37 公爵への拝謁
がたがたと揺れる車体に、ソフィアは懐かしさを覚える。身代わりを始めたあの日も、こうしてジラール卿と、森の中を移動したのだったっけ。
ジラールとソフィアは、モンドヴォール邸に向けて密かに馬車を走らせていた。生い茂った木々の合間には、時折星が輝いている。
暗がりを見つめていたソフィアは、ふと視線を感じ、静かに姿勢を整えた。するとジラールが、躊躇いながらも口を開く。
「にぎやかな使用人ばかりで、驚かれたでしょう。イザベラも、あれでいて腕は確かですので、どうかお許しください」
どうやら彼は、この言葉を告げるべく機会を窺っていたようだ。困り顔のまま頭を下げ、使用人たちの非礼を詫びる。
「いいえ! むしろ親切にしていただいて、嬉しいくらいです。素敵な方々ですね」
ソフィアの言葉を聞いて、ジラールは目尻にしわを寄せ、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。そのように言っていただけると、あの者たちも喜ぶでしょう。ああ、それとソフィア嬢に言い忘れていたことが。公爵様のお顔を見ても、驚かないでくださいね」
彼はいつになく真剣な顔でこちらを見ている。あらかじめ忠告せねばならぬほど、公爵閣下は荒々しい風貌のお方なのかしら。
「以前、あなたは令嬢のステファニーによく似ているとお伝えしましたが、そもそも彼女は、父親譲りの顔立ちをしています。つまり公爵様も、あなたとそっくりなのです」
その発言を半ば疑っていたソフィアも、公爵と直に対面した瞬間に、彼がそう告げた理由が分かった。
「公爵様。ソフィア嬢をお連れいたしました」
革張りのデスクチェアがゆっくりとこちらを向き、ソフィアは目を奪われる。
端正に切り揃えられたダークブロンドの髪に、きりりとした細眉。ソフィアよりもわずかに切れ長な目をしているものの、それ以外は輪郭から唇の形に至るまで、自分の面差しによく似ている。
それは、想像とは全く違って、女性と見紛うほどに麗しい人物だった。
「お初お目にかかります、モンドヴォール公爵閣下。私はソフィアと申します」
動揺しながらもスカートの裾を持ち、丁寧に挨拶をする。
しばらく静止していた公爵は、はっと正気に返ると、絞り出すように声を発した。
「レオン。彼女は本当に、ステファニーではないのか?」
「はい。驚かれるのも無理もないことでございますが、全くの別人です」
公爵は戸惑いを隠そうともせず、デスクに伏せるようにして、頭を抱えこむ。
「……すまないが、お前は少し席を外してくれないか」
唸るように懇願され、ジラールは部屋の外に出ていってしまう。
突如二人きりとなり、ソフィアは心中穏やかではなかった。
目の前の男性が、いくら馴染みのある顔つきをしていたとしても、先ほどまでは面識すらなかったのだ。身を固くする少女に、公爵はとつとつと語りかける。
「ソフィア嬢、と申したか。そんなに緊張しないでくれ。いくつか君に聞きたいことがあるだけだから」
「では、なんなりとお尋ねくださいませ」
努めて冷静に答えると、公爵は椅子から立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
「歳はいくつになる?」
「この春で、十五になったばかりです」
華奢な体つきだが、どうやら身長はジラールよりも高いらしい。彼が目の前に立つと、ちょっとした威圧感を覚えるほどには体格差がある。
「ということは、ステファニーよりも歳上なのか。君に、歳の近い弟や妹はいるか?」
「兄と弟が一人ずつおりますが、弟はまだ八つです」
「そうか。では最後に、……君の髪や瞳の色は、お母さま譲りのものだろうか」
灰青の眼が、射るようにこちらを見つめている。
どうしてこのお方は、私の家族のことまで気にされているのかしら。引っかかりを感じながらも、ソフィアは正直に答える。
「いいえ。母親と弟は、髪も瞳も亜麻色をしています。私と兄の黒髪は、父に似たものです」
その回答を受け、どうやら公爵は安心したようで、盛大に息を漏らした。
「やはりソフィア嬢は、私たちとは無関係のようだ。しかし、だからこそ聞いてほしい話がある」
そう言いながら、ブルーベルベットのソファに座るよう促してくる。ソフィアに続いて、自身も向かいに腰掛けると、彼はすぐ口を開いた。
「いいか。君は、ステファニーの代わりをする必要はない」
計画を根底から覆すような宣言に、ソフィアはすっかり面食らう。
「それは、どういう意味でしょうか」
「呼び出しておいて、なにを今更と思うかもしれないが、順を追って説明させてもらえないだろうか。まずは、我が娘の所在について。実のところ、ステファニーの居所はすでに分かっている」
「そうなのですか!? 一体、ステファニー様はどちらに?」
公爵は落ち着いた様子で、こちらの疑問に答える。
「今は郊外の別宅に引きこもり、時が過ぎるのを待っているようだ。すぐにでも連れ帰ることはできるが、話が話だ。王太子妃となることを、あの子が本当に嫌がっているのなら、無理強いはしたくないと思っている。そうして二の足を踏んでいる間に、気を遣ったレオンが、君に声をかけたというわけだ」
「それはつまり、ジラール卿の早とちりだったということでしょうか」
「いや、そうではない。悪いのは私だ。混乱していたとはいえ、あいつからの提案を聞いた時に、私はそれを安易に受け入れてしまった。まずは、君の安全を第一に考えるべきだったのに。本当に申し訳ない」
彼はぐっと頭を垂れて、心からの謝意を示す。
「確かに、家門の体裁を守るためには、ソフィア嬢にご協力いただくべきなのだろう。けれども王族を謀るなど、本来あってはならぬこと。罪の重さを、君はきちんと理解しているか? そして、レオンはそういったことも説明したうえで、この話を受けるかどうか、君に判断の余地を与えていたか?」
答えに詰まったソフィアを見て、公爵はゆっくりとした口調で続ける。
「こちらから断っても、国王陛下はなんとも思わないだろう。むしろ、そのほうが安心するかもしれない。あのお方は、モンドヴォール家に良い感情を抱いてらっしゃらないからな」
「そうなのですね……?」
いずれステファニーが婚約者に選ばれることを知っているだけに、国王とモンドヴォールに確執があると聞かされても、ソフィアには大げさすぎる反応のように感じられた。
「ええと、そのようにお気遣いいただだけるとは、思ってもみませんでした。ありがとうございます。正直、そこまで深くは考えていなかったです」
「ならばなおさら、この件からは手を引くべきだ」
以前の私であれば、この申し出を快く受け入れていただろう。
けれども、私は知っている。ここで身代わりを拒んだとしても、二年後に控えるステファニーとの出会いを回避できるわけではない。
公爵にも私の存在を知られてしまった以上、ステファニーと入れ替わるチャンスは、きっとこれが最初で最後になる。
「覚悟はできております! ジラール卿に助けていただいたあの日のご恩に報いたいと、そう決めてここへきましたから」
それも本心だった。あの時、魔塔の魔導士に捕まっていれば、最悪の場合、私を処刑したマルクス・マーケルの前に突き出されていたかもしれない。
あの男と再会することを考えると、全身に悪寒が走った。
「恩がある? 君とレオンは、どのような関係なんだ?」
ジラールからはなにも聞かされていないのか、公爵は釈然としない様子で問いかけてくる。
二人の出会いから今日までの経緯を語ると、彼は苦々しく笑いながら、ぽそりと呟いた。
「では私は、君と出会ってくれたレオンに、感謝しなければならないな」
そうして、ソフィアに右手を差し出す。
「君が提示した条件は聞いている。一度だけ、私に力を貸してくれないだろうか」
「もちろんでございます。よろしくお願いいたします」
二人は互いの手を握りしめ、秘密の契約を交わした。
「モンドヴォール邸で入れ替わりを知るのは、私だけだ。苦労をさせるが、当日まではジラール領で準備を進めてくれ」
「承知いたしました」
公爵は繋いだ手に力を込め、こう言い添える。
「本当にありがとう、ソフィア嬢。このご恩は決して忘れない」
それから馬車へ戻り、再び帰路についたジラールとソフィアは、遠のいていくモンドヴォール邸を眺めながら、小声で話し始める。
「いかがでしたか? 公爵様とお話しをされてみて」
「ええと、噂では熊のような容姿の豪傑と聞いていたので、まずは閣下のお姿に驚きました」
「ああ、そういえばそんな話も流れていましたね。おおかた華々しい戦績に尾ひれがついて、そのような英雄像が生まれたのでしょう」
「実際にお会いした公爵様は、親切でお優しく、実直な方だと感じました」
ソフィアが対面したのは、“冷酷な殺人鬼”でも“血まみれ狂”でもなく、娘と同い年あたりの少女を気遣う、ごく普通な父親に見えた。
噂に左右されるのがどれほど愚かなことか、前世で痛いほど学んだはずなのに、私も聞いた話だけで人を量るところだったわ。
やはり、物事の真偽は自分で見極めなければならないのでしょうね。ちらりとジラールを見やると、彼は不思議そうに首を傾けた。
「なにかございますか?」
「話を変えてしまうのですが、ジラール卿は、ステファニー様を好いておられるのですよね?」
すると、それを聞いたジラールが盛大に吹き出す。
「どっ、どうしてそのようなことになるのですか!?」
どうやら彼は、本気で動揺しているらしい。
「それはほら、破談を勧めてらっしゃいましたし、いくら幼馴染といえど、普通はここまでしないかと思いまして。それに、使用人のみな様も、ジラール卿がステファニー様を意識していらっしゃると考えられているようでしたから」
「はっきりとしておきたいのですが、私からステファニーへ、そういった意味での『好意』はありません! ただ私は、ステファニーに幸せになってほしいだけです。家族の愛をろくに知らずに育った姿を見てきましたから」
「あの、少し突っ込んだ質問をしてもいいでしょうか。なぜモンドヴォールのみなさまは、不仲だったのですか? 私はそこが、いまいち理解できません。モンドヴォール公爵といえば、王族との婚姻話を蹴り、大恋愛のすえに奥方を娶られたお方ですよね? なぜそこまで、家庭が崩壊されていたのでしょう」
ソフィアの問いに、ジラールはわずかな惑いを見せながらも、口を開く。
「確かに、世紀の恋物語であるかのように世間では語られていますが、実際のところはそう上手くいっていなかったようです。それどころか、貴族間では、先王と夫人が愛人関係にあったとも囁かれています。事実、奥方様が最期の時を過ごされたのも、王城だと聞きましたし」
「公爵夫人は既婚者ですよ? 王様と結ばれるだなんて、そんなことがありえるのですか!?」
「あまり褒められた行いではありませんが、公妾は確かに存在しています。人によっては、ちょっとした遊びの感覚で、夫以外の男性と一晩を過ごすこともあるようですからね」
「貴族社会では、それが常識なのですか? でも、そんなことがあれば、公爵様と奥様の関係が悪くなってしまったのもうなずけます」
とすれば、先ほど公爵が話していた、国王の抱く“モンドヴォールへの不信”とは、自分の父親と不義の関係にあった、亡き公爵夫人に対する嫌悪感からくるものかもしれない。
では、ステファニーが先王の子である可能性も捨てきれないのではないか。そんな考えが頭をよぎったが、ソフィアはすぐにそれを打ち消した。
ここまで顔が似ているのだから、ステファニーと公爵に血の繋がりがないと考える方が難しいわ。それに、国王陛下が自分の異母妹を、息子の妻にあてがうとは考えにくいし。
容姿のことで言うと、公爵閣下の面相は、本当に私とそっくりだった。それは、実の父よりも似ているほどに。
そこで、ふと疑問が湧いてくる。なぜ自分は、これほどまでにあのお方とそっくりな外見をしているのだろう。
まさか、自分こそが閣下の隠し子であったり……いいや、そのはずはないか。
髪の色は父さん譲りのうえ、母が家族を裏切り、別の男性と不貞を働くなどとは到底考えられない。
そうは思いながらも、なんとなくもやもやする気持ちを抱えたまま、ソフィアはケビンの待つ部屋へたどり着いた。
「遅くまでお付き合いいただき、ありがとうございました。ケビンと私は早朝に屋敷を発つので、ソフィア嬢は朝のレッスンが始まるまで、ゆっくりお休みください」
彼はさらりと腰を折り、自室へと戻っていった。




