第7話 スキャンダル
【前回までのあらすじ】
現代で地下アイドルプロデューサーだった俺は何故か18世紀のウィーンにタイムスリップしてしまった。何もわからないこの地で様々な出会いの末アイドルグループNeue Sterneを立ち上げ、メイドカフェを作り、ついにオペラハウスでのワンマンライブに漕ぎつけた。蝋燭サイリウムを作り盟友モーツァルトもバックバンドに参加する中、満員のオペラハウス公演は大成功のうちに幕を閉じた。
Neue Sterne初の単独劇場公演翌日、地元の新聞には異例の特集が組まれた。
アマデウスが密かに取材要請していたらしいが、ほとんど半ページを割いてライブの詳細の他演者やスタッフ及び来場者インタビューなどが掲載されていた。恥ずかしながら俺も人生初の新聞記者のインタビューを受けたのだった。
大見出しは「東洋人率いる女性3人組歌唱舞踏団が劇場を光の海に!モーツァルトも参加!」
《メイン記事》
街で話題になり始めていた酒場「金の竪琴亭」で働く女性3人組の歌唱舞踏グループNeue Sterneが初の劇場公演「Feuerblüte〜炎の花〜」をレオポルトシュタットで開催した。全席立ち見で満員という異例の内容はこれまで見た事のない光景ずくめだった。
まず驚かされたのは観客のほとんどが手にしていた携帯用燭台である。赤・水色・黄色の3種類があり(これは演者の衣装に合わせたものだ)開演時に点灯されると客席一面3色の光の海へと変わった。
その光景の中幕が上がると楽士の中にはチェンバロを弾くヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの姿も。彼がこのような庶民向け劇場で楽士の一員として演奏するのは異例中の異例である。
更に驚かされたのは主役の3人娘の衣装。何とも直視に耐えないような短いドレスで激しく歌い踊っていた。
そして演目がこれまた斬新。聴いたこともないような演奏と旋律、その上曲中で客席に声援を促したり動きを指導したりするのだが、観客の方もそれに答え大声で叫び、体を動かす。まるで何かの儀式のようにも見えたが、観客の楽しそうな姿が印象的であった。
物凄い熱気が会場に溢れ、約90分の舞台は終始客席と連動し、さながら観客も演者の一部かの如く全体が一体化していた。
とにかく斬新という言葉に尽くされる公演であった。
《出演者及び関係者インタビュー》
・Neue Sterne 赤担当 リーナ
思った以上にたくさんの方に見ていただき感動しました。こんな大きな舞台から私たちの楽曲を届けられた事を大変嬉しく思います。
・Neue Sterne 水色担当 マレーネ
本当にたくさんの皆様の中に大道芸から見て下さっている方を見つけた時は嬉しかったです。得意な踊りを大きな舞台で思い切りできて最高でした。
・Neue Sterne 黄色担当 アンニ
オペラハウスで歌うのが夢だったので叶って幸せで泣いちゃいました。いっぱいの蝋燭の光も素敵で、もうすべてが幸せな時間でした。でもまだまだ野菜売ります(笑)
・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
急遽の出演でしたが新しい楽曲を無事皆様にお聴かせできた事にホッとしています。Neue Sterneはまだまだこれから大きくなりますよ。
・楽士代表 ルーカス・アドラー
旅芸人一座がこうしてウィーンに戻って全く新しい音楽を始めました。これは我々の挑戦でもあります。今後にご期待ください。
・打楽器奏者 フランツ・ベルガー
あんな打楽器見た事ないでしょう?最初は苦労しましたが、彼女らの楽曲には欠かせない要素なので頑張りました。とりあえず汗だくです。
・フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
以前小さな店で1曲見ましたが、あの時とは見違えるパフォーマンスに驚きました。何より客席も含め全体で一つの舞台が完成するという新しい形を目の当たりにして度肝を抜かれました。今後私も関わっていくかもしれません。
・作曲及び総合演出 ジョージ・ハナムラ
異国の者が音楽の都で全く馴染みのない音楽をやるのに最初ためらいもありましたが、彼女らや楽士たちとの出会いで確信に変わりました。本当に感謝しています。
・金の竪琴亭店主 ヨーゼフ・バウアー
ウチの店から生まれたヤツらの晴れ舞台、堪能しました。やはり劇場は別格ですな。あの子たちはほぼ毎日店におりますので、是非ご来店願えればと。
《来場者インタビュー》
・煉瓦職人 A氏
知人に誘われて初めて観ましたが、夢のような時間でした。気付いたら大きな声を出して体が揺れてました。また是非観たいです。
・指物師 B氏
金の竪琴亭からずっと観てます。アンニが好きです。彼女の歌は何事にも変えられない宝のようです。
・宿屋勤務 C氏
初めてです。聴いた事ない種類の音楽ですが自然に体が動くのが魔法のようでした。病みつきになりそうです。
・パン屋勤務 D嬢
同じ女性として憧れるくらいの舞台に感動しました。あの短いドレスですか?私には無理です(笑)
・理髪師 E氏
お客様の貴族の方に入場券をいただいて来てみたのですが、圧倒されました。次は自分で払ってまた来ます。
・大工 F氏
日々の仕事の疲れを忘れる異次元の体験でした。こんな音楽もあるのかと。ウチの娘が大きくなったら是非やらせたいですね。
・家政婦 G夫人
昔踊りをやっていたのでとても興味深くみてました。若かったら絶対やりたかった。
・馬丁 H氏
大道芸でマレーネを見ていたのですが、何倍も素敵に見えました。今後に期待してます。
・貴族 I子爵
話題なので観にきました。最初は訳がわからず何だこれはと思っていたのですが、中盤あたりから楽しくなって最後には声援を送ってました。
・カフェ勤務 J嬢
モーツァルトのファンですが、主役の女の子たちが予想外に魅力的でびっくりしました。私も噂の酒場でメイドみたいなことをやってみたくなりました。
……金の竪琴亭で新聞を読み終えた俺は隣にいるアマデウスとニヤニヤしながら顔を見合わせた。
「絶賛だねぇ」彼もまんざらではない表情だ。「短期間でここまでまとめ上げたのは流石名プロデューサーだね」
「お前の協力あってこそだよ。ほんとに感謝してる」
「僕も楽しんでやってるしね」
「そういえば」俺は傍らに置いた集金袋みたいな小さいバッグを手に取り彼に渡した。「会場費は昨日払ったけど、残りの金額、今までお前が使った経費に充てて欲しい」
「いいのかい?」
「もちろん。予想以上に売上はあったけど、これで足りるかな、ドラム代とかサイリウム代とか、チラシ印刷、その他諸々…」
「足りるはずだけど…スポンサーから引っ張って来たお金なんでいつでもいいんだけどね」
「いやいや、ある時に返しとかないと」
「では、次回頼む時のために一度精算しとこうか」
「そうしてくれ…って、次回だって?」
「昨日で終わりではないでしょ」
「そうだけど…ワンマンライブは年に1〜2回のつもりでいたよ」
「もったいない!こうして新聞にも載ったということは知名度は一気に爆上がりだよ。この波に乗って、毎月やっても足りないくらいだよ」
「毎月はしんどいけど…所謂定期公演って感じならいいのかな」
「まぁ色々考えてみよう。今夜はここで打ち上げやるんだよね?」
そう。今日は店を早く閉めて打ち上げの予定だ。
「その打ち上げに」アマデウスはビールを一口飲んだ。「ハイドン先生も呼んでいいかな?」
「ハイドンさん!」俺は急に緊張した。「新聞のインタビューではいい事言ってくれてたけど…いや、来ていただけるなら大歓迎なんだけど…」
「苦手かい?」アマデウスは笑って、「最初はアイドルを受け入れ難いような感じだったからねぇ」
「苦手というか」俺もビールに口をつける。「緊張するなと思って」
「昨日帰り際に少し話したんだけど、何か提案してくれるらしいんだ」
「提案?何だろう」
「まぁ悪い話ではなさそうだし、聞いてみようよ」
「そうだな。…あのベートーヴェン君も来るかな?」
「お、彼はお気に入りかい?」
「最初取っ付きにくい少年だと思ったんだけど、昨日フロアに降りて踊り出したのを見て音楽が好きなんだな、と思ってさ」
「そうだったのか。ステージからはわからなかった…あのカタブツ少年を踊らせたなら我々が一本取ったようなものだね」
「1曲書いてくれたしね。自分の曲だからノッたのかと思ったら結局最後までフロアで体動かしてた」
「そうか、有望な少年だね」
アマデウスはそう言って笑った。
その夜、早めに営業を終えた金の竪琴亭にバンドメンバー、振付師ヘレーネ、歌指導ヨハンナ、ハイドン、そしてベートーヴェン少年が集まって打ち上げが始まった。
Neue Sterneの3人はお給仕のメイド服のまま(これはどうやらアマデウスのリクエストらしい)席に着いた。
3人からバンド、スタッフへのお礼から始まり、店主ヨーゼフも交えて初劇場公演の感想大会、反省大会で盛り上がった。
俺は日本の宴会のように一人一人の隣に移動しつつお礼を言って回っていた。
しばらく歓談して、ふいにアマデウスが立ち上がって話し始めた。
「せっかくこんなメンツなんで、みんなで即興演奏でもしませんか?楽器も揃ってることだし」
出ましたお調子者モーツァルト!カラオケみたいなノリで言い出すもんなぁ…
「面白い!やってみよう」ルーカスが賛同してきて、バンドメンバーもやる気満々っぽい。
「いかがですかハイドン先生」アマデウスが無謀にも巨匠を誘う。「ベートーヴェン君、君も是非」
個人的なイメージだがハイドンもベートーヴェンも緻密に音楽を構築してそうなタイプで、即興演奏…現代で言うフリーセッションなどやりそうにない。
と思ったら…
「興味深いですな」とハイドンが言い出した。
「僕もよろしければ」ベートーヴェンも相変わらずの無表情で答えた。
「頼もしい!ではジョージ」アマデウスが急にお鉢を回してきやがった。「君もギターとやらを出して」
マジかよ…このメンバーの中で弾くのかよ…
「君が調とかテンポとか決めていいから」アマデウスは満面の笑みで言ってくる。俺が決めるのもおこがましいだろ、笑顔の鬼かよお前は。
俺はケースからギターを取り出す。ハイドンとベートーヴェンは初見なので興味津々に注目する。
「では最初のピアノはルーカスで始めるとして、バンドメンバーは定位置。その後はやりたい楽器を随時チェンジしていきましょう」
アマデウスはさらに無謀な提案をしている。そんなやり方クラシック界で聞いたことないぞ。まさにフリーセッションじゃないか。
「え〜、では…」俺は腹を決めてお題を考える。「フランツ、テンポは145くらいでとりあえず
8ビート。その後成り行きで16にしてもOK」
「了解!」フランツは陽気にスティックを回す。いつの間にそんな技覚えた?
「調はEm…ホ短調で、Emを2小節、Cmaj7を2小節、この繰り返しでお願いします」
「長7度?」ルーカスがピアノで鳴らす。「珍しいな。そういえばお前さんの曲には良く出て来たな」
「はい、単純な進行ですが、続けると気持ちよくなります」
「気持ちよく、かぁ。なるほど」アマデウスが期待感に胸を躍らせるのがわかる。
「ではやりましょう。フランツ、まずリズムを」
俺が言うと、フランツはもはや手慣れた感じの8ビートを叩き出す。
「このリズムから始まって楽器が重なる感じは新鮮だね」ハイドンがアマデウスに耳打ちする。
「はい」アマデウスは丁寧に答える。「ジョージの国ではこのような作り方が多いようです」
「なるほど…打楽器奏者が先導するのか」
フランツのビートに合わせて俺がギターのコードを鳴らす。その雰囲気に合わせるようにルーカスがメロウなアルペジオでピアノを乗せる。
ベースのウィルヘルムはまずは音数少なく低音を支える。
ヴィオラとバイオリン2本は白玉音符で絡んできた。
スタートはちょっと気怠い浮遊感のあるムードだ。
俺がギターでフュージョンっぽいソロを弾き出すとルーカスは和音弾きに移行。
さすがいつも合わせている気の合ったバンドだ。
しばらくギターとピアノのソロの応酬が続いて、ふとアマデウスがバイオリンの片方に貸してくれと合図、快く差し出されたバイオリンをモーツァルトは慣れた仕草で構え、ピアノソロ終わりのタイミングに被せて素早いソロを奏で出す。
今までのメロウなムードを打ち破る攻めたソロにドラムが重めの叩き方に変わる。
それを見たベートーヴェン少年がおもむろに立ち上がり、ベース奏者の肩に触れ交代を促す。
ヘビーなビートに触発された少年はコントラバスを独特の重いフレーズのピチカートで鳴らし出した。
続いてハイドンがルーカスと交代、ベースのフレーズにユニゾンで左手を合わせながら右手は無機質なソロを重ねる。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが同じバンドでセッションしている…この信じられない光景を夢心地で見ている俺は、ただコードを弾くのが精一杯だった。
やがて重さを解放するようにテンポを維持したままドラムは16ビートに変化、軽快さを醸し出すとベートーヴェン少年はヴィオラに移行。空いたベースにアマデウスが入り、ピアノにはボーカルトレーナーのヨハンナが入れ替わりベーシックな和音プレイに徹する。
16ビートの跳ねたリズムに乗ってダンス指導のヘレーネが踊り出す。マレーネは彼女のダンスの横でアクロバット風の独自のダンスを始めた。
ヨハンナはアンニを目で誘い、ピアノを弾きながら軽く耳打ちするとアンニは即興スキャットを歌い出した。いつもの野菜市場で歌っている独自の歌のように自由に、しかし存在感のある声が響く。
そしてリーナは旅芸人仕込みの自由なダンスをヘレーネに重ねた。
こうして全員が参加した豪華なフリーセッションは15分以上続いただろうか。
ひとしきり楽器と歌とダンスで絡み合い、語り合った面々はテーブルに戻り満足げな面持ちだった。
「いや、なかなか楽しかった」ハイドンがワインを飲みながら笑顔で言った。「2つの和音を延々と繰り返すだけでどうなるかと思ったが、打楽器の調子の変化でこれだけ表情が変わるとは。最小限の制約の中で即興で無限に世界を広げられる楽しさを味わさせていただいた。リズムというものはインスピレーションの宝庫かもしれないね」
「そうですね」アマデウスもワインに口をつけながら、「今回僕もリズムから作曲するというジョージの手法を真似てみて新しい発見がありましたよ」
彼はそしてベートーヴェン少年に目を向けた。
「君はどうだった?楽しそうに見えたけど」
「はい」少年は変わらぬ無表情で返事をすると、「それより、ジョージさんのその楽器を弾いてみたいです」
俺のギターを見つめる彼は、純粋な楽器好きな若者の目をしていた。
わかるよ、その気持ち。
「どうぞ、是非弾いてみて」俺は彼にギルドを渡した。あやうくサインも入れてくれと言いそうになるのを我慢しながら。
「チューニングはコントラバスの低い方4本は同じで、2限がB、1弦はGになってるよ」
俺は基本的な事を教えて彼にピックを渡した。
ベートーヴェン少年がギターに夢中になっている間、俺はアマデウスと共にハイドンの話を聞いていた。
「本当に昨日の公演は」ハイドンはしみじみ語った。「私の固定概念を見事に崩してくれた。全く新しい音楽の形だった」
「そう言っていただけると」俺は恐縮しながら答える。「自分は間違ってなかったと自信を持てます」
アマデウスが俺の肩をポンと叩いた。
「何かの形で私も協力させていただきたいのだが」ハイドンは続けた。「この先の計画などは決まっているのかね?」
「昨日の今日でまだ何も」俺は答える。
「とりあえず考えているのは」アマデウスが付け加えた。「昨日の会場で定期的に公演しようかと」
「それはいい」ハイドンは頷く。「それでどうだろう。海外公演をしてみないかね」
「海外…ですか」俺とアマデウスは顔を見合わせた。「国内も回ってないのに…?」
「オーストリア領内の文化的価値はここウィーンに集中しているからね。正直ウィーンでしっかり活動できていれば充分だと私は思っている」
「なるほど…」アマデウスは頷いた。「それで海外と申しますと?」
「実はこの秋にパリで私の公演を計画中でね、そこの前座でよければ是非やってみて欲しいと考えているのだが」
「パリ…!」俺は思わず近くの席にいるリーナを見た。彼女にも会話は聞こえていたはずだ。彼女は目をそらした。その小さな行動で俺は察した。
リーナの双子の妹マリー・アントワネットが王妃として君臨するフランスに、彼女は行きにくいのだろう。
同様に察したはずのアマデウスは丁寧な口調でハイドンに言った。
「海外遠征はありがたく、増して先生と同じ舞台に立てるのは光栄です。少しの間前向きに考えさせていただけますか」
「もちろん」ハイドンは笑顔で言った。「まだ詳しい日程も決まっていないし、ゆっくり検討してもらって構わない」
「ありがとうございます」
その夜は遅い時間にお開きになり、俺はリーナを送って行く事にした。アンニとマレーネ、ヨハンナ、ヘレーネはアマデウスとバンドメンバーが手分けして送って行く。
アマデウスが俺にリーナを任せたのは、フランス遠征の話をさせたかったのだろう。
夜道を歩きながら、俺はなるべく優しくリーナに話しかけた。
「さっきのハイドンの話、聞いてたよね?」
「うん」彼女はうつむいたまま答えた。「フランスかぁ…」
「やっぱり行きたくは…ない?」
「複雑なんだよね…パリとヴェルサイユは近いわけじゃん?だから何…って話なんだけどね…」
「まぁ、何となく気持ちはわからんでもない」
「実の妹の近くに行く…しかも呪われた子として存在を消された姉が、行っていいのかっていう気持ちが強い…かな」
「王妃のため?」
「…それだけじゃないかも…私の気持ち的にも…考えちゃいけないんだけど…」
そう言ってリーナは涙を溢した。
「リーナ…」
「考えちゃいけないの…もしこの額の星がアントワネットにあったなら、今フランス王妃になってるのはこの私だったかもしれない…いけないのに、そんな思いが襲ってくることがあるの…」
リーナは言いながら泣きじゃくった。感情が溢れ出してどうしようもないのが手に取るようにわかる。
彼女は俺の胸にすがって泣いた。肩を震わせ、できるだけ鳴き声を押し殺そうとしているのが愛しく切なかった。
「いけない子だよね、私…そんな事考えちゃうなんて…ごめんなさい、アントワネット…」
俺はそっとリーナを抱きしめた。それしかできなかった。
しばらくそのままでいて、俺は静かに語りかけた。
「俺がもし同じ立場だったら、きっと君と同じこと考えてたよ。悔しいよね…自分のせいじゃないのに」
リーナは無言だった。
やがて泣き声が止み、しかし俺の胸にすがったまま彼女は言った。
「悔しくはないよ…悔しくない。フランス王妃なんてなりたくない」リーナは俺に抱かれたまま、顔を伏せて続けた。「たまにね、悪魔が語りかけてくるだけ。それに負けそうになったこともあった。でもね、今は王妃のティアラより大事なものをたくさん持ってるんだよ」
リーナはもう泣き声ではなく、はっきりした声で続けた。
「Neue Sterneがあって、素敵な仲間がいて、最高の曲がいくつもあって…そして、ここにジョージがいる。前にも言ったでしょ?私は今、幸せなんだよ」
彼女は抱いた俺の腕からすり抜けて涙の跡を手で拭い、まだ少し赤い目で俺を見た。
「受け止めてくれてありがとう。ジョージがいてくれてよかった」そしてふと空を見上げ、「また泣かないように、ずっとそばにいてね」
「当然だよ」俺は笑って返した。「君を一番輝く星にするまでは離れない」
リーナはちらっと俺を見て微笑んでから、また空を見た。
「星がきれい。今なら、私も星になれるって胸張って言えるよ」
「うん」
「それとね、私パリに行く」
「いいのか?そこは無理しなくても」
「無理してないよ。約束を思い出したんだ」
「約束…?」
「前に私の生い立ちを話した時に言ったじゃん。8歳の頃、お母様がアントワネットを地下室に連れて来た時のこと」
「ああ…そうだね」
「アントワネットは、今度はお城の庭で遊ぼうって言ったんだよ。お城は変わっちゃったけど、ヴェルサイユ宮殿で約束を果たしたいの」
「フランス王妃に会いに行くのか?」
「会えるならば、ね」
俺たちはまた夜のウィーンの街を歩き出した。
1カ月後、先日のレオポルトシュタット劇場で半年間毎月1回定期公演をすることが決まった。
アマデウスの交渉で半年間6公演をまとめる事で会場費がかなり安く抑えられた。
もちろん金の竪琴亭での毎日の出演は継続。先日の公演以来メイド姿のNeue Sterne目当ての客がかなり増えた事で店の売上は急増、Neue Sterneメンバー、バンドメンバー、そして俺も人並みの給金が貰えるようになった。
そしてリーナの決断でパリ遠征決行の意思をハイドンに伝えたところ、公演は11月、定期公演6回目直後に決定した。
「いよいよ彼女らが世界にはばたく第一歩だな」ハイドンは嬉しそうに言った。「遠征用の馬車の他に何か必要なものがあるかね?」
「特にないと思いますが」アマデウスが俺の隣で答えた。「実は一つお願いが」
「言ってみたまえ」
「先生はフランス王家とも友好な関係をお築きになっていらっしゃるということで…無理なお願いかもしれないのですが、先生のお人柄を信じてお話いたします」
ハイドンにパリ遠征の返事をする際、リーナのフランス王妃謁見もお願いしようという事になったのだが、それにはどうしてもリーナの出世の秘密を話さざるを得ない。
打ち明けた上で、謁見の交渉が無理なら諦めざるを得ない覚悟でハイドンの自宅を今日訪ねた形だ。
「実は…」アマデウスは簡潔に、だが正確にリーナの秘密をハイドンに伝えた。
さすがの巨匠ハイドンも驚きを隠しきれなかったようだ。
「それはまた…」彼はソファに浅く座り直し、「リーナとアントワネット王妃は似ていると思っていたが…まさか双子とは」
「今アマデウスがお話したように」俺は真剣な口調でハイドンに言う。「リーナは幼い頃の約束を果たしたいだけなんです。ほんの数分間、お時間を作れませんでしょうか」
「うむ…」ハイドンはしばし考え、「王妃様はありがたくも私を王宮楽士のように扱っていただいている。お願いできないことはない」
彼は少しずつ言葉を選ぶように続けた。
「が…王宮の者達が同じ顔のリーナを見てどう思うか…もし事情を知る者がその場にいた場合、最悪はリーナの命をも保証は出来かねるやも知れん」
「それはありますね…」アマデウスが考え込む。
「うまい方法を考えてみよう」ハイドンはテーブルのコーヒーを口にした。「アントワネット王妃には当日夜…なるべく人目を避ける為夜が望ましい…謁見のお伺いのみ立てつつ策を講じよう」
「ありがとうございます。ご無理を申しまして痛み入ります」アマデウスは神妙な顔で礼を言った。
「考えてみれば」ハイドンはふと気づいたように言う。「額に星を持つ女性が華やかな表舞台に出たという評判がフランスまで届いているなら、何かしらの動きがあるはずだが今のところそのような気配はない。そしてその評判はアントワネット王妃にも届く、とすれば」
「…あ、そうですね」アマデウスが反応した。
「左様」ハイドンは落ち着いて続けた。「フランス王宮内で双子の秘密を知るのはアントワネット王妃のみ、という事になるのではないか」
「だとしたら、謁見の可能性は上がる…と」
「今は伝わっていないとしても、パリ遠征までの半年間でほぼ確実に伝わるはずだろう。それで状況が変わるようなら、その時また対処すれば良い」
「はい、ありがとうございます」
こうしてリーナの幼い約束は果たされる方にある程度傾いた。
俺とアマデウスはハイドン邸宅からの帰り道、馬車の中でこの先の計画を話した。
「パリ遠征公演を実現の方向で考えるとして」アマデウスが言った。「君はどのような目標を考える?」
「目標か…」俺は窓の外を眺めていた顔をアマデウスに向けて、「この話が出た時からぼんやりと考えてはいたんだけど、とにかくまずは演者のクオリティをもっと高めないと、かな」
「まだまだ不充分だと?」
「今はまだ物珍しさが勝ってると思うんだ。聴いたことないタイプの曲や見たことないダンス。際どい衣装やサイリウム」
「物珍しさ…か」
「それは武器でもあるんだけどさ、それを支える実力がもっとあれば純粋に曲が好きな人とかにも訴えていける」
「なるほどね」
「例えば衣装や見た目で毛嫌いしてる人をも惹きつける…見た目はアレだけどどうしても曲が聴きたい、あの歌声が最高、あのダンスを見たい、みたいな魅力が欲しいんだ。それがあって初めて本物だと言えるんじゃないかなと」
「イロモノだけでは終われないって事だね」
「極端な話、目が不自由な人が公演に来たとして、純粋に音楽だけで感動させられるか…って話だよな」
「それはわかりやすい」
「衣装も顔もサイリウムも見えない。それでも伝えられるパワーが必要なんだよ」
「理想は高いね」
「あの子たちならできるっていう、根拠ない確信があったりするんだけどね」
「できるよ、きっと」
「うん」
アマデウスは微笑んで窓の外を見た。
「今夜はメンバーと打ち合わせだよね?」
「そう」俺は思い出したように答える。「定期公演の方針決定、そしてパリ遠征の決定報告かな」
「花の都だね」
馬車はウィーン中心部の城壁に入った。
店に馬車が着いたのは閉店間際だった。着いてすぐ打ち合わせだ。
店に入った俺はアンニがいないことに気づき、着替えを終えたマレーネに聞いてみた。
「アンニはどうした?」
「それが」マレーネは困ったような顔で答えた。「つい今しがた、急用があるからって急いで帰っちゃった」
「そうなのか」
「打ち合わせなのにごめんなさいって…決まった事は明日私が彼女に話すから」
「うん、ありがとう」俺は特に何も考えずに言った。「今日は俺からの報告だけだし、それで大丈夫だよ」
リーナ、マレーネ、アマデウス、ルーカス、俺で長テーブルを囲み俺が話し始める。
「まずは先日伝えた通り、来月から毎月レオポルトシュタット劇場で定期公演をやるわけだけど、その6回の公演で毎回2曲の新曲と新衣装を1着お披露目したい」
「イェーイ!毎月新衣装!」リーナが歓声を上げてマレーネとハイタッチを交わす。
「やっぱり衣装に食い付くか」
「だって女の子だもーん」とリーナ。
「楽しみだね」マレーネも笑顔だ。
「新曲に関しては今までの曲になかった感じを補完しつつ、人気のタイプのバリエーションを増やす方向で考えてる」
「基本ジョージと僕が1曲ずつになるかな」アマデウスが言った。
「まぁそれが基本として、臨機応変に」俺は少し間を空けてから続けた。「そして6回の定期公演で出来る12曲の新曲と6着の新衣装を引っ提げて向かう先は…」
「パリ!」リーナが被せてきた。
「先に言うな。俺の見せ場じゃん」
「パリ決まったの?」マレーネも食い付く。「すごい!初めての外国がフランス!」
「定期公演6回が終わった直後にパリに行くよ」
「やったー!」リーナとマレーネは再びハイタッチ。
「フランスは久しぶりだな」ルーカスが遠い目をして言う。「旅芸人始めてすぐに行って以来だ。リーナはまだ小さかったけどな」
「行ってたんだ」リーナはきょとんとして言った。「10歳くらいでいきなりいろんなところ行ったし、どこ行ったか全く覚えてないよ、その頃のことは」
「まぁ無理もない」
リーナがフランスを嫌がるだろうと、彼女が理解できるようになる年齢以降はフランスに敢えて行っていないのだろう。
「で、どんな感じで行くんだ?パリは」ルーカスが俺に尋ねる。「バンドの編成とか曲数とか」
「バンドは基本そのままで」俺は紙にメモしながら話す。「曲数は、既存曲と増える新曲から厳選して20曲前後、衣装は実質3着がいいところかと」
「なるほど、承知した」ルーカスはパイプを咥えた。
「最後に」俺は真面目な顔で言った。「定期公演で場数を踏みつつ各員の実力をさらに上げていきたい。ハイドン先生の公演に乗っからせていただく事もあり、客層はより高くなると思うので、意識して成長していこう!」
こうして今夜の打ち合わせは終了、いつものようにリーナを送って帰る道で俺は彼女にアントワネット謁見の件を話した。
一通り聞いた彼女は納得した様子でこう言った。
「会えたらもちろん嬉しいけど、あまり無理はしないでね」
「無理?」
「だって…私のワガママでハイドンさんやアマデウス、ジョージに迷惑かかるのは一番嫌だよ」
「うん、ハイドンさんもリーナに何かあるんじゃないかって心配してたから、あまり危険を侵してまでやろうとは思わないよ」
「そうして。…ありがとう、色々」
「いやいや」
今夜も星が綺麗だ。
パリで見る星もこんな感じだろうか。
数日が過ぎてウィーンは暖かい日々が続いていた。
そんなある日、午前中の仕入れで市場を歩いていた俺はマレーネに呼び止められた。
「ちょっと時間ある?」マレーネはいつになく深刻な顔をしている。「話があるんだ」
「どうした急に」俺は気になった。「少しなら大丈夫。カフェでも行こうか」
「うん」
市場から少し離れたカフェに入った俺たちは奥まった席に着いた。
「何かあった?」俺は変わらず深刻そうなマレーネに優しく話しかけた。
彼女は重い口を開いた。
「言おうかどうか昨夜ずっと迷ったんだけど…言った方がいいと思って市場で待ってたんだ」
俺は頷くだけにした。マレーネは続けた。
「アンニのことなんだ」
「アンニがどうかした?」
「あの子、お店のお給金が出るようになってから市場の仕事やってないのは知ってる?」
「ああ…最近仕入れで回ってもいないなとは思ってた。特に気にならなかったから何も本人には聞いてないけど」
「昨日の朝、城壁の外で彼女を見たんだ」
俺は頷いて次の言葉を待った。
「私はたまたま外の安い朝市に買い物に行ったんだけど…男の人と腕組んで歩いてた」
「へえ!アンニがね…でも年頃の娘だし、彼氏がいても不思議ではないかと」
「その男がね…Neue Sterneのファンでも?」
「えっ…」俺は予想外の展開に戸惑った。最悪彼氏がいたとして、うまく隠せれば問題はない。その場合隠し方とかを教えなければならないが…しかし、相手がファンとなるとまた事態はややこしくなる。
「それは」俺は声をなるべく潜めてマレーネに聞いた。「確かなの?」
「間違いないよ。店にも毎日のように通ってた料理人の若い人、わかるでしょ」
「ああ…あの彼!」
「ずっとアンニにお絵描き頼んでたんだけど、半月くらい前からぱったり来なくなったんだよね」
「そういえば最近見てないなあ」
「劇場公演にも来てた。最前列で黄色の蝋燭振ってたよ」
「熱烈なアンニファンだよな」
「ファンでいてくれるならいいと思うんだ」マレーネはため息をついた。「でもアイドルとファンが普段外で会って、腕組んでるのっていけないんじゃない?」
マレーネは大道芸人とは言え、ある程度芸能界的なタブーは理解しているようだ。
俺はこの世界での常識はあまりわからないが、アイドルとして活動する以上はアイドル的な不文律に則るべきなのではないか、と思う。
「俺の国では」俺は小声のまま言った。「そういう場面を新聞記者とかに見られたらゴシップ欄にすぐ載って、人気急落だな」
「ウィーンでも似たような事あるよ」マレーネも小声だ。「そこそこ人気ある役者とかオペラ歌手がファンと繋がって新聞に書かれて…そのまま消えちゃったのを何度か聞いたよ」
どの世界でもゴシップ記事は恰好のネタらしい。
「私は嫌だよ」マレーネは少し力を込めて言った。「せっかく私たちはこれからって時に、アンニのせいで人気なくなって消えたくない!」
「それはもちろん避けなきゃいけない」俺は慎重に考えながら話す。「まずは早いうちに本人に確認しよう。疑えばキリがないけど、誤解ということもある」
「そうだね…私が聞こうか?まずは女同士話した方がいいかも」
「うん、そうだね…もし話しにくかったら俺が話すからいつでも言って」
「わかった。今夜にでも話してみる」
カフェを出た俺たちはそのまま店に向かって歩いた。無言で歩きながら俺は頭の中でいろんな事を思い出していた。
東京で「カノン」の前のグループを運営していた頃、その中の一人が同じような状況だった事がある。
まだアイドルになって間もない彼女はある一人のファンに個人的な付き合いを求められ、ついに連絡先を教えてしまった。
次第に他の客の前でも誰よりも親密に見えてくるようになり、ファンの間でも噂になり始め、当時まだ若かった俺は頭に血が上り彼女に問いただした。
結果はクロで、ライブ後などにそのファンのクルマで送ってもらったり、時には一緒に外泊までしていたようだ。
彼女は開き直り、アイドルとファンは付き合っちゃいけないんですか?と逆ギレされた。
付き合うのがいけないというより、それが知れる事で人気が落ち、最悪他のメンバーも同じ目で見られた挙句解散という話もたくさん聞く。
だが彼女はそんな話を聞く耳は全く持たず、他のメンバーに話して味方につけようとした。
が、彼女より芸歴が長い他のメンバーは自分らの迷惑になると逆に彼女を責め、完全に孤立した本人は次の日からライブ現場に来なくなり、自動的に脱退という事になった。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
他のアイドル運営がどう考えるのかは人それぞれだと思うが、俺のスタンスはこうだ。
・ファンとの恋愛を絶対禁止とは言わない。ただし100%バレないように。そして仮に結婚までしたとしても生涯相手を公表しないように。
他のメンバーへの迷惑はもちろん、その相手の男性以外の自分のファンに対しての裏切りになり、一生消えない傷を与えることになるかもしれないから。
その覚悟がないなら、しないで欲しい。
多分この理屈も間違っているかもしれない。
でも誰かに夢を与える仕事を選んだ人間が人の夢を壊していい権利は多分ない。
どこからどこまでが夢を壊す範疇なのか。
どこからどこまでが人間としての権利なのか。
答えは結局、自分の持っている"愛"の振り分け方次第かもしれない。
その夜、閉店時間。
マレーネがアンニに一緒に帰ろうと誘っているのに気づいたが、アンニはまた用事があると急いで帰ろうとしたようだった。
「待ってよアンニ!大事な話があるの」
「ごめんマレーネ、どうしても今日は…」
「そんなに急いでどこに行くの?あの料理人に会いに行くの?」
マレーネは半ばキレてアンニに言葉を浴びせた。
アンニは思いがけない一言に固まり、やがて震えながらか細い声で言った。
「…なんで?なんで…」
彼女は小柄な体を震わせ両手で顔を覆って泣き出しながら声を上げた。
「なんで知ってるの!」
俺は厨房でその会話を聞きながら思わず飛び出した。
「ちょっと!どうしたの」リーナも駆け寄る。
アンニはただ声もはばからず泣くばかりだった。
そこに最悪のタイミングでアマデウスが店に入ってきた。
扉を入ったところで立って泣いているアンニを見てから俺に目線を移した彼は不思議そうに俺に聞いた。
「何?何があったの?」
俺は人差し指を自分の口にあてて"黙っとけ"と無言の圧をかけた。
空気を読まない天才はそっとカウンターに座った。
アンニが落ち着くのを待って俺はみんなを座らせた。
店主ヨーゼフは気を利かせて先に帰った。
みんな誰かが口を開くのを待っているようだ。
ここはやはり現場責任者として俺がいくしかないか…
「アンニ、大丈夫か?」
俺は極めて優しいつもりで声をかけてみたが、アンニは無言のまま下を向いている。
マレーネが何か言おうとしたが俺は目で制止した。
「アンニ、俺は風紀警察みたいに追求するつもりはないよ」あくまでも冷静に俺は言った。「一つ確認したい。答えたくなければ答えなくて構わない。…マレーネが言うには、君がファンの一人であるあの料理人と歩いているのを見たとの事なんだけど、それは間違いない?」
その言葉にリーナが反応してアンニを見た。
アマデウスはただ黙って聞いている。
アンニは諦めたように下を向いたまま呟いた。
「…本当です」
リーナが目を伏せて首を振るのが見えた。
「彼のことが好きなの?」俺はさらに聞いた。
アンニはまた黙ってしまった。
「よかったら」俺は優しく言葉を重ねる。「いきさつを話してくれないかな。彼と何故外で会うようになったのか、そして君の気持ちはどうなのか…誰も怒らないから」
そう言って俺はリーナとマレーネを見た。彼女らは黙って頷いた。
「…ごめんなさい」アンニはまた震え出した。
「謝まらなくていいんだよ。誰も責めてないから」
「私…彼が好きです」アンニはか細い声を絞り出した。「始めはこのお店のお客さんでした。毎日来てくれて、必ず私にお絵描きさせてくれて…」
彼女はやっと少しずつ落ち着いて話し始めた。その言葉はどこか客観的にも聞こえたが、自分で自分を分析しているようにも感じた。
アンニの言葉は続く。
「ある日…テーブルの下でそっとお手紙を渡してくれたんです。…家に帰って読んでみたら、まだこのお店に来る前から市場で見てたこと、きれいな歌声に毎日癒されたことなどが書いてあって…」
彼女の物語はこのような内容だった。
彼はある貴族の屋敷の専属料理人見習いで、毎日朝市に買い出しに来ていたが、屋敷指定の店でしか買うことが許されず、アンニの店は少し遠目から眺めているだけだった。
屋敷での仕事は厳しく、毎日のように怒られていた彼の唯一の癒しは買い出し途中で聴く歌う野菜売りの歌声だった。
ある日広場でチラシを拾った彼は、近くの酒場で歌娘が働く事を知り、メイドカフェ形態としての初日から毎日昼休みに通い詰めた。
最初の手紙を勇気を出して渡してみたら、翌日小声で「お手紙嬉しかったです」と言われ、自分の存在を認めてもらった実感に心が震えた。
それ以降毎日密かに手紙を渡すのが日課になっていくのだが、内容はだんだんと仕事の愚痴や自分の料理の才能の無さなど落ち込んだものになっていく。
その度にアンニは翌日店で小声で「大変ですね」とか「頑張ってくださいね」「応援してますよ」という言葉をかけていた。
ある日の手紙に「一度だけ外で会えないか」と書いてあったのに対してアンニは初めての返事を書いてしまった。
「一度ゆっくりお話したいです」
彼は喜び、早速待ち合わせ場所や時間の提案を綴った。
市場の仕事を辞めていたアンニは彼が買い出しに行く市場から程近い城壁沿いの広場を提案し、落ち会い、彼と話をした。
主に彼の苦労話だったが、最後に彼の夢を聞くと小さくても自分のレストランを出す事だと恥ずかしそうに言い、その別れ際に「その店は自分の妻と二人でのんびり誰にも怒られずにやりたい。その妻は…君であって欲しい」と言われた。
その夜は胸がドキドキして眠れなかった。
それ以来少しずつ朝市で密会する日が増え、今では毎日会っている。
ここまで話してアンニは顔を上げた。
「私が彼の夢に寄り添うことはいけないことなんでしょうか…」
彼女は俺を見ながらはっきりと口にした。
他のみんなが俺の答えを待っているのを感じたが、俺はしばらく考えてからこう言った。
「少し考えさせて欲しい。そしてその間、君にも考えて欲しいことがある。…君の夢を諦めて彼の夢に寄り添う覚悟はあるか?っていうことを」
俺はみんなの前で宣言した。
つまり、彼かNeue Sterneか、どちらかを選びなさいということだ。
俺も考えるから君も考える。俺たちの間には命令する関係はなく対等だということ。
ただしどちらかを選ぶ必要はある。両立は難しい。
この意味がわかっただろうか。
少なくともアマデウスはわかったはずだ。
俺は彼に言った。
「悪いけど、アンニを送ってあげてくれないか」
「喜んで」彼は優しくアンニをエスコートして外に出た。
残された俺とマレーネはしばらく黙っていたが、リーナがふと言った。
「マレーネは知ってたの?」
「うん、私が昨日二人でいるのを見かけたんだ」
「そっか…」リーナはふっと息を吐いて、「アンニは純粋だからね。他が見えなくなっちゃうんだろうね」
「わかるんだけど…」マレーネは腕を組んで難しい顔をした。「私たちのことも少しは考えて欲しいよ」
「私たちのこと?」
「いろんな意味で迷惑じゃん」
「う〜ん、難しい…」
「とりあえず」俺はテーブルに肘をついて顔を支えながら、「一度家に持ち帰ることで冷静に考える時間ができる。その上で選択権を与えたんだ。結果がどうなっても…」
「どうなっても?」リーナが眉をしかめた。「アンニが辞める事も考えてるってこと?」
「もちろん辞めて欲しくはないよ。何が正しいのか、俺にも最終的にはわからない。あの子が選ぶことが辞めることだとしたら、その覚悟はしといた方がいいのかな、と思ってる」
「ああ、わからなくなってきた」リーナは立ち上がって、「帰る」
「私も」マレーネも席を立った。
「送って行くよ。マレーネも途中まで一緒に行こう」
俺たちは店の扉に鍵をかけて夜の街を歩き出した。マレーネは近所なので最初の角で別れ、二人になった途端リーナはこう言ってきた。
「この間私が泣いた時ジョージが抱きしめてくれたでしょ」
「あ、ああ…」
「もしそれをマレーネに見られたとしたら、同じようなことになったのかな」
「あれは別に…付き合ってるラブシーンではないでしょ」
「でもハタから見たら一緒だよね?」
「まぁ確かに…な」
「どこに落とし穴があるかわかんないんだよね。だから…」
「だから?」
「もうジョージに甘えるのやめた!」
「…それはそれでちょっと寂しい…」
「なんだって?もう一度言って」
「あ…心の叫びが漏れた」
「でもジョージが寂しい時は私に甘えてもいいんだよ?」
「…それはどうなんだろう」
「ただし、誰にも見られないところでね」
俺たちはこういう仲がちょうどいい、と思いながら夜道を歩いた。
アマデウスはうまくアンニと話せてるかな…
翌日、アンニは普通に金の竪琴亭に出勤してきた。
閉店まで通常通り接客をし、店内ライブも無難にこなした。
閉店間際にアマデウスが現れ、アンニに軽く会釈をすると彼女も同じように返したのが見えた。
最後の客を見送って店を片付けると、アマデウスが唐突に「ちょっとピアノ弾くよ」と言い出した。
女子3人が着替えているうちに俺はアマデウスに小声で聞いてみた。
「昨夜はアンニどうだった?」
「気になる?」
「当たり前だろ」
「Neue Sterneの曲で一番好きなのは何か聞いたんだ」
「それだけ?」
「それだけ」
「もうちょっと何かさぁ…」
「今からそれを弾く」
「その心は?」
「聴いてたらわかるよ」
3人が着替えて出てきたタイミングでアマデウスはピアノを優しい音で弾き始めた。
…どこかで聴いたぞこれ…でもこんな現代風のバラードがこの時代にあるか?
「この曲!」リーナがハッとして声を上げた。
「わかった!」マレーネも気づいたようだ。
リーナがバラード調のピアノに乗せて静かに歌い出す。
「♪私は今日もキラキラメイクにフリフリドレス…」
歌を聴いてやっと気づいた。
Neue Sterneの『アイドルでいさせて』じゃないか!
自分が作詞作曲した曲を…アップテンポなアイドルポップがアマデウスのバラードピアノアレンジでこんなに変わるのか…
歌詞の内容は…
アイドルになりたての自分は一人のファンが気になっている
一生懸命応援してくれるその姿に誰にも言えない感情がつのる
でも私はアイドルが好き
あなたが知ってる私は夢の世界のお人形
本当の私を見せたら幻滅するかもしれない
だから今はアイドルでいさせて
あなたを好きなこの気持ちを全部歌に乗せるから
あなたはフロアで思い切り私の名前を呼んで
両手いっぱいのレスで応えるから
だから今はアイドルでいさせて
キレイなままの私だけ見ていて
…というものだ。
リーナは完璧なピアノバラードに変貌したこの曲を主人公になりきって歌っている。
2番はマレーネが歌う。
歌詞が痛いほど突き刺さる。
アンニはいつしか涙を浮かべて聴いている。
間奏部分でアマデウスは叙情的なソロを奏でる。"泣きのピアノ"というものがあるとすればこれだ、と思う。
アンニは涙を拭いて立ち上がると、間奏終わり間際にこう言った。
「私の方がうまく歌えるよ」
そして落ちサビからラストサビまで、まさしく天使のような歌声で歌い上げた。
「♪アイドルでいさせて…」
最後のリフレインを儚く歌い切ってアマデウスのピアノもエンディングのリットを迎えた。
静寂。
その後マレーネが拍手をしながら言った。
「もう…さすがアンニだね。歌ではまったく敵わないなあ」
リーナも拍手を重ねて言う。
「あの曲がこんなに素敵なバラードになるんだね…歌いながらちょっと泣いちゃいそうだったよ」そして涙を拭いながら、「最後のアンニの歌で涙腺崩壊…」
アンニは頷きながら小さい声でこう言った。
「アイドルでいてもいいですか…?」
俺は黙って頷いた後、そっと言った。
「昨夜アマデウスに好きな曲聞かれたんだって?」
「はい…この歌がすごく好きで、歌いながら帰ったらなんだか涙が出てきて…ああ、私はアイドルが好きなんだ、歌が好きなんだって…」
「この曲を選んだことがすべてだよ」
「彼には…前みたいにステージの前で見ててねって言ってきました」
「もう?」俺は驚いて、「早業だなあ」
「今朝彼が行く市場で待ってて、もう外では会わないって言いました」
アマデウスがピアノから立ち上がってアンニの前に立ち頭を軽く撫でて、
「おかえり、アンニ」
彼のその言葉にアンニはまた泣き出して、涙ながらにこう言った。
「ただいま…ただいま、Neue Sterne…」
店には俺とアマデウス。二人でワインを酌み交わしていた。
3人には送って行こうかと言ったが、今夜はマレーネの家にみんな泊まると言うので送り出した後だ。
「アンニがあの曲を選ぶって確信があったわけじゃないだろ?」
俺はアマデウスの顔をしみじみ見ながら言った。彼は笑って答える。
「70%くらいかな。劇場公演の時に一番楽しそうだった曲だし、歌詞を大事に歌う子だからきっと共感するのはこれだろうって、ね」
「…まったくさすがだよ。俺より見てるよな、みんなのこと」
「そうでもないさ」彼はそう言ってワインを空けた。「君こそ気づいてる?君が何気なく作った一曲が今日一人の女の子を救ったんだよ」
「え…?」
「それって君が目指してる音楽じゃなかった?」
「そうか…そうなるんだな…」
「君こそさすがだよ」
そう言うとアマデウスは上着を羽織って扉を開けた。
「ではおやすみ。これからもいい曲を書いてくれたまえ」
「それには君のピアノが不可欠だけどな」
彼は親指を立てて出て行った。
こうやって絆が深まることもあるんだな…
ぼんやり考えながら俺は一人ワインを味わった。
【続く】
【次回予告】
幾多の苦難を乗り越え、毎月の定期公演を経ていよいよパリ遠征公演を迎えるNeue Sterne。リーナが望む実の妹マリー・アントワネットとの約束の再会は実現するのか?運命の歯車は静かに動き出す…
次回、「ヴェルサイユ宮殿プチ・トリアノン」




