第78話 泥だらけ
その日の授業は、畑仕事だった。
「今日は、水路の泥さらいをする」
マークが、学舎の裏手に生徒たちを集めた。
「畑に水を引く溝が詰待っている。放っておくと、次の雨で大変なことになるぞ」
見ると、細い水路が畑の脇を通っている。底には、泥と落ち葉が厚く溜まっていた。
「道具はそこだ。二人一組で、端から順にさらっていけ」
「うわ、これ全部?」
サクが、水路の長さを目で追った。ざっと見ても、かなりの距離がある。
「文句を言う前に手を動かせ。昼までには終わらせるぞ」
生徒たちが、渋々と道具を取りに行く。
レイは、サクと組んだ。
木の板と、小さな鍬のようなものを使って、泥をかき出していく。
「うわ、重い」
一すくいするだけで、腕にずしりとくる。水を含んだ泥は、思ったよりずっと重かった。
「これ、放っておくとどうなるんだろう?」
レイが泥をすくいながら呟いた。
「溢れると思うぞ」
そしてカイは言葉を続けた。
「溢れたらどうなると思う?」
「……畑が水浸しになる?」
レイが答える。
「そう。でも重要なのはその後なんだ。畑の作物も息をしているから、水浸しになれば人間が溺れるのと同じことになる」
サクが畑を見ながら続ける。
「育てた作物が死んでしまうのは悲しいだろ?ま、全部農業をしてる人の受け売りだけどな。
うち水路をなおしたりもするんだけどその時に色々、話を聞くんだ。」
(僕、今まで水路の大切さを考えたこともなかった)
「あとさ」
サクは、水路の縁を指差した。
「ここ、ちょっと崩れてるだろ。水が横から漏れてる証拠だ」
言われて見ると、確かに土が削れている。
「うちの親父なら、ここに石を並べる。そしたら、崩れにくくなるんだ」
(サクと同じ水路を見てるはずなのに…)
同じ水路を見ているのに、サクには違うものが見えているそう感じた。
しばらく作業を続けていると、隣の区画から声が聞こえた。
「ハナ、そっちどう?」
「あー、根っこが張っちゃってる。これ、抜かないと」
ハナが、泥の中から太い根を引っ張り出していた。腕まくりした袖から、泥がぼたぼたと落ちる。
「……水草。抜いても抜いても生えてくる。」
スイが、小さく言った。
「しょうがないでしょ?水草も生きてるんんだから」
二人とも、慣れた手つきで水草を抜いていた。
⬜︎
昼近くになる頃には、全員が泥だらけになっていた。
「よし、終わりだ」
マークが、水路を端から端まで確認して頷いた。
「思ったより早かったな。上出来だ」
生徒たちから、ほっとした息が漏れる。
「そのまま教室に入るなよ。床が泥だらけになる」
マークは、学舎の裏手を指差した。
「あっちに水場がある。井戸から汲んで、汗も泥も落としてこい」
(水場?)
レイは、指差された方を見た。
学舎の建物の裏側に、小さな石造りの小屋があった。屋根は簡素な板葺きで、壁には二つの入口がある。片方の入口の上に、簡単な木札が下がっていた。
近づいて、初めて分かった。
小屋は、石壁で完全に二つに仕切られているらしい。それぞれ独立した入口があり、中は互いに見えないようになっている。
入口の脇に、木札が二つ下がっていた。
片方に「男」、もう片方に「女」。
「札の通りだ。間違えるなよ」
マークが、入り口を背に立つ。
「俺はここで待ってるから早く行ってこい」
「湯は出んぞ。井戸水だ。夏はちょうどいいだろ」
中に入ると、石敷きの床に、木の桶がいくつも置いてあった。壁際には、水を汲むための桶と、荒く織られた布が積んである。
サクが、慣れた様子で桶に水を汲んだ。
「うわ、冷たくて気持ちいい!」
頭から浴びて、大声を上げる。
「とっても冷たそうだけど?」
「いや、これ気持ちいいって。やってみろよ」
言われて、レイも桶に水を汲んだ。
井戸から汲んだばかりの水は想像してたより冷たかった。
「……っ!」
肩からかけると、汗と泥が一気に流れていく。全身の熱が、すうっと引いていった。
(……確かに冷たいけど気持ちいい)
汗と泥だらけの身体にはこれは確かに、ありがたい。
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