じたようだ」
「まぁ…わかる気もする」
「僕も含めて、今までは純粋に"聴かせる"音楽を作って来たわけだ。その相手は王侯貴族だったりするんだけどね」
「お前たちがやる音楽はそれが当たり前だよな」
「ただ先生はね」アマデウスはさらに笑みを増して、「斬新ではあった。新しい発見だ、とも言ってたよ」
「そうなのか!」
「この先どうなるか興味はある、って感じだったし、また聴きたいと言ってた」
「おぉ…全否定じゃなくて安心した」
「金の竪琴亭の小さな簡易ステージじゃなくて、ちゃんとした音響の会場で聴いてみたい、ともね」
「…それは、夢だよなぁ」
「先生は物凄く真面目だけど、頭が固いってわけじゃないからね」
「さすが…懐が深いというか、器が大きいというか…」
俺は少し肩の力が抜けた。
考えてみれば現代の地下アイドルプロデューサーの頃、自分の曲に対する評価はファンの盛り上がりだけだった。
客にウケればそれが"いい曲"だった。
しかもアイドルの子たちという演者を通してファンに届いた結果だ。
彼女たちの力がなければ俺の曲自体への評価はどのくらいのものなのか、考えた事もなかった気がする。
それが今、240年前の大作曲家が真正面から批評してくれて、また聴きたいと言っている。
これは素直にありがたい。
ここにいると自分が物凄く稚拙で小さな存在に思えてしまうが、俺に出来ることを全力でやってみるしかないと改めて思う。
俺に交響曲とか書けと言われても到底不可能だし、やろうとも思えない。
だが、現代でやってきた事がまるっきり通用しないとも思えない自分がいる。
ふとアマデウスが話題を変えた。
「僕は父の英才教育の下、幼い頃から宮廷や貴族のための音楽を作ってきた。もちろんそれは僕の糧となっている」
彼は思い出すような目をした。
「ただこういう性格なんで、もっともっと色々な音楽をやりたいし、世界を広げたい」
俺は頷いて彼の話を聞いた。
「そんな時ジョージ、君と出会った」アマデウスは俺を見て続けた。「君は数百年先の音楽を持ってここに来た。もちろん未来の設備などないこの時代で思い通りにいかない事もあるだろうけどね」
「まあね…それは仕方ない」
「その上で聞くんだけど、君はどんな音楽を作りたいんだ?君の音楽は未来でも革新的だったのか、もっと最先端を走りたいのか、どんな高みを目指すのか…その辺りが興味深い」
彼のその問いに俺は少し考えて、少しだけ笑って答える。
「革新的とか最先端とか、余り考えたことなかったかなぁ…何というか、誰かの人生を大きく変えてしまう音楽とか、そんな大げさなものじゃなくていい」
アマデウスは首を傾げている。
「たとえばさ」俺は窓の外の買い物途中の若い娘を見て続けた。「あの娘は昨日彼氏に振られて落ち込んでるかもしれない」
アマデウスは同じ娘を見た。俺はさらに言葉を探しながら言った。
「そんな時、あの娘が街中でふと耳にして、少しだけ元気が出るような曲とかね」
俺はさらに窓の外の子供達に目を向けた。
「あの子たちが帰り道に鼻歌で歌うような曲とか…ほんの少し彼らの人生が楽しくなるような曲が作りたい…かな」
「なるほど」アマデウスは微笑んで言った。「だから…君の曲は笑顔なんだね」
「そうかな?」
「ならば…君の音楽は宮廷ではなく、街で生きるべきだ」
「街で?」
「僕は王侯貴族のための音楽を作ってきた。」アマデウスは再び窓の外に目を向け、「君は街の庶民や子供たちに寄り添う曲を書こうとしている」
彼は少し間を空けて続けた。
「その発想は好きだよ」
アマデウスはさらに言葉を繋ぐ。
「僕はもっと君と一緒に音楽を作りたくなった」
俺は彼の言葉が素直に嬉しかった。
俺たちはカフェを出た。
俺は店に戻って開店準備を、アマデウスは別の用件を片付けに、というので広場の角で別れる事にしたのだが、その別れ際彼は思い出したように言った。
「これはまだ言う段階ではないから決まってからにしようと思ってたんだが
「何だよ、気になるな」
「Neue Sterneの劇場公演をやってみないか」
俺は意外な提案に思わず絶句した。アマデウスは熱心に続けた。
「ハイドン先生も言ってたように、ちゃんとした劇場でやって初めて正当な評価が受けられると思うし、いつまでも金の竪琴亭でやってるわけにもいかない。勿論あの店は"ホーム"として大事にするべきだけど、もっと広く客に見せていく必要があるよ」
「それはそうだが…まだ一曲しかないんだぞ?」
「だからさ」彼は笑って言った。「僕も作るって言ったじゃないか。二人でどんどん作っていこう」
「ありがとうアマデウス…いよいよモーツァルトのアイドル曲を聴けるのか」
「僕ならこうするってやつを作るよ」
「それで…劇場って言ってたけど、当てはあるのか?」
「以前僕が使った小さめのオペラハウスを考えてる。そこそこ客が入れば会場費はペイできるよ」
「オペラハウス!」
「前にアンニがオペラハウスで歌うのが夢だと言ってたしね」
「喜ぶと思うよ」
「これからそこに行って空き状況を確認してくるんだけど、目標は来年春くらいを考えてる」
「春…!」
「と言う事で、また!」
そう言うとアマデウスは足早に市街の方に歩き去った。
俺は胸の高鳴りを感じながら店に向かった。
「カノン」の初ワンマンライブを決めた時の感覚を思い出した。
あの時は100人も入れば実質満員の小さなライブハウスだったが、大きな一歩を踏み出した気分だった。
決まった瞬間から、曲作りから宣伝告知、演出の企画など一気にみんなが同じ方向に向かって走り出したものだ。
メンバーが毎日のレッスンに加え街頭でのチラシ配り、配信による告知を頑張った結果、会場に入りきらない程の観客が集まってくれて大成功と言えるものだった。
あれ以来「カノン」の認知度が上がり始めた。そのような転機は大きいイベントで訪れるものだ。
俺は妙にワクワクしながら店の扉を開けると、聴き慣れない激しいフレーズのピアノが聴こえた。
ルーカスが弾いているのか?と思ったが、見ると店のフォルテピアノにはあのベートーヴェン少年が座っていた。
俺に気づいた少年は演奏を止めて立ち上がり、一礼して言った。
「突然来てしまってすみません」彼は相変わらず鋭い目線だ。「こちらに尋ねてみたらジョージさんは外出中との事で、ご主人から許可をいただき待たせていただきました」
厨房からヨーゼフも出てきてこう言った。
「ピアノ弾きたいと言うので弾かせてやってたよ」
「お待たせしてごめん…ベートーヴェン君」
「ルードヴィヒで構いません」
「それでルードヴィヒ君…俺に何か?」
彼はピアノ椅子に座り直し、譜面台に置かれた楽譜を見ながら言う。
「昨日のステージを観て、僕なりに思いついたものを聴いていただきたくて」
「昨日の今日で…?」
「はい。弾いても?」
彼の食い気味な会話のペースに面食らいながら俺はうなづいた。
「是非」
「どうも」
彼はそっけなく答えると、いわゆるクラシックらしくない力強いタッチで(俺にとっては)耳に馴染んだ8ビートの楽曲を鳴らし始めた。
これは…明らかにロック調のアイドルポップ…だが奇妙なくらいドラマチックに展開するメロディ。まるで俺がアレンジしたかのような左手のベース音の刻み…
まさにこの時代のピアニストが"現代風なポップス"を作ってみた、という不思議な演奏だった。
1コーラス分弾くと少年は手を止め、俺を見て言った。
「いかがでしょう?僕なりに作ってみました」
「昨日聴いて…ここまで作ったのか」
「昨日のように楽士達と一緒にやったらもっと近くなると思いますが」
「それは…そうだね」
「使えますか?」
「え?」
「彼女たちの曲として使えるなら、展開含め最後まで作ってみますが」
彼は相変わらず少しも笑わずに、鋭い眼差しで俺を見ながら早口君に言った。
使えるか…?Neue Sterneに使って欲しいのか?…いや、言い方が違いそうだ。使わせていただけるのか?
Aメロ〜Bメロ〜サビという定番の構成を踏まえて適切な小節割になっているが、俺にはとても思いつかない激情のメロディ。
何の予備知識もなく昨日一度聴いただけのアイドルポップを、そのセオリーをしっかり踏まえて一夜で自分流に作ったと言うのか、この少年は。
天才というのは間違いなく存在するという事実に圧倒されながら俺は少年に言った。
「是非使わせて欲しい。実は曲を増やす必要があって、何曲でも欲しいという状況もあるんだけど…」
「良かったです。構成を昨日の曲に合わせて明日までに作って来ます」少年は立ち上がり譜面を掴んで言った。「あ、楽士たちのパート譜も」
「そんなに早く…?」
「では、失礼します」彼は立ち去り際にヨーゼフにも礼を言った。「ピアノを貸していただきありがとうございました」
ベートーヴェン少年が店を出て行くとヨーゼフが感心したように言った。
「いや、凄いなあの子」
「はい」俺はまだ呆気に取られていた。「まるで俺の時代の曲を熟知しているような感じでした」
「アマデウスもそうだが、ああいうのを天才と言うんだろうな」
「まさに…」
そして俺は少し冷静になってある事に気付いた。
Neue Sterneの楽曲にモーツァルトとベートーヴェンの曲が加わる事になった…
何だか脚が震えるのを感じた。
マジかよ…
とんでもない事になってきた。
その夜アマデウスが店に現れてオペラハウスを押さえたと意気揚々と言った。
期日は来年の4月最終日曜日。
座席数は400程度という話。
あと5ヶ月程度しかない。
アマデウスに現代のアイドル系ワンマンライブの概要を話しながら、準備に必要な事項を考えていった。
まず公演時間は1時間30分程度。Neue Sterneとしての曲数は最低12曲。
余る時間に三人のソロコーナーを設け、そこでは各メンバーが得意な歌やダンスなどを披露する。
衣装転換の時間でバンドが演奏する。
新衣装を2セット用意する。
入場料は一般庶民も気軽に入れる金額とする。
…などなど。
その決定事項を閉店後、給仕を終えたメンバー三人に伝えると、揃って驚いていた。
「もう単独公演ができるの?超嬉しい!」とリーナ。
「オペラハウスでついに歌えるなんて…神様、感謝します」とアンニ。
「私たちだけを観にくる人たちしか来ないんだよね?頑張らないと」とマレーネ。
「曲もたくさん覚えなきゃならないよ」俺はメンバーを見ながら言う。「バンドもそうだし、振付のヘレーネさんにも頑張ってもらわないと」
「曲作るジョージも大変だよね」
リーナが言うとアマデウスが笑って言う。
「僕も何曲か作るし、話によるとあの少年も作るらしいね」
「そういえば!」リーナが突然大きな声を上げた。「新衣装って…まさかジョージ!」
「ん?」
「膝上25cm!?」
「ああ、やっちゃうよ」
「嘘!」アンニが叫ぶ。「お嫁に行けなくなる!」
「常に常識を破ってこそ時代は進むんだよ」アマデウスが口を挟む。「覚悟を決めなさい、君たち」
彼の取ってつけたような口振りに思わずマレーネが突っ込む。
「アマデウスさんは太ももが見たいだけじゃないの?」
「逆に聞くが」アマデウスは至極真面目な顔をして答える。「見たくない男がいるかい?」
…あ、開き直りやがった。
エッチだの変態だのとリーナやアンニに罵倒されるモーツァルト氏を尻目に俺は紙を2枚テーブルに拡げた。
「さっき合間に描いてたんだけど」俺は2種類の衣装デザインスケッチを見せた。「だいたいこんな感じ」
1着目。既存のメイド服っぽいデザインでミニ丈、生地の色はメンバーカラー、エプロンや袖口には白いフリルを飾りまくった甘めの雰囲気。白のニーハイソックス。
2着目。黒をベースにミニのサーキュラースカートとコルセットで、部分的にメンバーカラーを取り入れたカッコいい寄りの雰囲気。黒のニーハイソックスにガーターベルト。
「ドラムの時も思ったけど、君絵がうまいよね」
アマデウスが感心して言った。俺は絵に少し描き足しながら答えた。
「この仕事する前はデザイン会社に勤めてたからね」
「え…かわいいかも」リーナが絵を見ながら呟いた。「ちょっと着てみたい…」
「リーナ裏切るの?」アンニが不安げに言う。
「もちろんスカートの中には短めのドロワーズを穿いてもらうし、脚の大部分はこのソックスで隠れる。見えるのはスカートの裾からニーハイソックスの上までの間だけなんだよ。ちなみにここを絶対領域と言う…」
「ぜったい…りょ…?」リーナが不可解な顔をする。
「アンニどう?」俺は真剣に絵を見るアンニに優しく話しかける。「思ったより脚出ないよね?」
「はい…」アンニは少し落ち着いて答えた。「今の説明を聞いたら、そう思いました…確かに、ちょっと着てみたい気もします」
「よし!やるからには本物のアイドルっぽく。ウィーンのみんなに"これがアイドル"ってやつを見せてやろう。君たちが音楽の都に革命を起こすんだ」
…と、俺は言った後で気付いた。
革命。『ベルばら』によると、あと数年でフランス革命が始まるんだった。
この中でその事実を知っているのは、今は俺しかいない。
この平穏な日々と希望に満ちた仲間たち、取り分けフランス王妃マリー・アントワネットの双子の姉リーナにとって運命を左右するかもしれないその日は音もなく少しずつ忍び寄ってくる。
その時俺はどうしたらいいのか。
幸いまだ3年以上の時間はある。
その間に状況を見ながら、俺が選ぶべき行動を試行錯誤していくしかないのだろうけど。
何があったとしても、俺はずっとリーナのそばにいて守っていこう。
それが歴史を知ってしまっている俺の責任であるはずだから。
【次回予告】
オペラハウスで初の単独公演を控え準備に明け暮れる俺たち。モーツァルトやベートーヴェンも巻き込んだ楽曲作りや衣装作りの他、俺は何故かリーナとデートすることに?さらにある"推しグッズ"をこの世界で再現するために頭を捻る。
1786年4月、単独公演の幕が上がる…
次回、「オペラハウスの星」




